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君の面影

 第五公演で主演を務めるにあたって――特に、見えないグエンの表現をするときに、いつも頭に浮かべていたモデルがいる。妖精らしく人間離れしたグエンの麗しさを三次元に当てはめるだなんて、もしかすると俺はナイランファンの風上にもおけないような愚行を働いているのかもしれない。けれどもこれは仕方ないのだ。なぜなら俺は彼女と――なまえと出会ったその瞬間から、グエンの面影を見出していたのだから。
 俺たちが出会ったのはもう5年も前になる。なまえが中学にあがったばかりで、俺も実況動画に手を出し始めた頃だった。
 あの頃のなまえは本当に可愛かった。否、もちろん今も相変わらず顔は可愛いので、可愛げがあった、という表現のほうが正しいかもしれない。母方の祖母の血を色濃く引いているのか、少し日本人離れした大きく透き通った瞳や愛らしい唇には、学校内外を問わず様々な男が虜になっているらしい。年上相手にも物怖じすることなくにこやかに奥ゆかしく接することから、特に年上受けがいいのだと、いつだったかに万里も言っていたと思う。現に俺もやられているわけだし。
 まあ、いくら外面が良くてもあいつの本性は末期な腐女子のゲーマーだ。少し前には二次元しか興味がないとか言っていたくせに、俺たちMANKAIカンパニーと出会ってから三次元のホ……も良いかもしれない! と目を爛々と輝かせながら打ち明けられたことは記憶に新しい。目下の妄想被害者である俺からすればたまったものではないのだけれど、それでもあいつの楽しそうな顔を見たらつい許してしまうというか、空想のなかでの尻の危機くらい流してやるか、という気になるのだ。別にソッチの気があるわけではない。それだけは訂正しておく。
 そういった具合に、今やひと筋縄ではいかないような女になってしまったなまえも、5年ほど前は天使や妖精と見紛うほど、どこか浮世離れしているとすら思わせるくらいだった。それこそ咲也みたいに純粋で、世間知らずで、朗らかで、触れることすら躊躇われるほど清純な雰囲気を持っていた。中学1年生なんていう背伸び盛りの年頃なくせして、猫は「猫さん」、鳥は「鳥さん」、パンは「パンさん」だなんて可愛い呼び方をするし、お嬢様らしくジャンクフードや駄菓子の類に馴染みがないなど、もはや時代錯誤を思わせるくらいの少女。そして、俺こそが今の世俗的な彼女を作りあげる諸悪の根源だったりするのだけれど――その話は置いておく。
 ふわふわの髪を風になびかせて、まんまるの目を見開いて、頬をほんのり桜色に染めて俺を見てきた当時のなまえ。鈴を転がすような声に「茅ヶ崎さん」と呼ばれるたび、見惚れて逃避しかかっていた意識が連れ戻される。心配そうに見上げてくる姿は今よりずっと小柄で頼りなくて儚げで、庇護欲をそそるというのはこういう人間を言うことなんだろうな、と人知れず得心したものだ。
 けれどもあの頃の俺は人と深く関わることを病的なまでに避けていたし、7つも年の離れた子供相手に何か変な気を起こすつもりはなかった。この子をどうにかしたいとか、自分だけの物にだとか、触れてみたいとか、そんな犯罪者めいた欲求はない。
 ただひとつ思ったことといえば――この子にもっと早く会いたかったな、ということだけだ。


 初めて会ったときのこと、覚えてる? そう訊ねると、なまえは決まって頬を膨らませて、機嫌を損ねてしまうのだ。
 無理もないといえば無理もない。俺たちの出会いとはつまりねいむさんと俺がカフェでばったり会った日で、通りかかったなまえは俺たちを恋人同士だと勘違いしてしまい、そして何よりアプリのタイトルコールを誤爆してしまった、彼女にとっての失敗が積み重なった日なのだから。
「至くんその話好きだよね」
「まあね」
 不満そうななまえに問われ、ゆっくりと頷く。俺にとっては色んな意味で特別な日であるのだ。なぜならその日は、俺が俺だけのグエンに出会えた日なのだから。
 思い返すとやっぱりちょっと違うのかな、と思わなくもない。別に顔立ちが似ているとかではないし、ナイランファン全員がなまえを見てグエンだと思うわけもない。唯一アイツならなまえにグエンの面影を見るかもしれないけれど――もう二度と会うこともないだろうからその話は置いておく。
 けれども俺の直感的部分がそうだと叫び続けているのだ。おこがましいとか浅ましいとかそういうのは抜きにして、今日だって俺の、俺だけのグエンなのだと、ゲームに励む背中を見ながら考えてしまう。感じてしまう。
「そりゃあお気に入りの日に決まってるだろ、可愛い可愛いなまえちゃんに、俺が一目惚れした日なんだから」
「ハア!? ――あっ」
 背もたれ越しに聞こえるゲームオーバーの音楽に思わず吹き出すと、へろへろの速度でクッションを投げつけられる。俺に言えたことではないがなまえも運動神経はゴミレベルなので、まあヘタレとはいえ成人男性の俺からしたらただのソフトタッチと同等の威力だ。後頭部に何か触ったな、という程度の衝撃しか感じない。
 すい、とクッションの飛んできたほうへ目をやる。身を起こして俺を見ているなまえはあからさまに怒ったような表情であるものの、それ以上に顔を真っ赤にさせて、どこか泣きそうでもあった。メガネ越しの双眸は俺を探っているようだ。ソファから乗り出して頭を撫でると、大げさにビクつかれる。
「またそういう冗談言うんだから……」
「冗談じゃないっつの。……ま、そのままの意味ってわけでもないけど」
「なにそれ――」
「グエンだよ。お前をひと目見たとき、三次元にグエンがいたらこんな感じなのかなって思った」
 コントローラをソファに置いて、両手でなまえの頬を包む。むに、むに、親指で何度もこねるように触れてみると、だんだん緊張の表情が崩れていくのが見て取れた。
 なまえもわかっているはずだ。グエンと自分が似ていないこと、そんなことを考えるのはおこがましいのだと。それでもなまえはあの頃と変わらないまんまるの目を俺に向け、言葉の真意を確かめるようにじっと俺のことを見つめている。
「それで思ったんだよね、お前みたいな子が側にいてくれたら少しは違ったのかもって。グエンの回復魔法みたいに、俺の心を癒やしてくれる。俺に勇気を与えてくれる。俺を励まして、支えてくれるような子がいたら、もしかしたら今頃――」
 ――今頃、なんだ。突如湧き上がった疑問に喉が引きつり、言葉を切る。
 ありもしない過去を今さら思ってどうなるというのか。戻らない過去に執着するのも、変えたいだなんて考えるのもやめたはずだ。今の自分はランスロットの生まれ変わりでも何でもない、ただの茅ヶ崎至なのに。
 ひどくらしくないことを考えてしまった。こいつが絡むとやはり俺は、らしくないことばかりをしてしまうようだ。
「……今頃、なあに。続きあくして」
「うーん……何だっけ?」
「はあ!? ちょっと待ってよ、こんだけ言っといて今さらはぐらかすとかありえないんだけど」
「本当にね。でもまあいいんだ、今の俺だからこそ出会えたお前もいるわけだし? もし仮に何か運命が変えられたとしても、お前に会えなかったら意味ないし」
 運命なんて変えられない。けれど、未来を切り開くことは出来る。自分を変えることだって出来る。それを教えてくれたのが監督さんや、咲也、春組、そしてこの劇団のみんなだ。
 だから俺は、たとえ同じ運命を歩むのだとしても、昨日とは違う自分で明日を拓いていきたいと思う。劇的な変化なんてない。宝くじが当たるだとか、突然不思議な力に目覚めるだとか、そんな180度の転機なんて望まない。ただ一歩、ほんの一歩だけでも、変えられるものや変わっていけることを、俺はもう知っているのだ。過去を過去として前に進むことも。
 そして、そうやって見つめる明日には、きっと隣にお前がいてくれたらと思う。ランスロットとグエンみたいに――否、これはもう、茅ヶ崎至とみょうじなまえだけの物語で、俺たちだけの未来だ。
「――ヤバ」
「今度は何ですか」
「いや……やばいな、勢い余ってプロポーズしそうになった」
「だからっ――ああ、もう、なんかいいや……」
 ぐったりした様子でしなだれかかってくる体を抱きとめる。ソファの背もたれが邪魔だな、と思う反面、こういうシチュエーションもありだとどこか口元がにやついた。
 甘い香りのする首筋に鼻を寄せると、さすがにくすぐったいのか身をよじられる。くすくすと笑う吐息が、ひどく心地よく感じられた。

20180624
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