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そっと芽吹く

本編のセリフを引用している部分があります

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 テレビ番組というものには、正直なところあまり馴染みがない。
 昔からテレビを見るよりゲームをするのが多かったし、観るなら観るで深夜アニメか日曜日の朝にある特撮くらい。特に最近は自分が動画サイトに投稿する立場になったこともあり、暇さえあれば色んな動画を見て過ごしていた。部屋にある薄型テレビはほぼほぼゲーム専用で、それでなくとも近頃はパソコンのモニターのほうで録画をしながらやるばかりゆえ、つまりあたしの部屋のテレビはもう半分飾りと化していた、というわけだ。これがいわゆる宝の持ち腐れのなのだろうなと思う次期は、もうとうに過ぎていた。
 だからこそ、あのときふと気が向いてテレビのチャンネルをまわしたのは偶然を越えた運命だったのかもしれないと、今になってそう思う。かち、かち、普段触らないようなチャンネルボタンを押しながら、ぼうっと液晶を観ていた。流行りの芸人が体を張って笑いを取る光景も、有名医師を招いて医学についてディベートしている様子も、旅番組の長閑であたたかみのある風景も、別段印象に残ることはなかった。画面の向こうに人間がいる。そして、その人間がなにがしかについてくっちゃべっている、それだけだ。特に好ましいふうでもないので、やっぱりテレビはあんまり好きじゃないな、と最後にチャンネルボタンを押したとき。
 ほとんど見たこともないようなローカル番組が表示された瞬間、あたしの意識はテレビに釘付けになる。ザ・ショーというらしいその番組は、おそらく天鵞絨町のとある劇団に取材を行っていたのだろう。からりとした明るいリポーターが、近く旗揚げ公演の迫る劇団員へ、順番にインタビューをしていく――のだが。
「……これ、碓氷くんと、咲也くんじゃあ――」
 あからさまに緊張した面持ちをした劇団員のなかに、まさかのまさかで、同じクラスの有名人と幼なじみの友人が映っていたのだ。
 有名人は碓氷真澄。学外にもファンクラブがあるほどの人気者だけれど、名前のごとく氷のように冷たそうな空気でもってそのすべてを撥ねつけている。女子にいくら騒がれても顔色ひとつ変えない無愛想な男で、けれどもそういうところが“イイ”のだと、いつだったかにクラスメイトが話していたのを聞いた。それが二次元だったらあたしも激しく同意する。
 そして、もう1人は佐久間咲也。あたしたちのひとつ上の学年になるのだけれど、碓氷くんと並ぶとどこかあどけない雰囲気をしている。しかし決して子供じみているわけではなく、にこやかで元気な彼は突然現れたあたしにも優しく接してくれて、すぐに名前で呼び合うような仲になった。つまり、そこそこ親しい仲かつ、とても気さくな人である、ということだ。
 2人は軽快なやり取りを重ねていて、画面越しにも親密な空気を醸し出しているのが伝わる。打ち解けかけている友人、相棒、仲間、そんなふうな具合だ。けれどもまだまだ発展途上というべきか、どこかぎこちなさを感じる気もするものの、それも咲也くんの朗らかな雰囲気でうまく中和されていた。
「――次は、ティボルト役の茅ヶ崎至さん」
 リポーターの紡いだ名前。その響きを飲み下す前に、カメラがその人のもとへ移動する。
「よろしくお願いします」
 女性リポーターの黄色い声に応えるようにして出現れた5人目。爽やかに、そしてにこやかに受け答えする彼は、あたしが何年も焦がれてやまない人。
「わあ、イケメンさんですねー!」
「はは、ありがとうございます」
 ローズピンクの瞳が優しく細められるのを見てあたしの胸は不覚にも高鳴ってしまったし、きっとこの番組を観ている数多の視聴者も、顔には出さないがこの女性リポーターも同じであろうと思う。それほど甘いマスクを持っているのだ、この人は。務めている会社でもあちこちで引っ張りだこなのだと、同じ会社で受付嬢をやっているお姉ちゃんも言っていた。
 年齢層や行動範囲が幅広いぶん、もしかすると彼は碓氷くん以上にファンを増やしているかもしれない。あたしだってその1人だ。彼はあたしにとっての憧れで、背中を見続けた、いわば理想を身にまとって歩いているような人。目を合わせれば瞬時に心を射抜いてしまうような独特の魅力と色気を持ち、それでいてその外見を駆使してむやみやたらに女に手を出すのかといえばそうでもなく、ひどく紳士的で弁えている、“オトナの男”。
「役者全員が男性ということで、女性に楽しんでいただける舞台になってると思いますので、よろしくお願いします」
 そしてなおかつ、今まさにこのあたしが絶賛ケンカ中の相手――それが、この茅ヶ崎至であった。


 ――碓氷真澄。花学でその名を知らない者などいないというほどの有名人である彼は、実を言うと去年からクラスが同じであったりする。けれどいくらクラスが同じだろうと別に親しい仲というわけでもなく、むしろ今までまともな会話なんかしたことがない。クラスメイトとはいえ別段なにかあるわけでもない彼に話してみるよりは、先輩である咲也くんを訪ねていったほうが得策なのではないか、と思えるほどに、あたしたちはクラスメイト以上でも以下でもない、こんなことがなければ全く関わることもないだろう間柄だった。
 くあ、とあくびをひとつするだけで、女子の黄色い声があがる。きゃあ、と小さく色めき立つクラスメイトなど視界に入れないまま、碓氷くんは緩慢な動作で席を立った。今は昼休み。つまり、これから昼食を取りに行くというわけだ。
 ゆっくりと、マイペースに教室の扉へ行く碓氷くん。ちょうど廊下にいた隣のクラスの女子数人が、碓氷くんに向かって浮ついた声援を飛ばしている。けれども碓氷くんは歩みを止めず、おそらく視線すら投げかけることもせずに進む。周りの喧騒が煩わしくなったのだろうか、碓氷くんは懐から出したイヤホンを耳に入れた。プレーヤーに表示された曲名がちらりと目に入る。ああ、それ、あたしも聴きたいやつ――!
 BGMのテンポにつられたのか、少し速度を増した碓氷くんを、あたしはなんとか捕まえようとする。あの! と声をかけても碓氷くんは振り返らない。聞こえないのだから当たり前だ。周りの不審な目を全身で感じはするものの、そんなもので立ち止まっていられるような場合ではないのだ。
「あのさ、ねえ、碓氷くん!」
 学食がすぐそこ、といった角を曲がろうとしたところで、あたしの右手が彼のジャケットの裾を掴む。一瞬つんのめったように立ち止まった碓氷くんは、不機嫌な顔を隠そうともせずあたしのほうを振り返った。周りがざわつくのがわかる。すう、はあ、何度も深呼吸を繰り返し、あたしは碓氷くんの目を見つめる。これじゃあまるで、愛の告白でも始めるみたいだ。
「昨日、ザ・ショー観たんだけどさ! 碓氷くん、MANKAIカンパニーって劇団に入ったんだよね」
「……だから?」
「そこで……その、春組? でさ、茅ヶ崎さんと一緒でしょ。あの……話とか、するの?」
「…………」
「あたし、茅ヶ崎さんとちょっとした顔見知りなんだけど……茅ヶ崎さん、元気にしてるのかなって思って――」
 要領を得ないとでも思われたのか、はたまたどうでもよかったのか。碓氷くんはあたしが言い終わる前に踵を返して行ってしまった。抜けがけでもしたように思われたのだろうか、あたしに向かって舌打ちをする先輩たちは碓氷くんを追いかけていって、またたく間に通路は静かになる。みんな食堂へ向かったのだ。
 立ち尽くしたままふと我に返ってみると、今のあたしは碓氷くんをダシに茅ヶ崎さんへ近づこうとする浅ましい女そのものではないか。ひどく恥ずかしいしみっともないし、これじゃあ人のことなんか言えやしないだろうに。はあ、と深いため息を吐きながら、あたしは再び教室へ戻る。お弁当を取りに帰るのだ。
 そもそも全く話したことがない相手にいきなり劇団のことを訊かれたって、事情を知らない向こうからしたらただのミーハーとしか思えないだろう。茅ヶ崎さんのことばかり考えすぎて視野狭窄に陥っていたらしい。みっともない、みっともないなあ、念仏のように唱えながら、あたしは席でお弁当を取り出す。ちょうど手の空いていたらしいクラスメイトが声をかけてくれたおかげで、ぼっち飯はなんとか回避することが出来た。今日は色々考えたいからひとりで過ごしたかったのだけれど、せっかくの厚意を無下にするのは罰が当たるし、気を遣ってくれた彼女に悪い。ありがとう、と素直に厚意に甘えると、先ほどの出来事を聞きつけたらしいほかの女子に根掘り葉掘り訊かれてしまった。情報が出回るのが速い。
 彼女らの質問を適度にかわしつつ、話し声を半分に聞きながらあたしはお弁当を食べ進める。大食いのあたしにあわせてお弁当は男性サイズだし、ご飯もおかずもボリューミーだ。なまえちゃんいっつもすごいよね、そう言う声には笑顔を返しておいた。おやつにポテトチップスが食べたいと言うと、みんな青い顔をしてあたしを見てくる。そうして少し視線を下げて、なるほど……といったように頷くのだ。鶏肉とキャベツがいいって聞くよ、そう次ぐとみんな目の色を変えたのは少し面白かった。
 さて、果たして、どうするか。食事に集中するふりをして考える。この際咲也くんに事情を話すのも手かと思うけれど、いくら名前で呼びあう仲とはいえそこまでしてもらえるほど親しいわけでもない。優しくて純粋な咲也くんのことだから、変に気をまわしすぎたり、気を遣わせてしまったりすることは避けられないだろう。他人のどうこうにそこまで巻き込むのはさすがのあたしも気が引ける。良い人であるから尚更だ。
 ――こうなったら奥の手しかない。決意を固めたようにして、あたしは最後の卵焼きをひとくちで頬張る。
 碓氷くんの後を、つけよう。

20180621
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