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あなたの好きな海だった

 まるで魔法のようだった。彼に抱きしめられたとき、ずっと抱え込んでいた膿が、重しが、ふわりと軽くなったのだ。
 家族を亡くした過去は消えない。私は一生その傷と付き合っていくのだと思うし、あんなにも好きだった人のことを、愛の結晶である息子のことを忘れることなんか、とてもじゃないけど出来やしない。きっといつまでも忘れられない。けれど、忘れられないし忘れたくないのに、日に日に思い出せないことが増えていく。何もわからなくなっていく。声が聞こえなくなってゆく。怖い。苦しい。早く2人に会いに逝きたい。もう解放してほしい。今すぐ私に笑いかけてほしい。微笑んでほしい。私の名前を呼んでほしい。また、家族3人で笑って過ごせる毎日に私を連れていってほしい――そんなこと叶いっこないのに。そして何より私はその悲しみも苦しみも何もかもを抱えていくと決めたのだから、きっと良い意味でも悪い意味でも、こんなふうに死ぬまであの2人に囚われ続けると思うのだ。
 そうやって、まるで死を待つように過ごす毎日を送っていくはずだったのに、彼に出会って私の日々は、ほんの少しだけ変化した。
 はじめは彼の声だった。夫の声によく似ている。思い出せなくなった夫の声が、彼の声を聞くたびに蘇るような感覚を覚えた。彼の口元が動くにつれて、私の中の霞んだ記憶がじわじわと色を取り戻していった。最近には夢にまで見るようになったほど。それくらい、私は彼の声に心を掻き乱されている。
 彼はバイト先の同僚で、どこか浮世離れした、掴みどころのない独特の雰囲気を持った青年だ。いつも眠そうにぼんやりとはしているが、言われたことはきっちりとこなす。私の見ている限りでは特に問題を起こしたこともない。なんとなく、マシュマロばかりの食生活と驚異的な身体能力のほうが気になるくらいで、たとえば彼が夫に似ているなんてことは全くないのだ、けれど。
 どこか何か、ある種の因縁めいたものを感じてしまったことがある。それが何なのかはわからない。理由や根拠が見つからない。答えは私の中にはない。ただの直感でしかないそれを、どうしてだか私は無視が出来ないのだ。声以外に何にも似ていない、何もかもが正反対な彼に夫を重ねて――否、夫を切り離したところで、彼のことを見てしまいそうになっている。
 そしていつかは彼と共にあれるようになったら――そんな希望的かつ残酷で浅ましい欲求を抱いてしまう。もし仮にそれが純粋な気持ちからくるものであったとしても、湧き上がるものとは裏腹に私は私と私の欲を許すことができない。
 だから、深く、もう出てなんて来れないほどに、その想いは海に沈めた。


×××さんには「まるで魔法のようだった」で始まり、「その想いは海に沈めた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。
#書き出しと終わり
https://shindanmaker.com/801664
20180627
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