悠人:ストロベリィ戦争
「ハッピーバレンタインでーす」

部活終わり、各々シャワーを浴びて制服に着替え終えた頃、まだジャージ姿の楓ちゃんが、ロッカーから重そうな紙袋を取り出してそう声を上げた。

思い出してしまう、今日1日のこと。朝からいろんな人にチョコレートをいくつも差し出され、甘いもの好きだからラッキー、なんて思いながら受け取っていた。問題はそこからだ。何故かチョコを受け取る度に頭に浮かぶのは、普段喧嘩ばかりしている生意気で大人びて見えるけど実は子供っぽいところのあるマネージャーの顔。それを必死で頭をブンブン振ってかき消した。彼女が誰かにチョコレートを渡していても俺には関係ない。

おかしいのだ、ずっと。ずっとずっと。悠人くん、と楓ちゃんに呼ばれる度に心臓の音が大きくなるのも、部活に顔を出してくれた葦木場さんと楽しそうに話しているその姿にモヤモヤするのも、10回目のいちごミルク以降、彼女が俺のためだけに作ってくれる特製のスポーツドリンクに意味をつけたくなってしまうのも、全部おかしい。彼女のチョコの行く先を気にする俺もおかしい。なんだそれ、好き、みたいじゃないか。

……そんなわけない。どちらかと言うと嫌いだ。

口を開けばすぐ喧嘩になる彼女のことなんて。

「悠人くんも取った?」

机に群がる部員たちを少し離れた場所から眺めていると、いつの間にか隣にきた彼女に笑顔で問われる。

「いや」
「大丈夫、味は保証する、なんてったって既製品だから!悠人くんのにだけ唐辛子混ぜたいくらいだけどね」

いつも通りの憎まれ口を叩く彼女に嫌な顔をして見せる。ほら、こんなこと言う人、好きになるわけがない。

「…ねえ」
「ん?」
「…渡したの」
「何を?」
「チョコ」
「へ?いや、だからあそこにおいてある…」
「誰かに、本命、チョコ」
「…は?」

俺は、一体何を聞いているのか。文句の一つでも言おうと口を開いたのに、なんてことを言っているのだ。

慌てて取り消そうと目線をやると、彼女の顔が、突然に、ボッ、と赤くなる。

「………」

なんだ、この、胸が痛い感じ。

「…か、関係ないでしょ!」

バカだな、楓ちゃんは。そんな反応、本命渡しましたって言ってるようなもんじゃないか。

へえ、そうなんだ、あんなんだけど好きな人いるんだ、あ、もしかして葦木場さんとか?へえ、そう。そっか、そうなんだ。

脳内でそんな言葉を意味もなく繰り返しても、心臓の痛みが収まらない。ほんと、俺、おかしい。

くだらない。本当。馬鹿みたい。

彼女の持ってきた既製品だというチョコレートを手に取る気が起きなくてロッカーへ引き返そうと体の向きを変えると、真波さんが「悠人いらないの?」と聞いてきた。

真波さんにあげますと答えると「素直じゃないね」と意味のわからない言葉とともに「悠人の分も俺がもらっちゃおー」ともう一度人だかりへ戻って行って。その後ろ姿を眺めていると更衣室から相変わらず少し赤い顔をしたまま制服に着替えた楓ちゃんが出てきて、また心臓がキリキリ痛むから本当に困る。

「意味わかんない」

小さく呟いた誰にも届かない声と共に、ロッカーから鞄を取り出して制服のブレザーを羽織った。

***

バレンタインというイベントに乗せられて変なこと考えちゃってるんだ、さっさと寮に戻って頭を冷やそう、そんなことを考えながら、まだ人の残っている部室を後にする。

「悠人くん」
「悠人くん!」
「悠人くんってば!!」

学校を出て、寮に向かってしばらく歩いていると後ろから少し早い靴音が聞こえてきて。

振り返ると、息を切らした楓ちゃんの姿。

「はっ…はーっ…、やっと追いついた…歩くの早いってば」
「は…?どうしたの」
「あ、いや…えっと」
「何」

だめだ、彼女を見ると心臓のあたりが痛くなる、例えるなら、小学生の時に憧れの近所のお姉さんが結婚した時の20倍くらい。

「あの」
「だから何?急いでんだけど」

痛いのは彼女のせいじゃないのはわかってるけど、ついつい言葉尻がきつくなる。よくないことはわかってるけど抑えられなくて、ごめん、と心の中で謝った。

「…これ」

ドタバタとカバンの中から何かを取り出した彼女が、ドン!と印籠を見せるかのように俺の目の前へ手を突き出す。

「…いつもお世話になってるから」
「は…」
「いちごミルクのお礼!!」
「え、」
「だから!はい!」

あまりの勢いに、呆然と手を出すと、その上に少し重みのある彼女の大好きないちごミルクと同じ色をした、ピンクの袋が乗った。

「…手作り、だけど、変なもの入れてないから…」

ああ、やっぱり、俺、おかしいや。

「…じゃあ…また明日…」

心臓が痛みがなくなって、嬉しさと恥ずかしさで心がぐううっと、押し上げられる感じ。

「待って」

真っ赤な顔で、今にも走って逃げ出しそうな楓ちゃんを、思わず引き止めて。

「…あ、の、ごめん、やっぱなしに…」
「はぁ?」
「か、返して…」

あの日、文化祭の打ち上げに向かう道で転んだ時よりもさらにいつもの勢いをなくした彼女の声は、聞き逃すまいと聞かなければ、何を言ってるかわからないくらいだけど、何故か俺の頭の中では鳴り響いて。

「もう俺のものでしょ」
「…え?」
「だから、これはもう俺のだから」
「…悠人くんはたくさんもらってるからいらないでしょ…」
「いる」
「あの…」
「返さない」

返せるわけないだろう。
今日もらったチョコレートのこと全部忘れるくらいの感情が湧き上がってくる。ああ、だめだ、やっぱり、多分、俺は。

「…送ってく」
「え?」
「寮でしょ」
「え、だ、大丈夫」
「いいから!」
「悠人くんってば」

後ろで送らなくていいだとか、友達に見られたらどうするんだとか、ぺちゃくちゃ煩いけど。

「いいから、帰るよ」

認めたくないけど、大嫌いなはずなんだけど。

彼女が、好きなんだ。

「っ、悠人くん待って、平気、すぐそこだし」
「いいから」
「待ってって…」

俺の1歩後ろをトボトボとついてくる彼女を振り向いて見れば、すぐに楓ちゃんは固まる。

「いつもの威勢はどこ行ったの」

半歩後ろに下がって、彼女の隣に立って。

「ほんと、バカじゃないの」
「な…」
「返すわけないじゃん」
「あの…」
「ほら、帰るよ」

ゆっくり隣を歩けば、彼女がうるさい口をまた開いた。

「あの、生チョコ、なんだけど」
「うん」
「食べられる?」
「うん」
「その、あの、違うから」
「何が」
「ついでだから、友チョコの」
「あっそ」

さっきまで痛かった心臓の理由は、多分確認しなくてもいい気がしたけど。

「他にあげたの」
「…え?」
「葦木場さんとか」
「あ、いや、まあ…あげたけど」

…え?

「は?同じの?」
「ちが、あの、3年の先輩には会えないから違うチョコ買って泉田さんから配ってもらうようにお願いしたよ」

ややこしいこと言うなよと、そう言うわけにもいかない。

「そ」
「うん」
「手作りは」
「え?」
「俺だけ?」
「………うるさい」

いつもと形勢逆転も悪くない。というか、むしろ良いな。

「お返しは何がいいの」
「い、いらないよ、いちごミルクのお礼だから」

お返し、なんて、楓ちゃんからもらうまでは適当に買おうと思ってたのに、困ったな。

「…顔、赤いよ」
「寒いからだもん」
「あっそ」
「なんかムカつく…」
「はあ?」
「……お腹痛くなったらごめんね」
「やめてよ、何入れたの」

そう笑うと、やっと、少しずつ、彼女がいつもに戻っていく。

「愛、とか?」
「……はあ!?」
「う、嘘に決まってるでしょ!何、待ってそんな、赤くなんないでよ、こっちまで恥ずかしい」

こっちまで恥ずかしいって、そっちが恥ずかしいこと言ったんでしょ、本当。

「バカでしょ」
「これでも悠人くんより成績いいよ」
「そういう話じゃないってば」

いつも言い負かされることが多いけど、結構楓ちゃんって、子供っぽいとこあるんだよね、と心の中で笑う。そうだ、俺は、彼女のそんな明るさに、そして包み隠さず俺に向き合ってくれるその性格に、何度も救われてきたんだ。

「………ありがと」
「…うん」

いつもと変わらない素っ気ない声で発したチョコレートのお礼に、とびっきりの感謝を込めて。

さて、気がついたこの思いを、一体どうすれば良いのだろうか、というところまでは残念ながらまだ、考えは至っていない。とりあえず部屋に帰ったら大切に食べようと考えながら、隣を歩く彼女の赤い耳朶が夢に出てくるほど、少し俺より背の低い彼女の横顔を眺めていた。
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