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一目惚れの時間

 ――脱落者。E組に落ちてきた者たちは、この椚ヶ丘中での学校生活においてそう揶揄されるだろう。
 それはここにいるE組生徒全員に貼られたレッテルであり、それぞれ思うところは違うにしても大なり小なりの傷を生んでしまう不名誉な勲章でもある。
 殺せんせーというイレギュラーな存在によって持ち直しつつはあるものの、彼(彼女?)の存在は門外不出のトップシークレット。関係者以外は知る由もない。
 つまるところ、E組落ちの通達を喜ぶ人間など椚ヶ丘には存在しないということだ。このクラスはエンドのE組――それ以上でも、それ以下でもないのである。
「はじめまして……ではないですね。今日からこのE組でお世話になることとなりました、みょうじなまえです」
 淀みなく吐き出される言葉。透き通った声。ふわりと柔らかそうな髪から、鼻腔をくすぐる芳香が漂う。
 彼女はかの特進クラス――A組からやってきた。本校舎では生徒会にも所属していたし、生徒会長――浅野学秀ともやけに親密な仲だったか。
 この時期にE組にやってくる、つまりそれは彼女が新しい刺客であることを示唆している――誰もがそう思っていた。
 しかし彼女は殺せんせーのことについて必要最低限のことしか聞かされていないらしく、暗殺とは無関係だと。人間関係がこじれてこのE組に落とされた、とこれまた淀みなく答えた。
「殺せんせー、でしたか?」
「はい?」
「本当にタコみたいなんですね。こんなふざけた超生物が月を破壊した上に進学校の教師になるだなんて、これだけでもう地球は破滅したようなものではないですか」
 彼女――みょうじさんは眉ひとつ動かすことなく、あまりにもすっぱりと暴言を吐き出した。
 凛々しく整った眉も、じとりとした視線も、瑞々しい桃色の唇も。違和感すら抱くほどに、必要以上の動きをしない。
 あまりのことに殺せんせーすら真顔のまま固まり、好奇心を刺激されたらしい間瀬さんが対殺せんせー用ナイフを持って彼に詰め寄るまで、場の空気は固まったままだった。
「にゅやーッ! いきなり不意打ちですかみょうじさん! 授業の妨害になるような暗殺は禁止ですよ、禁止!」
「授業はまだ始まっていません。それに不意打ちをしたつもりもありません」
 相変わらずの真顔で首をかしげるみょうじさん。マッハで教室の端まで逃げつつも、置きみやげよろしくみょうじさんの寝癖を整える殺せんせー。
 彼女の初日挨拶は、忘れたくとも忘れられないものとなった。



 椚ヶ丘中3年、みょうじなまえ。この学園において、彼女を知らない者はほとんどいないだろう。
「……近くで見るとすごい迫力、同い年には見えない……」
 彼女の胸元を憎らしげに凝視しながら、クラスメートの茅野がそう言う。
 トップクラスのルックスにトップクラスの頭脳、噂では五英傑の次点として名前が挙がるのはいつも彼女らしい。本校舎にいたころは確か、生徒会の副会長にも就いていたはずだ。
 家庭においてはあまり知られたところではないが、誰もが彼女のことを「生まれながらの勝者」だと噂する。「元々の個体値が違うのだ」と。
 僕もそれに関しては概ね同意だが、彼女が有名なのは彼女自身のステータスはもちろん、なによりも彼女のバックがそうさせている。
 現生徒会長である浅野学秀と彼女は、なにやら「懇意」な仲であったらしい。確かに2人で親しげに話すところはよく見かけていたし、美男美女でお手本のようなカップルだ、と教師陣からも一目置かれていた。
 付き合っているのかどうかについては2人とも否定の姿勢をとっていたが、それにしたって幼なじみという関係であることには変わりない。周りは誰も入り込めないような、独特の空気を持っていた。
 そしてその浅野学秀こそ、この学園において絶対的な支配者である理事長――浅野學峯の1人息子なのだ。これだけの名前を羅列すれば、彼女になにかしようと思う生徒など、少なくともこの椚ヶ丘には存在しないだろう。
「それほど良いものでもないですけどね」
 ガタン! と思わず椅子から飛び退く。今まさに噂していた人物の登場に、茅野も口があんぐりだ。
 ……確かに。近くで見るとすごい。爪のひとつとったって僕たちとは違う生き物のように見える。殺せんせーとは別の意味で。
 生まれながらの勝者、元々の個体値が違う、まさに言い得て妙だ。彼女を前にしてしまっては、無理難題な頼みごとでもなんでも聞いてしまいそう――
「浅野くんとはただの幼なじみですし、ただ学力が釣り合っていたからそばにいられただけです。理事長とも会話らしい会話は、あまりしたことがありません」
「そうなの?」
「はい。私も所詮は一般家庭の生まれなので」
「嘘!?」
 茅野の鋭いツッコミにも、彼女は相変わらず眉ひとつ動かさない。……みんな気になっていたのだろう、気づけばE組みんなの視線が僕たちに集まっていた。
「両親も私の教育には力を入れていましたから。たまたま勉強ができたからここにいるだけですよ」
 私の教育には――? 少しだけ、疑問の残る言い回し。しかし彼女はそれについてなにか付け加えることはせず、まっすぐと僕を見つめた。
「……潮田くん、ですね。すみません、彼の名前を教えていただいても良いですか」
 す、と指差した先。そこにはE組イチのチャラ男――もとい、色男である前原くんが立っていた。ぎょっとした顔で挙動不審となる彼を横目に名前を伝えると、みょうじさんはスタスタと彼の元へ歩いていく。彼女の歩く姿は――名前の通り、可憐な百合の花のようだった。
 軽く10cmはあるだろう身長差をものともせず、みょうじさんはぐっと前原くんを見つめる。あの意志の強そうな瞳に、前原くんはどう映るのだろう。
「……前原くんですね」
「お、おう。いきなりどうし――」
「好きです」
 ピシリ。空気の凍るような音が聞こえた。彼女は、今、なにを……?
 僕に名前を訊いてきたということは間違いなく初対面だろうし、となると一目惚れだろうか? それにしたってあそこまでストレートに好意を伝えるのは……ああ、さすがの前原くんも固まってしまっている。あんな顔ではせっかくのイケメンが台無しでは……
「あ……あの、みょうじ?」
「はい」
「す、好きってどういう」
「一目惚れです」
 ここまで恥じらいのない一目惚れがあるだろうか。せめて――そう、もう少しにこやかにして、相手からの評価を上げようとか――
(にこやか……?)
 ――そういえば。
 幸か不幸か、彼女とは二、三言葉を交わしたことがあるのだが、本校舎にいたころから笑顔なんて見たことがない気がする。立場上仕方ないものなのかもしれないが、四六時中仏頂面だとさすがにおかしくはないか?
 どうやら茅野も同じらしい。自然と目があった。
 なにか――彼女も彼女で曰くつきなのだろう。ただのチートな優等生ではない、僕の本能がそう叫んでいた。殺せんせーの、不気味な笑い声とともに。
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