笑っているのに、なあ
たった二人きりの狭い天幕のなか、聞こえてくるのはファルシオンを手入れする無機質な音だけだった。
あいにくとナマエにそれを振るえるだけの素質はなく、父クロムから封剣を引き継げたのは姉のルキナのみであった。別に自分に素質がないことを、姉にばかり才があることを妬んだことなど一度もない。むしろ悔やむべきはおのれの力不足と弱さだ。
自分がもっと強ければ。前に立ち皆を守れるだけの技量があれば、他人を率い上に立つ者のカリスマ性を持っていれば。そうすれば、今もルキナはこんな血なまぐさい戦場に足を踏み入れることはなかったかもしれない。絶望の未来が何だ、邪竜が何だ、たった一人のか弱くも優しい姉を、血にまみれさせ屍の上に立たせることはなかったかもしれないのに。
ナマエは知っている。ルキナは本来こんなところにいるべきではない、花を愛で季節の風に吹かれるような、心優しいお姫様であることを。弟としてずっと彼女のそばにあったものとして、ナマエはその確信をずっと胸に秘めている。
だからこそ。だからこそ、そんなルキナを凄惨なこの状況へ投入せざるを得ない今がひどく恨めしい。絶望の未来に打ちひしがれた、あの日のルキナの背中をナマエは決して忘れない。業火に飲まれるイーリスの城も。音を立てて崩れ去ってゆく街も。自分を庇って死んでいった、憐れで愚かな母親も。
その何もかもがこの両のまぶたに焼きついて決してなくならない。夜になるたび思い出すのだ。ぐるぐると視界をまわるあの惨状がよぎるたび、ナマエは苦い気持ちになって負の感情を育ててしまう。
真っ当がゆえに募るであろうルキナの父に対する敬愛も、ナマエに暗い気持ちを抱かせる要因のひとつであった。たった一人の姉に対して並々ならぬ想いを抱くナマエにとって、ルキナを変え、ルキナに関心を向けさせるすべての事象が、この上なく憎くて妬ましい、看過できないものであるのだ。
「ふふ……今日も綺麗にできました」
どこか楽しげにファルシオンを見つめる姉を見ながらも、ナマエはまた煮え切らない思いを抱えている。
20201022