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出会いの時間

 赤羽業は気まぐれな人間だ。いたずらっ子のような顔を見せ、周りを惑わせたかと思えば善良なそぶりをし、時に極めて残虐な行為にも走る。……よくわからない、それが私の率直な感想である。
 しかしよくわからないからといって彼を嫌っているわけではない。むしろその逆と言うべきか、自分を曲げないところやはっきりと物を言うところは素直に好きだと思っているし、彼は飾った言葉やキレイゴトを言わないから話していても気持ちが良かった。
 そしてなにより私は彼に感謝しているのだ。なぜなら私は、彼の気まぐれで善良で残虐な性格に助けられたことがあるのだから。



「ねぇ君、1人?」
 ――まただ。
「その制服椚ヶ丘だよね? 勉強ばっかじゃつまらなくない?」
 正直うんざりしている。1人で出歩くといつもこう。
 学内では名が知れているし、いつも幼なじみが一緒にいるから怖いだのなんだのと言って誰も近寄っては来ないのだけれど、一歩外に出てしまえば私もただの中学生。椚ヶ丘が有名な進学校であることも相まって、がり勉で世間知らずなお子様に見えてしまうようだ。ちょっとした通学路でさえ毎回誰かに声をかけられて、私の気分は害されてばかり。
 こういうときは無視するに限ると幼なじみが言っていた。大体の男は諦めて他の軽そうな女に移るからなんとかやり過ごせるものの、こんな風にどこのものかもわからないような男が一番厄介だった。
「お兄さんね、とある事務所のものなんだけど。実はアイドルのタマゴを探してて」
「…………」
「君美人じゃない? 退屈な勉強だけじゃなくてさ、新しいことにも挑戦してみたらどうかな。君は輝くものを持ってると思うんだよね」
「…………」
「ね、ちょっと試してみるだけでもいいから。ほらほらまずは笑ってよ、笑顔を見せてほしいなあ」
 ……うっとうしい。どうしてここまで私にこだわるのだろう。周りの視線やざわめきには気がつかないのだろうか? むしろ騒ぎのひとつでも起こしてくれれば、こちらとしても逃げやすくなって助かるのだけれど。
 しかし実際は誰もただ見ているばかりで、救いの手を差し伸べようとするひとなんかいやしないしいるわけもない。……少しだけ、背筋が冷える。
「ほら! 立ち話もなんだし、とりあえずウチおいでよ!」
「……!」
 焦ったような声をあげ、男が私の腕を掴んでくる。さすがに逃げられない。もとより私は非力であるし、成人男性との力比べで勝てる確率なんてゼロに等しいだろう。
 ――こういうやつにだけは捕まるなとキツく言われていたのに!
「やめ……っ」
 いよいよ私は終わりのようだ。
 ……なにをさせられるのだろうか、そんなことは考えたくもないけれど。きっと痛くて汚くて空しいことを、誰のためにもならないことをしなければならないのだろう――
「……あっれ。おにーさんロリコン?」
 もうダメだ、と私が半ば諦めかけたとき。背後から聞き覚えのあるような声が耳に入る。ふと振り向くとそこには、眩しいくらいに真っ赤な髪の――
「……赤羽くん」
 私に弱々しくも名を呼ばれ、赤羽くんはにこりともにやりともつかない顔で笑ってみせた。
「ねーおにーさん、中学生だよその子。え、なにそういうシュミのひと? うわー引く」
「な、なんだ君は……お兄さんたちは大人の話を」
「や、だから中学生だって。……ケーサツ呼んどいて正解、かな」
 赤羽くんが携帯をちらつかせながらそう言う。にたぁ、と獲物を食らうような目で男を見つめ、すっと私の腕を離させた。
「結構近くにいるみたいだから、さっさと逃げなきゃ捕まっちゃうよ? ロリコンにーさん」
 やはり「ケーサツ」という響きには弱いらしい。大げさにビクつきながら支離滅裂の捨て台詞を吐いて、男は足早に去っていった。


「あーぁ、ケーサツなんて冗談に決まってんじゃん」
 うまくいった、と子供のような顔で彼が笑む。いつの間にか盗んでいたらしい名刺を見ながら、鼻歌が飛び出すくらいにご機嫌なようだ。
「助かりました。ありがとうございます」
「どーいたしまして。みょうじさん絡まれやすいひと?」
「……今までの経験からするとそのようです」
 ふ、と赤羽くんが吹き出す。男の背中が完全に見えなくなったころ、彼は改めて私を見た。
「てかみょうじさんが俺の名前覚えてたことに驚きなんだけど」
「? 同じクラスなんだから当然ではないですか?」
 赤羽くんはしばらく考え込んだあと、「そりゃそうか」と頷いた。
 ……良い意味でも悪い意味でも、彼は目立っていたから。
 単純な成績だけを拾えば学年でもトップクラスの実力で、来年度には特進クラスに上がる可能性だってあると。ただそれを差し引いても目に余る素行の悪さが、逆にE組落ちを噂させたりもする。
 両極端で、よくわからない。一匹狼に見えるけれど、友達がまったくいないわけでもない。本当によくわからない、私にとっては未知数だった。
「ま、なんでもいーけど」
 彼は曖昧に笑って、私にパタパタと手を振る。どうやら早く改札へ行けということらしい。
「今度は絡まれないよう気をつけなよ」
「赤羽くんこそ、無闇にケンカしないように」
「うっわ、手厳しー」
 この、何気ない出会い。特に代わり映えのない、日常のひとコマ。
 これが後に私を劇的に変えるきっかけとなるだなんて、このときの私は予想だにしていなかった。
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