星空を夢見て

種をまこうか

「『まさか、こんなところに人が来るなんて――いらっしゃいませ、王子様』……うーん、」

 本日は、栄えあるフェニランのステージ脇にて。大切な台本を片手に、私は首を傾げながらうんうんと唸っていた。頭の中にある役柄のイメージと自分のすがたがうまく重ならず、なかなか納得のいく演技ができないのだ。
 ドかつくほどの素人とはいえ、やるからにはきちんと全力を出したい。未経験者が経験者と並ぶためには、わずかな妥協も許されないのだから。
 ラプンツェルが題材の映画だとか、小説とか――それらしいミュージカルなんかにも手を出してはみたものの、いまいち自分のなかに落とし込めていない気がする。「演劇未経験」の「素人」であるという現実が、今頃になって重たくのしかかっていた。

「……せっかくのチャンスなのに、なあ」

 一生に一度あるかないかの好機が、私の目の前を通り過ぎようとしている。これを逃してはもう何も変われないかもしれないなんてくらいの僥倖が、此度のショーの誘いであった。
 私は、このチャンスを活かすこともできずに終わるのだろうか――焦りを通り越して苛立ちまでもが足元から這い上がってくるようで、ついには寒気までしてきた。そのうち知恵熱でも出そうだ。
 ぐるぐるとネガティブなことばかり考えて顔を渋くしていると、刹那、スマホがけたたましい通知音を鳴らす。おそらく父からのメッセージだろう。
 ここでキャストをすることは了承済みであるのだが、不肖にも練習が行き詰まっているせいでついつい帰りが遅くなってしまい、無用な心配をかける日々となっている。
 ……申し訳ないな。心のなかで静かに謝罪し、通知だけ確認してスマホを閉じようとしたときだ。画面にデカデカと表示された時計が目に入って、私は思わず手を止める。
 なんで連絡なんか寄こしてきたんだ、と思っていたけれど、それも納得の時刻であった。数回瞳をしばたたかせて周囲を見ると、あたりはすっかり暗くなろうとしていたのだから驚きだ。これほどまでに集中してしまうなんて、数日前の私なら露も思っていなかっただろう。
 さすがにそろそろ帰らないといよいよ迷惑をかけてしまう。父にとって自分は唯一無二のひとり娘なのだから、振る舞いには充分気をつけなければいけないと、一応ながらそういう意識も持っているつもりだったのに。
 無駄に居座っていても時間を浪費するだけだし、今日はもう帰ってしまおうか――そう思い、私はゆっくりとその場を立ち上がる。
 こちらに向かってくる人影に気がついたのは、地べたに座り込んでいたおかげで汚れてしまったジャージを軽くはらい、適当に荷物をまとめた頃だった。

「輝夜、まだいたのか?」

 ひょっこりと現れた天馬は、私のすがたを見て少しばかり面食らったような、けれどもなんとなく嬉しそうな様子で近寄ってくる。どうして戻ってきたの、と聞くと、忘れ物をしてしまったのだと言った。

「時間を確認しようとしたのに、スマホがなくてな……今日は特に寄り道もしていなかったから、きっとここにあるだろうと思って」
「……あんた、前にもスマホ忘れてあーだこーだ言ってなかったっけ?」
「うん? ……ハッハ、なんのことだ。気のせいだろう」

 図星丸出しの様子には思わず笑ってしまった。張りつめていた空気がなんとなく払拭された気がして、私は深く長く息を吐く。
 当の天馬はいささか不満そうであったが、そんな物言いもまたおかしくて、地味に私の笑いを誘う。
 天馬が私のことを訊ねてきたのは、そんな談笑が一段落ついた頃であった。

「お前、こんな時間まで練習していたのか」
「え? ああ……まあ、一応ね。私はみんなと違ってズブの素人だし、二倍……ううん、三倍くらい練習しないと追いつけないから」

 頬をかきながらそう言うと、天馬はひどく感心したようにうなずく。彼自身にも覚えがあるのか、それとも他に何か理由があるのか……真相はわからないまま、私はどこか軽い足取りで荷物を置く天馬の背中を、じっと目で追っていた。

「頑張るのはいいことだ。ただ、何事もやりすぎはよくないし、一人では行き詰まってしまうだろう」
「天馬――」
「何より、女の子が一人で遅くまで残っているのも危ない。オレも付き合おう」
「え……えっと、いいの? あんたも用事とかあるんじゃ」
「なに、お前だってワンダーランズ×ショウタイムの仲間じゃあないか! ……それに、姫の相手は王子だと、相場が決まっているだろう?」

 お手をどうぞ、と天馬が言う。やけに整った見てくれと洗練された動きはまさに王子然としていて、天馬相手だというのに一瞬胸がざわついた。

「『監の乙女よ、さあこちらへ。……共に、この広い世界を見に行こうではないか!』」

 天馬の――否、王子の誘いに、私の意識は自然と舞台のうえへ切り替わっていく。今の私は「玉村輝夜」ではなく「監の乙女」その人で、目の前にうやうやしく立っているのも「天馬司」じゃない、ラプンツェルの「王子」だった。
 天馬のちょっとした動作で、さっきまでの違和感やぎこちなさはどこへやら、一挙一動がすんなりと監の乙女のものになる。
 こんなふうに、誰かを引っ張りながらショーの世界をつくることができるんだ――天馬だけじゃない、他のみんなもきっと同じような力を持っているのだろう。私のような知識のない素人には到底埋められようもない差というものが、今まさにずんと重たくのしかかった気がする。
 けれど今は、私だって同じ舞台に立たせてもらえる立場なのだから。私にあわせて脚本を書き上げてくれた天馬にも、付き合ってくれる神代、えむ、寧々、それから着ぐるみの人たちにも恥じないすがたを、私は見せなければいけない。
 ……否、絶対見せてやるのだ。誰も彼もをあっと驚かせるようなショーを。みんなの関心をぐっと集めて、そして――

「みんなが笑ってくれるような、素晴らしいショーにできるといいな」
「! ……うん。そうだね」

 それは、私の世話したお花を見て、笑ってくれた人たちのように。
 私の演じる何かで、誰かの心に小さな花を咲かせられたらと――そう、願ってやまないのであった。


「あ……待って。もう少し遅くなるって、お父さんに連絡してからでもいい?」
「なにッ!? ご家族に心配をかけてはならん、はやく断りを入れておけ!」
「あはは……うん。ありがとうね」


2022/02/24
2022/09/01 加筆修正


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