LOG

覚えているよ

 ――薄くはあるが決して華奢ではないその後ろ姿。背後からでもわかる凛とした空気は、少しだけ人を寄せつけなくはあるが拒絶の色など少しもない。ただ不器用で、妥協を許さぬ、才覚ゆえの意識の高さが他人との齟齬を生んでいるだけ。
 懐かしいような初めて見るような、そんな背中に駆け寄って、なまえは後ろ手に隠した「秘密兵器」を彼の頬へと触れさせる。
「いーおーりーくんっ!」
 もさり。頬に与えられた謎の感触に、一織は飛び跳ねて小さく悲鳴をあげた。醜態をさらした! とその場を取り繕おうとしたようだが、なまえの姿を確認するとなんとなく気を抜いたように息を吐く。
「なまえさんですか……なんなんです、いきなり」
「はは、ごめんね! 実はちょっとさ、渡したいものがあって」
 先ほど頬に触れさせられたものを再び背中に隠されて、一織は訝しむように目を眇めた。
 偶然IDOLiSH7が同じスタジオで収録していることをスタッフから教えられたのは、ほんの数十分前のことだった。休憩の合間を縫って飛び出したものの、楽屋に一織の姿はなく、スマホも置いていったようだから足で探すしかないと言われ、スタジオのなかを練り歩いた。それなりにうろつきはしたがここで唸るのが日頃の行いとでもいおうか、むしろいい気分転換になったような気さえする。
 元より仕事帰りに事務所へ届けるつもりだったのでちょうど良かったといえばそうなのだ。なまえは肩を竦めながら笑い、そして「秘密兵器」を取り出す。
「じゃじゃーん! クールでシャープな文房具……に見せかけて、おもちころねの数量限定ぬいぐるみ!」
「…………!!」
 ずい、と差し出された心地よい重みを受け取った一織は至高の感触にほんの一瞬顔を緩めたものの、すぐに自らを律するかのごとく咳払いをひとつ落とす。またいつも通りのきりりとした様子に戻ったのかと思えば、しかし周囲に花の舞う幻覚を感じられそうなほど一織の空気は和らいでいた。
 おもちころね。それは、最近じわじわと人気を伸ばしているマスコットキャラクターだった。おもちさながらに真っ白で、しかし形はコロネそのもの。親しみやすいフォルムと愛くるしい表情により、女子中学生から社会人まで幅広く好まれている。
 先日こちらのブランドとコラボしたなまえはそれなりに顔が利いたため、数量限定のビッグサイズなぬいぐるみをなんとか譲ってもらえたのである。少しばかり値が張ったのは秘密だが。
「どうして私に――」
「そりゃあもう! 幼なじみのお誕生日を祝わないわけはないでしょう」
 10年以上も関わりはなかったけれど。少しだけ、溝のようなものもあるけれど。それでもまた昔みたいに仲良くできたら、笑いあえたなら嬉しい。泣いたり笑ったり恋の話もしたりして、少しずつ、欠けた時間を取り戻せたらこれ以上幸せなことはない。そんな、ある種の願いをこの大きなぬいぐるみに込めたのだ。
「一織くんは、覚えてないかもしれないけどね」
 からりと笑いながらもなまえは目線を落とし、ほどなくしてうつむいた。
 当時の一織はまだ幼く、小学校にも通っていなかったのだから覚えていなくとも仕方ない。けれどなまえは覚えているのだ、おぼつかない足取りながらも追いかけてきてくれた小さな子がいたこと、みんなで一緒に遊んだこと、ぬいぐるみをプレゼントするとお花みたいに笑って喜んでくれたこと、たくさんの思い出は今でも確かになまえのなかで息づいている。
 だからお祝いしたかった。自己満足の押しつけになろうとも、たとえ嫌がられる結果になろうとも。ただのエゴであることはわかっているのだけれど、せめてこの気持ちだけは伝えておきたかったのだ。三月や亜彩に訊ねた一織の好みからリサーチを進めて、天に手伝ってもらいながらこのおもちころねに焦点を定めて。アイドルでよかった、心の片隅でそう思いながら限定品を手に入れて。喜んでもらえるのか、伝わるのかもわからないけれど、ただ自分の彼を想う気持ちさえ示しておけたらと、そんな一縷の希望を込めて、なまえは震える手でぬいぐるみを差し出したのだ。
「――覚えてますよ」
 沈黙の後に与えられた答え。ふとなまえが顔を上げると、ゆるりと目を細める一織がそこにいた。
「私だって覚えてます。幼なじみのお姉さんが2人いたこと、2人そろってドジだったこと」
 それくらいわかりますよ、ねいむさん。
 一織も一織なりの精いっぱいを込めて、「ありがとう」を伝える。思わず目頭が熱くなったけれども、これからまだ収録は続くのだ、今ここで泣くわけにはいかない、泣くなら家に帰ってからだ!
「……うん! 改めて、お誕生日おめでとう、一織!」
 今は目いっぱいの笑顔で彼の誕生日を祝おう。
 うんと背伸びをして頭を撫でようとしたものの、しかしそれはすいと避けられてしまったのだった。
- ナノ -