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これを愛だと呼ばせてほしい

 自分で言うのもおかしいけれど、わたしは理想的な娘だったのだろうと思う。容姿端麗、頭脳明晰、文武両道、沈魚落雁、数多の賛辞は全てわたしのためにある――そう言ってきた男は何人も居た。老若男女誰もがわたしにこびへつらってきた。誰もがわたしに好かれようとした。誰もがわたしを手に入れようとした。だからわたしは何人もを愛した。人を騙し欺くなんて造作もないこと、だってみんな馬鹿なのだから。わたしの本質なんか見ようともしないで、むしろそんなものがあることにすら気がつかないで、ただハリボテのわたしだけを見てわかった気になるやつばかり。浮気をしたって、何股もしたって、少し泣いて言い訳すればみーんなわたしを信じたの。誰もわたしを壊せなかった。わたしを暴けはしなかった。彼らにとって、わたしは可憐な花だったから。
 昔から聞き分けも良く手のかからない子だったわたし。裏で疑惑の種が蒔かれても、芽が出る前に踏みつぶせたわたし。何でも出来たわたし。何でも叶えられたわたし。何をせずとも勝手に育ってしまったわたし。そんな娘が長女だったからこそ、両親はこれを当たり前と考えるようになってしまったのだ。
 なまえが歪んだのはわたしのせい。直接的にも、間接的にも。両親の価値観を歪めてしまったうえ、なまえ本人にも手をくだして、何度も何度も酷い仕打ちを見舞った。あの子が泣いている姿を見て、わたしは罪悪感を覚えるどころか醜い快感に浸っていた。傷つくあの子が好きだった。怯えるあの子が可愛かった。何にも出来ない出来損ないの妹が、ひたすら愛おしくて堪らなかった。――あの子が幸せになることが、わたしはずっと許せなかった。
 わたしはどれほど愚かだったのだろう。どれほどあの子を傷つければ気が済むのだろう。どうしてやめられなかったのだろう。思い返しては足元がふらつくのだけれど、結局のところわたしはただの加害者であって、苦しむ権利は微塵もない。これは紛うことなき罰なのだ。あの子だけじゃない、何人もを傷つけて蹴落として痛めつけて嘲笑って、世界というものを見下していた悪魔のわたしに架せられた、真っ当で相応の罰なのである。
 きっと死ぬまで苦しまなくちゃいけない。否、死んでも地獄の業火で喘がなければならないだろう。けれど死んだら何にもならないのだから、せめて生きているうちになまえだけでも――あの子の幸せの手伝いが出来たらと、わたしはそう思っている。
 わたしの幸せを犠牲にしたって、どうか、あの子だけは――
「ねいむさん! 見てください、雲ひとつない青空ですよ!」
 彼の声が耳に滑り込む。途端、真っ暗闇に沈んだ世界は明るい光が射し込んだ。足元に這い上がる蛇が溶けるように消え去って、うつむいていた体も自然と空を仰ぎ始める。確かにそこには快晴が広がっていて、なんだか普段見ているよりも数倍晴れやかに感じてしまう。
 ……きれい。自然と口からこぼれ出た言葉に、咲也くんは笑みを濃くしてこちらを見る。
「ごめんなさい。ねいむさん、なんだか考えごとをしてたみたいで話しかけづらかったんですけど……ふと見上げた空がすごく綺麗だったので、つい」
「あ……こちらこそごめんなさいね、せっかく一緒にいたのに」
「全然! ねいむさんお疲れみたいだし、早く寮へ帰りましょう」
 差し出された手のひらに、そっと右手を乗せてみる。咲也くんははにかむような顔をして前を向き、寮への帰路を歩き始めた。
 宛もない散歩に出かけた先で出会った咲也くん。わたしを見つけるなり反対側の歩道から声をかけてくれて、信号が待ちきれないとばかりに足踏みする姿がとっても可愛らしかった。合流したあと何の用もないことを伝えると、なら気晴らしに寮へ遊びに来てください、とのお誘いを受けて、今だ。咲也くんはいづみさんに買い出しの用事を任されたようで、片手に買い物袋を下げている。持つのを手伝おうかと訊ねると、女の人に荷物を持たせるわけには行きません、と断られた。
 つないだ手のひらから優しさとあたたかさが伝わってくる。彼はわたしの光だった。彼と出会えたからわたしは変われて、彼がいるからわたしは前を向けているのだと思う。罪の意識に負けることなく立ち向かうための勇気を、きっと他でもない彼がわたしに与えてくれているのだ。
「咲也くん、ありがとう」
「? ……はい、どういたしまして……?」
 こんなことを望むのは間違っているのかもしれない。浅ましくて、愚かしくて、馬鹿みたいだと嘲られるかも。それでもほんの少しだけ、せめてわずかな時間でも彼の側にいることを、彼の笑顔がわたしに向いてくれることを願ってしまうわたしを、誰かに許してほしかった。
 こんなにも強く愛されたいと願いそうになったのは、彼が初めてかもしれない。

20180604
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