隼人:そこらで聞こえるラブソング
side: 福富寿一
「芽依ちゃーん、こっち来てー」
明早大学、自転車競技部。大学の試験が終わる7月末、夏の大会に向けて団結を図る、夏期休暇目前の壮行会、そんな名目で開かれた会。成人している先輩方はお酒も入ってとても陽気だ。
そんな中、4年ぶりに入ったという女子マネージャーは引っ張りだこ。あちらこちらから彼女の名を呼ぶ声がする。
「ねえねえ、芽依ちゃんって彼氏いるの?」
普段は真面目に部活をしている先輩も部活を離れれば1人の男。
「あ、俺も気になる、いないなら立候補しちゃおうかなー」
自分が熱心に取り組む競技のサポートをしてくれる彼女に恋愛感情があるにしろないにしろ、好意的な感情を抱かない者はなかなかいないだろう。
「あはは」
そんな対象になっている彼女はと言えば俺の隣に座っているこの男と1ヶ月ほど前に付き合い出したはずである。
「寿一」
「なんだ」
「今、芽依彼氏いるって言った?」
中学の頃からだからもう7年以上の付き合いになる。この男が誰か1人の女性のためにこんな鬼のような形相をしたのは見たことがなかった。
「いや」
「だよな?…はあ…」
残念ながらまだ酒の飲めない俺たちはそれぞれに烏龍茶だのオレンジジュースだのそんなものを手に持って食事を進めている。
そんな中で盛大なため息をついたこの男は小さな声でブツブツと話し出した。
「芽依がさ、わざわざ報告しないほうがいいと思うとか言って」
「ああ」
「だから言ってないんだけど」
「そうか」
「絶対あの先輩、芽依のこと狙ってるよな、なんだよちゃんと彼氏いるくらい言えよ」
未だ小言を言いながら目の前の唐揚げを平らげる友人を横目に、先日、花咲に何故付き合っていることを公にしないのかと尋ねた時のことを思い出す。
「別に新開くんと付き合ってるの?って聞かれたらはいって答えるけどさ」
そう前置きしてから彼女なりの気遣いを話し始めた。
「まだ入部して3ヶ月くらいでしょ、隼人はただでさえ目立つしさ、まあそんな人なかなかいないとは思うけど唯一の女子マネージャーと付き合い出したって余計な波風立たせるのもね。隼人が明早の一員として活躍してからの方がいいかな、なんて」
そんな気を使わなくても、この男は実力でそんなことはねじ伏せてしまうと思うが、と言おうとしたところで彼女は別の先輩に呼ばれて、話せずじまいだった。
「大丈夫だ、花咲はお前の彼女なんだろう」
残念ながらこういう時の励まし方の正解がわからない俺なりの言葉を新開にかけると、整った顔を少し自信なさげにして笑った。
***
「芽依ちゃん、今日送ってってあげよっか」
「ん〜、大丈夫です」
「ね、芽依ちゃんさ、どんな人がタイプ?」
「えー、そうですね、強くて優しくて一生懸命な人かな?」
「そうなの?じゃあ俺とかどう?」
「んー、あはは」
もう20分にはなるだろうか。花咲は随分としつこく、もうすぐ引退するという4年の先輩に絡まれていた。
4年生は就職活動を控えて滅多に部活には顔を出さないので、すでに酔いが回りきっているであろうあの先輩は彼女との面識もさほどないだろう。
「なあ寿一」
「ああ」
「俺、そろそろ殴りに行ってもいいかな」
「だめだ」
「…はあ…」
殴りに行きたい気持ちもわからなくはない。確かに彼女に近づきすぎで、隣に座らせた彼女の後ろに手を置いてガッチリとその場所をキープしている。
そして度々の彼女の話題転換にも応じず延々とアピールを続けている彼は俺からみてもしつこいと感じた。この男の彼女だということを差し引いても、高校時代から共に頑張って来た仲間の彼女に不誠実に絡むあの先輩を止めに行きたい気持ちは俺も同じだ。
「ね、芽依ちゃん彼氏いないんでしょ?俺と付き合ってみない?」
「おいおい、公開告白かよ」
「っせーな、俺だって彼女欲しいんだよ」
隣の男が席を立とうとする腕を掴む。
ここで行かせたらおそらく殴りかかってしまうだろう。しかし如何なものか。そう思った瞬間、彼女がにこりと笑ってその先輩に話し出した。
「…ん〜、彼氏はいます、ごめんなさい」
今まで散々ボヤかしてきた彼氏の有無を堂々と言い放った彼女にその先輩の周辺はざわつく。
「え?ほんと?」
「マジで?いるの?」
「どんな奴?えー、絶対俺の方が良いのに」
一体何を根拠に。
「なに?ロードやってる奴?」
「ん〜、そうですね」
「あ、じゃあさ、俺とどっちが速いと思う?」
「…そうですね」
俺の隣に座った男が息を飲む。
「彼ですね、なんせ最速の男なんで」
堂々と先輩にそう言い放った彼女はその場から立ち上がり、先輩の手を丁寧に退けるとこちらに向かって歩いてきた。
「ね?隼人」
あたりが静まり返る。注目の的になったこの2人の隣にいる俺の気にもなって欲しい。
「…え?」
「新開?」
散々騒いでいた先輩や同期たちが口々に驚きの声を漏らす中、彼女が小さな声で新開に話しかけた。
「ごめん、隠せなくて」
新開が嬉しそうに彼女の髪を撫でた。
「ったく、あの先輩殴りに行くとこだった」
「うん、隼人の顔が怖くてそろそろやばいかなって思った」
クスクスと笑う彼女をみてその男は唇を近づける。
「ストップ」
こんな目の前では勘弁してくれ、そう思った矢先、彼女の手が彼の口を覆った。
「後で、ね?」
口を尖らせながら笑う友人の姿を見てホッと一息をつく。
「ごめんね、私のせいで何か言われたら」
「そんなの実力でねじ伏せてやるさ」
「ん」
後ろで驚きや落胆の声が聞こえてくるが、俺が一つ席をずれて新開と俺の間の席を開けると、彼女は嬉しそうにそこに腰かけた。
「それにしてもあの先輩はなかなかだったな」
「花咲も嫌なら笑う必要ない」
「あはは、福ちゃんありがと、せっかくの楽しい席だからさ、あんまし良くないかなあなんて思って」
「良いんだよ、つーかあれは楽しい席とかじゃなくてただ芽依のこと口説いてただけだろ」
そんなことを言いながら新開が皿を一枚取り彼女に食事を取り分ける。
「ん、席周りしてて食べてないだろ?」
「うん、ありがと」
そんな光景を目の前に座っている同期の部員たちが、相変わらずポカンとした表情を浮かべながら見ていた。
「いやいや、え?なに?新開と芽依ちゃん付き合ってんの?」
「そうだよ俺ら置いてきぼりにすんなよ」
「あはは、びっくりさせてごめんなさい」
「何?もしかして高校から?」
「最近な」
「最近です」
「なんだよ、福富知ってたのか?」
「ああ」
「福ちゃんがキューピットだからね」
ニコニコとこちらを見る花咲に頷けば目の前の同期たちが驚きの顔をした。
「福富にもそういうことできるのか…」
随分と失礼なことを言ってくれる奴らだとは思ったが、彼女たちを支えてくれるであろう新しい仲間と楽しそうに喋る2人を見て、これからの4年間が楽しみになった。
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