荒北:例えば明日、恋に落ちたら
side:白波亜梨沙
「亜梨沙、何線?」
「山手線で帰ろうかな、芽依は?」
「ん、今日は隼人の部屋行こうかな、ここから近いし」
「そっか」
「アー、俺、送ってく」
連絡先って、聞いたほうがいいのかな、これで終わりかな、私は荒北くんのことすごく良いなって思ったんだけど、なんて1人でモヤモヤ悩みながら芽依と話していると、その後ろから荒北くんが声をかけてくれた。
「ヒュウ」
「隼人」
冷やかす新開くんを芽依が窘めて、こちらを見る。
「お願いしようかな」
私のその反応を見て嬉しそうに微笑むと芽依は荒北くんに向かって口を開いた。
「じゃあ荒北お願いね、ちゃーんと!送ってね」
「ハイハイ」
「亜梨沙も、私たち地下鉄だからここでね、またご飯行こうね」
ブンブンと効果音をつけたくなるくらい大きく手を振っている芽依と別れて足を駅の方向に向ける。
しばらく無言で歩き、ちょうど横断歩道が赤になったところで立ち止まる。
「アー、白波サン、連絡先聞いて良いィ?」
「あ…うん」
…ひゃー!嬉しい!嬉しい!どうしよう!
なんて、久しぶりのこんな展開、胸の中からフツフツと幸せな何かが込み上げて、必死で普通を装いながらスマホを開いた。
「アー、ンのさ、よかったら今度どっか出かけねェ?嫌だったら断ってくれていいからァ…」
少し自信なさげに目の前の彼がデートのお誘いをしてくれて、普通を装おうとしてるのに食い気味で頷いてしまった。
「ぜ、ぜひ!」
それから駅について電車に乗って。荒北くんの家は私の家から3駅離れた場所にあるらしい。
「じゃあ」
そう告げて最寄駅で電車を降りようとしたら「俺も」とドアが閉まる寸前に彼もホームへ降り立った。
「え?」
「ちゃんと送ってけって芽依チャンに言われたしィ?」
ぶっきらぼうにそう私に伝える彼の耳は酔ってるからなのか恥ずかしいからなのかほんのり赤い。
「ありがと…」
お礼を言うと静かに「ン」と答えた彼は確かに先日芽依が言っていた通りとてもいい人のようだ。
先月妹と観に行ったミュージカルの話とか、芽依と卒業旅行で行ったハワイの話とか、そんな話をしながら私の家まで歩く。
「あ、ここ」
可愛らしい見た目が気に入っている小さなアパートだ。その入り口の前について彼にお礼を伝える。
「わざわざありがとう」
「ン」
どうすればいいのだろう。こんな時。最後に彼氏と別れたのは大学2年の頃、もう数年前の話で、大人の恋愛の進め方がわからない。
「アー、来週の日曜暇ァ?」
「え、あ…はい…」
「じゃあ空けといてほしいンですけど…」
精一杯の意思表示で頷くと彼はハッと笑って一歩後ろに下がった。
「ンじゃ、また連絡するからァ」
「うん」
「今日はあンがとねェ」
「こちらこそありがとう」
「じゃァ部屋まで気をつけて」
「荒北くんも!気をつけて帰ってね」
もう一度ありがとうと告げて彼に手を振った。
ドキドキとうるさい心臓を抑えながらアパートの階段を一段一段踏みしめて登る。
少し頑張って履いたヒールの音が階段を踏むたびに鳴り響いて、普段なら仕事終わりの疲れを助長するだけのものなのに、今日はとても幸せな音に聞こえた。
部屋に着くとすぐスマホが震える。LIMEの通知が2件。
1件は芽依から。ちゃんと帰れた?今日はありがとう、また近々ご飯行こう、そんなことが書かれていた。
そしてもう1件は先ほど連絡先を交換したばかりの彼。
『ちゃんと部屋帰れた?』
すぐ下まで送ってくれたのに、そんなことを聞いてくれる彼にギューっと心臓が締め付けられる。
『帰れたよ、ありがとう。荒北くんは駅ついた?』
この文章を送るのに5分。中学生か私は。
『着いた。これから電車。来週の日曜、良かったら映画でも』
スマートに誘ってくれる彼へのときめきをスマホを握る手に力を入れて噛みしめる。
『喜んで』
それに続いて送るスタンプを数少ないリストの中から選んで送信した。
「どうしよ…」
好きなのかと聞かれればそういうわけでは無い。そもそもそんな簡単に好きになれるほど私は単純にはできていない。でも、もっと荒北くんのことを知りたいと思っていることは間違いなかった。
久しぶりに感じた人への恋に近い好意を少し恥ずかしく感じながらも、心に染み渡る春のような暖かさに嬉しくなりながらベッドに体を沈めた。
***
『荒北くんと映画行くことになった』
『えー!展開早!荒北やるな意外と』
『つきましては来週末までに洋服を買いに行くの付き合って頂きたいのですが』
『ガッテン承知』
「…ガッテンって」
荒北くんに送ってもらった次の日の昼、芽依に昨日のお礼と合わせて買い物に付き合って欲しいとお願いしたところ、ガッテン承知という言葉と謎のスタンプが送られてきた。
『ありがと』
そう彼女に送ると暫く経ってから長いメッセージが送られてきた。
『荒北は本当にすごくいい人で、絶対に彼女のこと泣かしたりするような人じゃないし、私の知ってる男友達の中で、福ちゃんと同じくらい日本全国の女子にオススメしたい男なんだけど、でも紹介だからとか気使わないで、合わないなって思ったらやめていいからね、だからあんまり深く考えずに楽しんで!ほしい!私は荒北の幸せより亜梨沙の幸せの方が大事だから!』
色々考えて送ってくれたのであろうそんな文章を読んでおもわず笑ってしまう。
『わかってる、荒北くんいい人だなって思ったから、もう少し仲良くなってみるね』
そう返事をするとすぐに芽依から変なスタンプが送られてきた。
「出た、芽依のスタンプ芸」
自分しかいない部屋で呟いた独り言は昨日までと違って少し弾んで聞こえてきて。どんな洋服を買おうかとリビングテーブルに置いたコーヒーを片手に今日の朝買ってきたばかりのファッション雑誌を開いた。
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