夢見る彼女に誓いの接吻を

「ま、ダメって言われても離すつもりないけどネ」

内心、喜びと驚きといろんな感情で焦りまくりだったのに余裕なフリをして、そんな台詞を彼女に囁いたのはもう随分昔のこと。

始まりに限って言えば普通じゃなかった俺たちも普通のカップルのようにデートをして思い出をたくさん作って。

「一緒に住まねェ？」

大学４年、お互いの就職が都内に決まってすぐの頃、静岡に遊びに来ていた彼女に断られるのを覚悟で告げると、まさに満面の笑みに大粒の涙で喜ぶ彼女を抱きしめて、交際歴より１年近く昔から知っている彼女の身体をその日も変わらず大切に抱いた。

＊＊＊

そんなこんなで東京で一緒の生活を始めてから２年と少し。

『お姫様、元彼に迫られてるぜ』

送られてきた写真に写るのはめかした格好の名前と昔中庭で彼女に別れを告げていたあの男。

『それにしても、苗字さんすげー綺麗になったな』

こっちは知ってンだよ、そんなこと。

そんな報告を送ってきた元エーススプリンターに心の中で文句を吐いてスマホをパソコンの横に置く。苛立ちが表に出てしまったのか置いた時に思ったよりも大きな音が出てしまい、斜め前に座っていた後輩に苦笑いをされた。

「悪ィ」
「いや、気持ちはわかります」

今日は２５歳という節目で開催される高校の同窓会に参加する予定だったというのに、昨夜、名前と夕飯を食っていたら上司からの電話。夜の電話にいいことはない。要件は、クライアントの急な依頼の変更だかなんかでどうしても明日出勤できないか。

イラッとした表情をしてしまった俺の髪を優しく笑いながら撫でる彼女に免じて上司に承諾の返事をしたことを後悔する。楯突いてでも断ればよかった。

『靖友、終わりそう？』

また新開からの連絡かと思いきや、彼女から。

『あと１時間くらい』
『はーい』
『浮気してんじゃねーぞ』
『してないよ(笑)』

ハァ…と盛大なため息をついた俺を、後輩が笑う。

「笑ってる暇あンならさっさとやれヨ」
「すいません」
「さっさと終わらせっぞ」

それからどうにかこうにか仕事を終わらせ、後輩には早々と別れを告げて、急ぎ足で同窓会の会場に向かう。

間に合うよな、多分。

『随分しつこい男なんだな』

新開からまた写真が送られてくる。

名前の隣をがっちりキープしたその男は、彼女の背後に手を置いて、隣に座る名前は困り顔。

「だから、どうにかうまいことあしらえっつーのに」

下手なのだ。男をあしらう術が。

就職してすぐの頃、職場の先輩だとかいう男に言い寄られていた時も「いい人だから」とか言って結局二人で食事に連れていかれる手前で俺が迎えに行くという強硬手段をとって牽制したし、大学の時は驚かせようとうちの大学へきたらしい彼女が面倒臭い男に絡まれていて、驚く暇もなく慌てて彼女の元へ駆け寄った。

まあ、下手だから、俺がつけ込めたのかもしんねェな。

＊＊＊

彼女のことは所謂セフレになる前から知っていた。東堂に借りた辞書を返しに行った時、隣に座っていたのが名前で、何を勘違いしたのか「綺麗な女性だろう、苗字名前さんだ、残念ながら彼氏がいるがな」と彼女が去ったあと小声で東堂が教えてくれたのだ。

雨に濡れて涙を流し続ける彼女を見て欲情しない男がいるなら教えて欲しい。今考えれば、あの現場に立ち会ったのが自分で良かったと心底思う。身体の関係だけのはずが、いつからか彼女の瞳が俺だけを見ればいいのにと思うようになって。

付き合い出したと東堂に報告した時は「美女と野獣だな、よくお前に捕まえられたもんだ」と失礼極まりないことを言ってきた奴のカチューシャを引っこ抜いた。

遠距離恋愛は思っていたよりも大変で、幾度となく喧嘩もしたし、朝一で車を借りて彼女の住むアパートまですっ飛んで行ったこともあった。

勝手にチャリ部のマネージャーとの関係を疑って怒り出した彼女の誤解を解くこともできずに１週間連絡を取らなくなったり、かと思えば明らかに彼女に好意を抱いていたバイト先の男に警戒の「け」の字も見せない彼女に俺が怒った時もあった。

そんな名前との関係もあっという間に７年近く。互いの実家にも頻繁に訪れるような、そんな関係になり。

『早くした方が良さそうだぜ』

そんな名前との今までを思い返していると、またもあの男からのメッセージ。

さっきから、危なさそうならひとまずお前が阻止しといてくれよ、と明らかに面白がっている旧友には返事をせず、送られてきた写真を見ると、彼女の細い肩に回された手。

今日はノースリーブのワンピースだ。昨日もその前も、いつも俺が触れている二の腕に他の男の手が触れていると思うだけで背筋がゾッとする。

「クッソ」

タクシーの中で彼女に連絡するも、既読さえつかない。

「あンのバァカチャンが」

それから数分でタクシーは会場の前へ。

「よっ、靖友」
「お前、とりあえずアイツ救出しとけっつーの」
「だって俺、苗字さんと喋ったことあんまないし」
「コミュ力お化けの力の見せ所だろーが」
「靖友からからかうの面白いし？」

相変わらずのポーズを決めた男に舌打ちをして、場所を訪ねる。

「あっち」

指差す所には、未だ肩に回された手に辺りをキョロキョロと見渡す名前。どうやら仲の良かった友達が別のグループに捕まっているようで、そっちに助けて、という目線を送っているようだ。

「ほんと、アイツは…」

ヒュウ、とそろそろ成長しろと言いたくなるほど高校生の頃と同じ揶揄い方をする男と別れて彼女の元へ。

「ね、名前、いいじゃん、抜け出そう？」
「だから私、彼氏いるって言ったよね」
「ほんと、名前綺麗になった」
「ねえ、私の話聞いてる？」
「いいじゃん、久しぶりにさ、彼氏には内緒で」

本当に、手のかかる彼女だ。

「オイ、名前、家に忘れてたから持ってきてやったヨ」

たまたまカバンに入っていた彼女のハンカチ。忘れ物でもなんでもねェけど。

「は？」
「靖友」
「で？元カレさんが何の用だヨ？」
「…え、待てって、彼氏って、荒北？」

卒業間際に付き合い出した俺たちの関係は知らない人が大多数だろう。

「ドーモ」
「絶対俺の方がいいって」

大して話したこともねー男にそんなこと言われたくねェよ。

あの頃よりだいぶ大人になった、こういう性格の悪い奴に食って掛かってもいいことはないと知っている。さて、どうこの男を…と考えていると、その男に見向きもせずに名前が俺の腕にくっついて来た。

「…靖友、疲れちゃった」
「ン」
「帰ろ？」
「しょーがねェなァ？俺来たばっかなんだけどォ？」

口ではそう思ってるけど、俺の本心じゃないことは名前には伝わっているだろう。

「唐揚げ作ってあげる」
「ラッキー」
「だから、帰ろ？」
「しょうがねェな」

名前の足元に置かれていたバッグを取って。

「忘れモン、ないかァ？」

茫然としてる元カレ男は無視だ、と思っていたのに、名前が口を開く。

「何を根拠に言ってるのか知らないけど、靖友よりいい男なんてどこにもいないから」

ほんの少し離れた場所から俺たちを見ていた世話焼きのあの男が「ヒュウ」という声が聞こえた。

「ンな恥ずかしいこと、言ってンじゃねェっつーの」

一人でいる時にそれくらい強気で言えよ、本当に。

「感謝するわァ、お前がコイツのこと、フッてくれたおかげで俺、付き合えたからァ？」
「靖友、余計なこと言わなくていいから」

もう行こう？と俺の手を引く彼女は、会場中の注目の的になっていることには気がついているのだろうか。

「バァカ」
「え？」
「好きっつったの」

彼女によって止められたタクシーに乗り込んであの元カレの文句を言う彼女にそう伝えると、顔を赤くして微笑んだ。

「私も」

彼女がクロークから引き取ったコートを肩にかけてやると嬉しそうに綺麗に巻かれた髪を揺らしながら俺の肩に頭をコツンとのせる彼女が愛おしい。

「お前さァ、もっと他の男警戒しろっつーの」
「はーい」
「ンとによォ」
「でも靖友が助けに来てくれるから」
「困ったお姫様なこってェ」

小さく笑って、そんなところも好き？と聞く彼女に、俺は随分骨抜きにされているらしい。

「靖友、家帰ったらチューして」

酒の飲みすぎたバァカ。
珍しくタクシーの中で恥ずかしいことを言う名前の左手を握り、薬指を撫でる。ココに、最高の男避けをさっさとつけてやりたい。

「ン、ついでにィ？あの男に触られてたトコも全部消毒してやるヨ」

バカ、と慌てて俺の口を抑える名前、そっちが先に言い出したんだろ。

まだ俺の親指が撫でているその指に輝く宝石が乗るのは、あと少し先の話。

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