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うたをうたって

 ――あ、新作来てる。
 行き詰まる作業の合間、休憩も兼ねて動画サイトを巡っていたときだった。かねてより世話になっていたとある歌い手のチャンネルに、新作の歌がアップされていたのである。
 元々こういった文化には詳しいわけではないのだけれど、数年前作業用BGMを探してたどり着いたこの歌い手に、俺はいつも助けられてきた。伸びやかで感情豊かな歌声は、「#name5#」という名前に相応しい繊細さとあまりある力強さを兼ね備えていて、集中が途切れたりネタに詰まったりしたとき、俺に力を与えてくれた。少し前までは、アマチュアが音声合成ソフトを使って作曲したものを歌ってみるといったものばかりだったのだが、近頃はオリジナルの楽曲を提供してもらてもいるらしい。今回あげられたのもオリジナルのものだった。
 ヘッドホンをつけ直して、再生ボタンを押してみる。落ちついたイントロから一変、激しくも切ないメロディラインは彼女の持ち味を十二分に発揮するものだった。4分52秒という再生時間はあっという間に過ぎてしまい、俺は考えるよりも先にリピートボタンを押下する。
 ……うん。なんかやれる気がしてきた。
 姿勢を正し、軽く伸びと深呼吸をしてから、俺は再び文字の羅列と向き合った。


 翌朝、ふらつく体で談話室に顔を出すと、どこか上機嫌な至さんと出くわした。予想以上に機嫌が良いのか、珍しく鼻歌交じりにスマホをいじる至さん。その旋律にどこか聞き覚えがある気がして尋ねてみると、やはり至さんも#name5#の歌を聞いたらしい。俺もファンなんだよね、綴もそうだとは意外だな、そう言う至さんはまるで自分のことのように嬉しそうな顔をしていた。まさか至さんが変声機を使って録音してるんじゃ――その愚問は脇腹チョップで遮られてしまった。
 ――そういえば、なまえもその人のことすんごく好きなんだ。もうガチファンかってくらいの熱の入れようだからさ、その辺の話してやると喜ぶと思うよ。
 そう言った至さんは、やはりご機嫌な顔で出勤していった。どこか含みのある笑顔が気になったが、まあ好きな人が多いというのはにわかファンながら嬉しいものだ。思えば再生数の伸び方も結構な速さであったか、こういった界隈の人たちには有名な歌い手なのかもしれない。原曲を知らない俺ですらここまで惹き込ませるのだから、なるほど人気のわけも頷ける気がする。
 本当にすごい人なんだな――独りごちながらプレイヤーを取り出す。ふと目をやった画面にはやはり彼女の歌が表示されていて、思わず噴き出しながらソファに腰を下ろした。今日の朝食はカレーコロッケサンドだそうだ。


 ――綴くん! 背後から呼び止められて振り返る。目線を少し下げた先にいたのはなまえだった。小さく息を整えているあたり、俺の背中を見つけて走ってきたのだろう。相変わらず人懐っこいというかなんというか、これでゲーマーじゃなければな……なんて、至さんに対するものと同じ感想を抱きながら、少し乱れた髪の毛をわしゃりとかき混ぜる。もう! と怒るなまえはどこか楽しそうな顔をして、俺の隣へ並んだ。どうやら今日もうちの寮へ立ち寄るつもりのようだ。
 そういえば、と思い返して、至さんに言われた通り#name5#の話題を振ってみる。なまえも好きなんだろ、と前置きしたうえで、彼女の歌のどこが、何が好きなのかを伝える。音楽方面には明るくないけれど、彼女のビブラートが気持ち良くて好きなんだ――なんて、ちょっと格好つけてみたりもして。
 俺の語りようがおかしかったのか、当のなまえはなんとなく居心地が悪そうに俯いていた。うん、うん、と細切れの相槌は震えているようで、もしかして引かれてしまったかと背筋が冷える心地を感じる。ごめん、と謝ろうとしたところで、至くんには何にも聞いてないの、と尋ねられた。何を? と尋ね返すと、なまえは真っ赤な顔を上げて俺のことを見つめてきた。
 ――それ。その、#name5#って人、あたし。
 時が止まった気がした。あれが、なまえ。俺は、なまえの歌をずっと聞いていた――? なまえの歌を作業のお供にして、力をもらって、というか本人に対してあんな熱く語ってしまったと。何か失礼なことを言いやしていないか羞恥がぞわりと足元から這い上がってきたけれど、それよりも俺の胸を占めるのは至さんへの怒りだ。あの人、俺のことをからかいやがったのか! ……マジ殴る。
 気まずい沈黙を拭えないまま、気づかないうちに満開寮にたどり着いていた。ただいま、おじゃまします、おかえりなさい、いらっしゃい。そんなアンサンブルを玄関扉と共に潜りながら、俺たちは談話室へ足を踏み入れる。そんじゃあ俺は一旦部屋に帰るから、なまえはゆっくりしてけよな、そう言って自室へ戻ろうとしたとき。くい、と袖を引っ張られる。犯人は言わずもがななまえであった。
 ……ありがとう。好きでいてくれて嬉しかった、から、これからも頑張るね。
 照れ笑いと一緒に伝えられたその言葉に不覚にもどきりとしながら――俺はぎこちない笑みを返したのだった。

20180504
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