LOG

あだ名の時間

「イケメグ……」
 ぽそり。みょうじさんがつぶやく。……片岡さんのあだ名に反応したのだろうか?
 なんでも茅野の話だと着替えのあいだからずっと考え込んでいたらしく、ある種の不気味さを感じたとも言っていた。
 放課後になってもみょうじさんは、何度も「イケメグ」を繰り返しながら机の周りをうろうろと歩きまわったり、椅子に小指をぶつけて悶絶したりを繰り返し。
(……よそ見はキケンだ)
 しばらくそこいらを練り歩きながら、急になにか閃いたのだろう。はっと顔をあげて彼女は、まさかの茅野に突撃していった。
「……あの! 『殺せんせー』という名前をつけたのは茅野さんなんですよね」
「うえぇ!? あ、そうだけど――」
「わ、私っ! 私にもあだ名をつけてください!」
 興奮気味に話すみょうじさんとは裏腹に、茅野の口元はひきつっている。間近でみょうじさんの……コホン、茅野にとって最大のコンプレックスであるアレが見えてしまっているから無理もないだろう。
 ……ガン見してるし。ものすごく。
「あだ名があればもっとみんなと仲良くなれると思うんです! 親しみやすくなるとでも言いましょうか、気軽に私のことを呼んでもらえるのではと思いまして……!」
「な、なるほど……」
 後の茅野は語る。「正直このときは憎悪にまみれすぎててなに言われたか覚えてない」と。
(だけど、まぁ。その通りではあるかも)
 確かにみょうじさんの言うことも一理ある。編入初期よりクラスに馴染んでいるとはいえ、未だに彼女を敬遠するひとがいるのも事実だ。元々がA組であることや彼女自身の性格も相まって、完全に打ち解けるのはなかなか難しいだろう。
 だからあだ名というとっかかりやすい要素を作るのは良策と言える。名字呼びはよそよそしい、かといって名前で呼ぶのもはばかられる。そんなときにはもってこいだ。
 ただひとつの問題といえば――みょうじさんには壊滅的にあだ名が似合わない、という点だろうか。
「なんの話してんの〜?」
 そこで登場したのがカルマくん。男子ではみょうじさんと一番仲が良いひとだ。
 相変わらずみょうじさんは前原くんにほとんど相手にされておらず、そこをカルマくんが横からつついているのが現状。女子のあいだでは定期的に話題になるらしく、時に男子もこの話で盛り上がる。
 ただカルマくんが本心を表すことは多くないからそれが恋愛感情なのかは定かじゃなくて――そこら辺もおいしいのだとか。僕にはあまりよくわからないけど。
 まぁ……それはさておき。僕がかいつまんで説明すると、カルマくんはへぇ、と興味津々にみょうじさんを見た。
「いーんじゃない? 俺もあだ名のが呼びやすいし」
 呼ぶ気満々なんだねカルマくん……
 巨乳への憎しみであだ名どころではない茅野をよそに、カルマくんがうーんと考え込む。
 ――僕は見逃さなかった。彼がイタズラに走るとき浮かべる悪魔のような笑顔が、一瞬だけちらついたことを。
「じゃあ『ユリボウ』とかは? イノシシみたいで可愛いし」
「響きが嫌です、なんとなく」
「なら『ユリエンタール』? 俺好きだったんだよねー」
「……長すぎます。あだ名のあだ名が必要じゃないですか」
「んー……あ、『オニユリ』とか。百合の品種だし良くない?」
「花はキレイですけど、あだ名としては印象最悪です……」
 ……落ち込んでいる。あからさまに落ち込んでいる。いつの間に移動したのか教室の隅っこで体育座りになって、頭からキノコまで生やしている。
 やっと正気に戻った茅野が慰めに行ってもあまり効果はなかったようで、みょうじさんは体を丸めたままだ。さすがのカルマくんもバツが悪そうに頭をガリガリとかいている。
「……ねー渚くん、俺もしかしてやりすぎた?」
「冗談通じないタイプだしね、みょうじさん……」
 カルマくんの目は明後日の方向を向いていて、同時に小さなうなり声も聞こえる。どうやら今度は真面目に考えてあげているようだ。
 ……カルマくんは不真面目でサボり魔で移り気だけど、無闇に他人を傷つけるひとではないから。暴力にも彼なりの理由がある。誉められた解決法ではないものの、根本にあるのは人助け。
 つまりあんな風に本気で落ち込まれるとなけなしの良心が痛んで優しくせざるを得なくなる、ということなのである。真意はどうあれ好意を抱いている相手だから尚更だろう。
「でもコレってのが浮かばないんだよね……『なまえりん』とかはひねりがないし――」
「……!」
 すぽん! とキノコを吹き飛ばさん勢いでみょうじさんが顔をあげる。心なしか……いや、ものすごく目が輝いている。ものすごく。
「……あの、茅野さん」
「はい?」
「よ、呼んでみていただけますか」
「え」
 本気だ。
 元から砕けた性格ではないから当たり前と言えば当たり前だけれど、あだ名を呼べと言うみょうじさんの目は真剣そのもの。彼女の気迫に負けた茅野が小さく応えると、「はい!」と花丸でももらえそうな返事をしていた。
「気に入ったみたいだね、みょうじさん」
「あー……正直、あれはないわ……」
 がっくりと肩を落とすカルマくんは古ぼけた壁にもたれ、あーぁ、と不満げな声をもらす。曰くまだまだからかいのネタはあったらしく、落としては上げ落としては上げを繰り返してしばらく遊ぶつもりだったのだそう。
 そんなカルマくんのことなど気づくわけもなく、みょうじさんは矢田さんや倉橋さんにも「なまえりん」をオススメしにいっていて。詳しい話は聞こえないけれど、きゃいきゃいとあがる歓声や楽しそうな雰囲気からそれが快く受け入れられたことがわかる。
 嬉しそうに笑っ……てはないものの、ほんのりと染まった頬がみょうじさんの心をなによりも伝えていて。どこか腑に落ちないような顔をしながらも、カルマくんはまぁいいか、と「なまえりん」をそのまま流すことにしたらしい。ただ「あれじゃ俺のセンスが疑われるよなあ……」と小さくぼやいてはいたが。
「ね、前原が素直に『なまえりん』って呼ぶかどうか賭けない?」
「それはダメだよカルマくん……」
- ナノ -