星空を夢見て

私だけの秘密

 私はあの日、生まれて初めて初恋の人に会った。
 誰よりも特別で、大好きで、焦がれてやまなかったその人――バーチャル・シンガーのKAITOが、あのとき確かに私の目の前にいたのだ。
 初めてカイトさんと面と向かって話して、名前まで呼んでもらえて――私にとっては夢のような時間だった。これからの人生でずっと抱きしめておける宝物を、やっとの思いで手に入れた気分だ。
 小学生のときに恋をして、中学生のときには現実を直視できずにひどく荒れて……そんな私も高校生になり、やっと吹っ切る覚悟を決めた。しかし人間そんなすぐには変われないもので、結局イマイチ踏ん切りがつかないままもう一年が経つのだけれど、よもや当人と出会う機会がめぐってくるなんて思いもしなかった。
 もしも神様がいるとしたら、私はものすごく好かれているか、もしくはものすごく嫌われているかの、そのどちらかなんだろうな――

 屋上の隅で大きめのため息を吐いた刹那、ふと隣に人の気配を感じる。誰だ、と視線を向けなくても、そこにいるのが誰なのかくらいすぐにわかった。
 その人も私に悟られたことを察しているのだろう、変に名乗るようなこともせず、静かにそこに立っていた。

「……カイトのことか?」

 想像よりも重たく、けれど気遣わしげな彼の――天馬の声に目を見開く。彼にしては珍しい、むしろまったく似つかわしくない様子に、つい、どうして、と訊ねてしまった。
 私の不躾な問いにむやみに言い返すこともなく、天馬は相変わらず重たそうな口を、もごもごと動かしながら話し出す。

「どうして、と言われてもな。お前、この間カイトと会ってからずっとその調子だろう?」
「う……ん、そう、だけど」
「お前がセカイに行くきっかけをつくってしまったのは、どうやらこのオレのようだからな。もしもオレに話せることなら好きなだけぶちまけて、それで気分を晴らしてもらえれば、と思ったんだが――」
「――」
「もちろん、言いづらいことを無理に聞き出すようなつもりはないぞ。ただ、オレにできることがあれば何でも言ってほしいんだ。オレたちは『一蓮托生』、だろ?」

 言葉を選びながら話してくれていることが、天馬の声と表情からありありと伝わってくる。
 ずっと、ずっとわかっていたことだ。天馬司という男がどんな人間なのか。それはきっと、彼が私を見つけてくれたあの日から、何よりも理解していたこと。
 目を焼くような太陽のごとき彼は、喋ればとてもうるさいし、歩いているだけで騒がしいし、何をやっても馬鹿みたいに目立って、でも、いつもとても堂々としていて、楽しそうで――
 こんな私のことを相方だとか仲間だとかいって受け入れてくれる、とても、とても優しい人だ。
 けれど、否、だからこそ。私の抱えているこの感情を、拗れきった想いを打ち明けることへの恐怖がある。夢見がちで、世間知らずで、非現実的で馬鹿な恋だと呆れられるかも。幼い頃の淡い憧れを今になっても抱えたまんまの、危うい人間だと思われるかもしれない。
 今まで誰にも打ち明けられなかった私の秘密。私の、私だけが持っていた、たったひとつの恋心。
 その、宝物のようで呪いでもあるこれを、天馬は……天馬なら笑ったりせずに、認めてくれる、だろうか。
 たくさんの人を笑顔にするため、夢に向かって突き進んでいる彼ならば、もしかしたら――

「じゃあ……ひとつだけ。お願いがあるんだけど、いい?」
「できることなら何でも言ってくれ、と言っただろう? 任せてくれ」

 少しだけ安堵したような天馬の顔。胸をぽんと叩く様子はなんとなく芝居がかっていて、張りつめていた気持ちがほんのり和らぐ。
 つまっていた呼吸が通ったような、そんな感覚。屋上の風を感じるだけの余裕が、どうやら帰ってきたらしい。
 私たちの間を通る風はひどく爽やかで、それをひどく心地よいと思うのに、反面、どこか嘲笑われているような気分にもなった。

「私を、もう一度セカイへ連れてってほしいんだ。そこで全部……話す、から」

 声と足は、未だ震えたままだ。


  ◇◇◇


 ワンダーランドのセカイに来るのは今回で二回目だ。相変わらずきらびやかで、楽しそうで、まるで幼い頃の思い出を追うような夢のセカイである。
 騒がしいのに、うるさくない。落ち着きだってまったくないのに、どこか安らぐこの場所。私にとって、なんとなく不思議な感情を抱かせる。
 そういえば、ミクはここが天馬の想いでできたセカイだと言っていた。きっとこのセカイにあるすべてが彼にとって大切なもので、かけがえのない思い出がたくんつまっているのだろう。
 そんな場所に足を踏み入れて、私は……もしかすると、彼の大切な想いを穢すかもしれないようなことを、彼の目の前で、するのだ。

「司くんともう一人、誰が来たんだろうと思ってたけど……そうか、輝夜ちゃんだったんだね」
「あ……は、はい。今日は、カイトさんにお話があって」
「僕に?」

 喉が、震える。手も足も、心臓ですら震えていて、今にも言葉の代わりに内臓が飛び出してしまいそうだ。
 けれど――はやく、言わなくちゃ。私は過去の私と決別して、前に進まなくてはいけないのだから。

「カイトさんに、お願いがあるんです。私の頼みを、聞いて、ほしくて――」

 涙は決して流さない。それだけ決めて、ここに来た。
 カイトさんの青い瞳が、じっと私を見つめている。海よりも深くて綺麗な蒼。すべてを見透かすようでも、みんなのことを見守るようでもある、慈愛の象徴のような色。
 ずっと、ずっと好きだった。私にとって、誰よりも何よりも狂おしい唯一無二の人。

「お願い……します。私のことを、振ってください」

 私は今から、幼い頃の自分に、最初で最後のさよならをする。


2022/03/02
2022/09/01 加筆修正


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