証拠品NO.1:パンツ
「名、ちょっとそこ座ってや」
金曜夕方の会議が長引いて残業になってしまった今日、会う約束をしていた章吉には今年の誕生日にプレゼントした合鍵を使って部屋に入ってもらっていた。
『鳴子くん特製チャーハン作ってやるわ』と連絡が来たのは18時過ぎのことで、それを楽しみに玄関の鍵を開けたのが19時半のこと。
会社を出る時にしたLIMEには返事は来なかったけれど既読になったから作り始めたのかな、なんて残業だったけどウキウキの帰路。明日は休みだ、章吉とどこに出かけようか、なんて。ガチャ、と音を立てて鍵が開いて、ドアを引いたその瞬間に漂ってくるチャーハンの香り…がしない。
「ん?」
シーン、とした室内。料理をしている音もしない。
「章吉?ただいま」
わかった、たまに章吉がやるかくれんぼでしょ、ハイハイ、今日はお風呂場かトイレかクローゼットかベッドか、とリビングに向かう間にお風呂場とトイレのドアを開けてみたけどいなくて。
「もー、どこ…」
と明かりがついたリビングを開けると、口を尖らせ険しい顔をした章吉がテーブルに座っていて真面目な声で冒頭のセリフを吐き、そこにある椅子に座るよう私を促してきた。
「え?」
状況が飲み込めない。
とりあえず、なんとなく章吉の機嫌が悪いこととチャーハンは作られてないことはわかった。
無言のまま、口を尖らせて鋭い目でこちらを見る章吉に、私はただただ彼に会うのを楽しみに帰ってきたのにどうして…という寂しさと不安とほんの少しの怒りと。
ひとまずなにが原因か考えてみようと辺りを見渡すとお気に入りの絨毯の上に広がる洗濯物………
「まっ!え!?洗濯物」
付き合って1年弱。いつの日か同じ家で一緒に洗濯物を、なんて思うこともあるけれど、下着とか、色々、まだ少し、やっぱり恥ずかしいし。章吉にそんな普段見せない部分を見られたような気持ちになってしまって。
「………いいのに…」
ありがとうと一言言えればよかったものの、身に覚えのない章吉の不機嫌さに少しこちらもムッとしていて、無防備に散らばった章吉と会う時にはつけない地味な下着が目に入った瞬間恥ずかしすぎて。ああ、折角章吉に会う日は可愛いピンクのフリフリとか赤いセクシーなやつとか白いサイドが紐のやつとか、気合い入れたやつ着てたのに、あんなに地味でちょっとダサい下着を目隠しをしつつもベランダに干してあるの見られるとか本当やだ…、と言葉尻が冷たくなったことは私の非である。
「………洗濯物、は、やらなくていいから…」
そう絞り出した声に、彼はさらに眉間のシワを深くした。
どうやら、これ、いけないとこ触れちゃったかも。
「………なんでや」
「なんでって、…恥ずかしい、し」
「ワイに見られたくないもん干しとるからやろ」
優しい章吉も明るい章吉もそこにはいない、どうやら怒りが腹の底から込み上げているらしい声をこちらに向けてくる。
え、そんなに、私の地味な下着嫌だったのかな、それで怒ってるの?確かにベージュで地味だけど白いTシャツ着る時にはこれがベストなんだよ?わかんないかな…
「……そんな、確かにあれは地味かもしれないけど、でも」
「ワイには洗濯物も触られたくないっちゅーことや」
「何言って」
「ほんま、なんやねん」
会話が成り立たない。私のベージュブラジャーへの言い訳を聞いてくれない。
「ワイのパンツ、洗ってくれへんのに」
ワイの…パンツ……?
「あー、こんなんで浮気知るとかアホや」
……………………ん???
「ちゅーかワイが浮気か?」
ドン、と章吉が手のひらでぐしゃぐしゃに丸め込んでいたらしい黒い布がテーブルの上に置かれた。
「パンツ家で洗ってやるような男がおるんやろ」
…………………………え?
「洗濯物なんてワイが見るわけない思っとったん?」
いつからや、ほんまショック、幻滅したわなんてブツブツ目の前で呟いている章吉に目が点、なんて言ったら怒られるんだろうか。
下を向いて肩を震わせるのは、
「っ…」
「なんか言えや」
「っ、あはは」
笑いを堪えていたのだけど、やっぱり無理である。
「はあ!?ワイはほんまに、はあ?どんだけワイのこと馬鹿にして」
「違う、違う違うごめん待って」
「ほんま、ありえへん」
「違う、これ、私の」
「はあ?」
「いや、っ、あはは」
「もうちょいマシな言い訳せえや」
まだまだ怒り心頭の彼にどうやって説明しようかと思いながらも、どうしてもおかしくて笑ってしまう。
「っ、あはは、私てっきり、ベージュ…っふっ…」
「ほんま、なんなん」
「これ、防犯グッズね」
「はあ?」
「女子の一人暮らしは危ないからってお母さんがくれたやつ」
「は…?」
所謂男と暮らしてる感を醸し出す防犯方法の一つとしていつもグレーのストライプの地味なパンツを外に干していて、どうやら章吉はそれを見て私が浮気していると思ったらしいその誤解を解くのに30分。私が笑うから余計に章吉が怒って、ごめんごめん、と笑い涙を拭きながら彼をどうにかこうにか納得させた。
「…っ、あはは」
「ほんま…もう…なんやねん…」
先ほどまでの怒りにあふれた口の尖らせ方ではなく、拗ねた子供のような口元が可愛くて可愛くて。
「あはは」
「馬鹿にしとるやろ」
「してないよ」
「…はあ、ほんま…」
気抜けた、疲れた、ほんま名のアホ、なんて小さい声で呟く章吉に手を引かれて絨毯に座る。
「アホ」
「防犯意識が高いねって褒めてくれる?」
「ワイのパンツ干せばええやろ」
「…考えとく」
「なんでや」
「章吉のパンツ派手で目立つじゃん」
「毎日おんなじ柄干すよりマシや」
「…まあ、それは確かに?」
下着洗うのって、ちょっと少し関係が進んだ感じ、するから照れる、っていうか。
なんて言ってやらないけど。
そんなことを思いながらやっぱりちょっと面白くてニヤニヤしている私に「いつまで笑ってるんや」と言いながらおでこを人差し指でツン、と突いた章吉が仕返しとばかりに唇を右にニヤリと上げた。
「…んで、ベージュのこれがなんやって?」
その手には例の地味なブラジャー。
「………へ?」
「名、ワイと会う日は可愛いのつけとるもんな」
「………返して!」
奪い返す私の手を章吉の大きな掌が掴んで。
「っちゅーことは、今日は可愛いやつつけてるんやな」
確認せんと、なんて私のことを絨毯に押し倒しながら服の裾をめくる。
章吉が前にかわいいって言ってくれた水色のレースがついたその下着がほんの少し見えてきたところで。
(グー…)
やばい、恥ずかしい、このタイミングで鳴る!?私のお腹よ!
「っ、ぶっ…あはは、アカン、名ちゃん腹減った?」
「………うるさい…」
ほんなら腹ごしらえしてから今日の下着のチェックやな、なんて章吉が台所に向かっていったのを確認して、慌てて地味なベージュのブラジャーを下着入れにしまう。
「そーや」
「な、なに?」
引き出しを閉めたところで顔を出した章吉が、いたずらにニヤリと笑って。
「ワイはそのベージュのも無防備な感じして好きやで、それはそれでそそるわ」
………………
「バカ!!」
そこにあったクッションを投げるとポスッとナイスキャッチ、な章吉は笑いながら台所へ戻っていく。
「…………ばか…」
すごい恥ずかしいし、くだらないし、なんなのもう、お腹すいた章吉のアホ、なんて呟きながら熱い頬を手で覆う。でもなんかよくわからないけど、心の距離がまた一つ近くなった気がして嬉しい自分もなかなかの馬鹿だ。
「名、さっさとチャーハン食うで!水色下着ちゃんチェックしてやらんとあかんからな」
と、ニヤニヤ冗談を飛ばしている章吉に水色下着をつけているところを確認されるのは2時間後、私の物干し竿に章吉の真っ赤なパンツが干されるのは3日後、「あのベージュのつけてや」と、寝起きの章吉が言ったのはこんなくだらない事件も忘れかけた1ヶ月後のこと。