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出会いの爛漫、恋の花

「あ! 君が天くん? 初めまして、九条なまえです。今日から私が君のお姉さんだよ、よろしくね」
 ――人の良さそうな笑みを浮かべた彼女は、当時のボクからしても警戒心を抱かせるような人物には見えなかった。無二の両親や弟と離れて暮らすこと、それに幾ばくかの不安はあったけれど、その数割を簡単に消し去ってくれたことを覚えている。……それほどまでに、「九条なまえ」という女性はいとも簡単にボクの内側へと滑り込んできた。
「困ったことがあったら言ってね。食べたいものとかは……あー、作れないけど? でもっ、一緒にお買い物とかは出来るから!」
 多少オーバーにも見える所作は、きっとボクの緊張を解すためにやってくれていたことなのだろうと思っていた。くるくると変わる表情や動きにつられて、少し癖のある黒髪が揺れる。数日も立たぬうちに髪の色をがらりと変えていたことには驚いたが、どちらも彼女にはよく似合っていた。
「このちぃ姉ちゃんに任せなさい!」
 ドンッと胸を叩く勢いに引っ張られるように、気づけば彼女のことを「ちぃ姉」と呼ぶようになっていた。年を取るにつれ、九条での生活に慣れるにつれ羞恥心が湧き上がり、程なくして「姉さん」と呼ぶようになったけれど。初めて「姉さん」と呼んだときのどこか悲しげな表情が、たまに脳裏をよぎるのは秘密だ。


 なぜ、気づけなかったのだろう。彼女が抱えているものに、覆い隠す深淵に。大げさな態度の裏にある冷えきった心根が、どうして見えなかったんだろう。
 予感はしていたはずなのだ。義理の姉にこんな感情を抱く未来が、もしかすると出会ったあの日から決まっていたかもしれないのに。
 どうしてボクは気づかなかった。否、気づきたくもなかったんだ。気づいてしまえばきっと、何もかもが壊れると思った。ある種の逃げだと言われようとも、現状が最善ならボクはそれを貫くつもりだった。
 ――そう。それが、その気持ちを抱いているのが、ボク1人の問題であったならば。1人で閉じ込めて、蓋をして消し去れるものであるならば、こんなにも拗れることはなかっただろうに。
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