LOG

さくらの魔法

 青空に手を伸ばしたことについて、特に何も意味はなかったはずだ。ただ抜けるように青いなあとか、雲ひとつない快晴だなあとか、中学時代の理科で習った「晴れ」と「快晴」の違いを思い出しながら、ただぼうっと、本当に無意識でこの手を空へ掲げた。何かを掴めるだなんて思ってない。この行動に意味があるとも。
 それでもそうしてしまったのは、もしかすると無意識にも息が詰まっているからなのかもしれないと、ぎこちなく笑みをかたどる口元を思って、自嘲した。笑えなくなっている。自分の馬鹿げた行為を笑って流すようなことすら出来ないほど、今はひどく疲れているようだ。どこか他人事のような心地で伸ばしきった腕を引っ込める。それほど長くはないにしろ、心臓よりも高く位置していたおかげで少し力が抜けていた。握って、開いて、また握る、を繰り返してやっと血流が戻ってくる。やわな体だわ、と独りごちると、背後から聞き慣れた声がして、途端に体中が熱く沸き立つような感覚を覚えた。
「やっぱりねいむさんだ! こんなところでどうしたんですか?」
 ぱっと、花が咲くような笑みを向けられて、わたしは唇がもつれるように言葉をつまらせる。彼を前にするといつもこれだ。いつもならあることないことベラベラと喋れるはずなのに、彼の前では何も知らない生娘のようになって、「いつも通り」を崩される。それが彼の持つ魔法だ。
「――そうね、特に意味はないの。ただちょっと……散歩かしら」
「お散歩ですか」
「咲也くんは……買い出しね。重そうだけど大丈夫なの?」
「はいっ! オレも男なので、これくらい」
 空いた腕で力こぶを作るような動作をして、咲也くんは胸を張る。桜色のエコバッグから覗いていたのは人参、ジャガイモ、玉ねぎで、他にもゴロゴロと詰め込まれていることから、きっとこれが今夜のカレーの材料なのだと思わせるのは容易かった。今度はわたしもご相伴に預かりに行こうかしら、そう言うと咲也くんはぜひ! と満開の笑顔で答えてくれる。
「あっ――ごめんなさい、アイスが溶けちゃうのでオレ、失礼しますね!」
「ええ。ふふ、気をつけて帰ってね」
 大げさなほど頭を下げる咲也くんの、踵を返した背中を見送る。角を曲がった背中が見えなくなった頃、先ほどとは打って変わって自然に笑えていた自分に気がついた。なんだかおかしいくらいに呆気なく、そして違和感なく、肩の力が抜けている。
 これもあの子の魔法だ。あの子のおかげでわたしは笑える。積み重なる責務やプレッシャーと、戦っていくことが出来るのだ。あの子がいないとわたしはもうダメなのかもしれない――そう思ってしまうほど、わたしはあの子が愛おしい。あの子のことが恋しくて、不可欠で、笑っていてほしいと思う。
 また明日も会えたらいい。明日が無理なら明後日でも、その次でも、とにかくあの子にたくさん会いたい。だからこそ、さようならは言わなかった。


×××さんには「青空に手を伸ばした」で始まり、「さようならは言わなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以上でお願いします。
#書き出しと終わり
https://shindanmaker.com/801664
20180625
- ナノ -