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ぽつりぽつり、雨の音

 ぱらぱら、ぽつぽつ、ぱちぱち。多様な雨音を傘の下で聞き比べながら、今日も今日とてあたしはMANKAI寮へ足を伸ばしていた。雨天はあまり好きではない。まとわりつくような気だるい湿気と、眠れない夜のどこか耳障りに感じる雨音がこびりついているからだ。
 その気持ちを払拭したくて、あたしはみんなのもとへ足を運ぼうと考えた。みんなと会って、みんなの顔を見て、いやにざわつく胸を落ち着けたかったから。逃避にも似た救済の願望を、あたしはここに抱いている。
 ため息まじりに足を動かしていると、あっという間にMANKAI寮にたどり着く。頭から雨粒を被る建物はやはり普段と顔色を変えているようで、少しだけ足が竦んでしまったのは内緒だ。
 大きな観音開きの扉の前に立ち、傍らにあるボタンを押す。あたしのチャイムに応えてくれたのは意外や意外、学校でも見知った顔である碓氷くんだった。挨拶と一緒に「珍しいね」と率直な感想を口にすると、自分が一番玄関に近かったから押しつけられた、と言われた。
 玄関扉を開いたことで屋内のこもった空気が少し外へ逃げたらしく、独特の空気感を感じながらあたしは談話室へと進んでいく。至くんは留守だそうだ。これまた珍しいこともあったものだ、と道中の窓へ目を向けると、さらに珍しい光景が広がっていた。寮内の窓という窓に落書きが施されているのだ。もちろんマーカーやペンキを使ったような悪質なものではなくて、白く曇ったそれに指でえがいた簡単なもの。
 確かに雨の日は落書きが捗るよね、と窓をひと通り見てまわってみる。碓氷くんはこの落書き群が嫌いじゃないのか、どれが誰の落書きなのかということを丁寧に教えてくれた。あれは何だのこれはどうだのと言いあっているうちに途中から落書き当てクイズみたいにもなったりして、ささやかに穏やかな時間が過ぎていく。
 その最中、ふと端っこに見つけた相合い傘。これは誰のものなのか、なんて訊かなくてもひと目でわかった。碓氷くんだ。大きなハートを掲げた傘の下、彼の名前と「監督」という文字が並んでいる。男子高校生らしからぬアピールに微笑ましくなりつつも、ひとつ気になった点を指摘してみることにした。本人にしたら重大な問題のはずだ。
「碓氷くん、碓氷くん。相合い傘の線は傘を突き抜けちゃダメなんだよ」
「なんで……?」
「その書き方だと別れるって言われてるの」
 ひっ、と息を呑む声が聞こえた。そして、光の速さで落書きを消して書き直す碓氷くんの姿も同時に。
 目にも止まらぬ速さで書き終わらせた、碓氷くんの新しい相合い傘。今度こそ完全になった相合い傘は、心なしかさっきのものよりハートも傘も大きくなっているように見える。彼の想いの強さはすごいな、と思いながら、せっかくなのであたしもついでで落書きさせてもらうことにした。碓氷くんの傘の隣に小ぶりな傘をえがく。
「……面白そうだし、スマホで撮って至に送る。あ、俺より大きくするな」
「わかってるよ。あとね、書くのはあたしのじゃないから。お姉ちゃんと咲也くんの」
「ふーん」
「ふーんて」
 かわいく書けた傘の下に並ぶ「咲也」と「ねいむ」の名前。それなりに形が整ったところで窓に向かってスマホを構え、自分の姿が映らないよう注意を払いながら相合い傘をカメラに映す。お姉ちゃんもこういったものにはあまり馴染みがないはずだから、見た瞬間にひっくり返ってしまうかもしれない。LIMEの画面を開いて画像と共にスタンプを送っておいた。咲也くんへは碓氷くんが送っているようで、どことなくほくそ笑んだような雰囲気が窺える。
「二人が見たらとんでもないことになりそう」
「ね! あー楽しみ、へっへっへ」
「みょうじ、死ぬほど悪い顔してる」
「あ、ひどーい! ていうかそれ碓氷くんも同じだからね」
「俺はそんな顔しない」
 ――ぴろん。あれやこれやと話し込んでいると、ほぼ同時にLIMEの通知音が鳴ったのが聴こえた。お互いに顔を見合わせて吹き出しながら、あたしたちはLIMEの画面を開く。
 雨はまだ鳴りやまないけれど、鬱屈した空気はいつの間にか消えていた。

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20180609
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