大好物はあなたの心臓
「通司?」
「ワリ、起こした?」
「んー…もう行くの?」
「おー、今日は朝からメンテの予約入ってる」
「そっか」
朝目が覚めれば、すでにそこには昨日着ていたTシャツに薄手の上着を羽織った寒咲通司がいて、少し会話を交わしたあと、テーブルの上に置いていた鍵と財布を手に取った。
怠い身体を起こしてベッドの下に落ちていたカーディガンを羽織って、布団から出る。
「なぁ、誘ってんの?」
「誘ってない」
昨日行為の後、疲れた身体でどうにか身につけたピンクのレースのパンツの上にカーディガン。ボタンを止めたから胸は多分見えないはず。
「風邪引くから、ちゃんと服着ろよ」
「はーい」
「また来るわ」
「うん」
玄関まで彼の後ろを歩いてついていく。
「ん」
バイバイのキス、なんてする仲じゃない。それでも1ヶ月くらい前から、帰り際に私を抱きしめてくれるようになった。
「ふふ、通司の心臓の音、落ち着く」
「…名のココの柔らかさも落ち着くわ」
「あ、こら」
カーディガンの襟元から私の胸に手を伸ばす通司の手を叩けば、悪戯がバレた子供のように笑って。
「じゃ、また連絡する」
「うん、気をつけて」
バタン、と音を立ててしまった玄関に息を吐く。
ベッドルームに戻って律儀にティッシュに包んで捨てられた避妊具をビニール袋に入れて大きなゴミ箱へ入れ直す。
腰が重たい、昨日の通司は何か嫌なことでもあったのだろうか、なんだか少し激しかったなぁ、なんて、私が聞くことはできなかったそんな疑問を誰にぶつけるわけでもなく頭に巡らせた。
寒咲通司は高校の同級生で、2年の頃から密かに片思いをしていた相手だった。卒業式の日に、彼に告白した私は、即答でフラれて、それはそれは悲しい卒業式になったのだ。
そんな彼と20歳の同窓会で再会したその日の二次会終わり、酔った勢いで。気がついたら二人でホテルにいた。
それからというもの、週に1度程度、わざわざ地元からほんの少し離れたところにある私の一人暮らしをする家まで彼が来ては身体を重ねている。かれこれ、もう半年にはなるだろうか。
『お前、誰か男連れ込んだ?』
先ほど出て行ったばかりのはずの通司からのメッセージ着信を携帯が知らせる。
「男?」
何を言っているのだろうか。連れ込む男といえば通司しかいないし、かといって他の男を連れ込んだところで彼に報告する義理もない。
『連れ込んでないけど』
そのメッセージはすぐに既読になって、すぐに新しいメッセージが届く。
『男の匂いした』
クンクン、と、部屋の香りを嗅いでも、そこに残るのは通司の香水の香りで、そんな香りに胸がぎゅっとなる。
彼の香りに、ただの性欲を満たし合う関係じゃ物足りなくなったのはこんな関係になってから3ヶ月程だろうか。高校時代にこっ酷く断られたそんな気持ちはとうの昔になくなったはずだったのに、あまりに優しく私を抱く彼に恋心が再燃して。
『タコパしたからかも』
『男と?』
『うん』
連れ込んだわけではないが、先週バイトの仲のいい人たちとたこ焼きパーティをしたから、それだろうかと思い、彼にその通りに伝えた。
『2人で?』
『バイト先の人、何人かで』
『男だけ?』
何を、こんなにしつこく聞いて来るのか。私が男の人とタコパをするのが気にくわない?…わけないか。私は彼にとってただのセックスフレンドだ。
『女の子もいたけど』
そう返信をすると既読がついたきり、10分ほど返事がこなくなる。
『明日休み取れそうだから今日の夜また行く』
全然会話が成り立っていない。
『今日、バイトだから遅いよ』
それっきり、既読がついたまま返事がこなくなった携帯をテーブルに置いて、シャワーを浴びに寝室を出た。
***
時刻は23:00。そういえばあれから連絡がないけれど、通司は結局来るのだろうか。そんなことを考えながらバイトの従業員出入り口のドアを開けると後ろから声がした。
「お疲れ、名ちゃんもう遅いし送る?」
「あ、大丈夫だよ」
「だめだめ、危ないよ、暗いし」
バイト先で唯一の同い年の彼とは仲良くしてもらっていて、この前のたこ焼きパーティも彼と私が言い出しっぺだった。
「ついでにビールでも買って飲んでってもいい?」
「えー」
流石に二人になったことはないので返答に困っていると。
「名」
「ん?…って、え?」
後ろには随分と不機嫌な顔をした通司の姿があった。
「…ん?名ちゃんこの人は?」
「あー、えーっとね…」
セフレです?そんなこと言えない。好きな人です?いやいやもっと言えない。
「高校の時の同級…」
「彼氏ですけど」
私が言葉を言い切る前にそう目の前の彼に言い放った通司は、呆然とする私の腕をとって自分に引き寄せる。
「わざわざ夜道の心配までありがとうございます。ここからは俺が送るんで」
目をまん丸くして「名ちゃん彼氏いないって言ってなかったっけ?」と私に尋ねる彼に言葉を返す隙さえ与えず、通司は私の腕を強く引っ張って歩き出した。
***
「…っ、通司、腕痛いってば」
「…さっきの男なんだよ」
「何って…バイト先の」
「部屋の匂いもあいつ?」
「何言ってんの」
「意味わかんねぇ」
その言葉、そっくりそのままお返ししますけど。
「…通司には関係なくない?」
「ていうかお前彼氏いないってなんだよ」
「…ただのセフレに彼氏がいようがいまいが関係ないでしょ」
「はぁ?」
前を向いてペラペラ私への文句を並べていた通司が私の腕を握る手にさらに力を込めてこちらを振り向く。
「…俺ってお前のなんなわけ」
すごい形相でこちらを睨みつけて来る彼の顔に思わず固まる。
「彼氏いないって言ってんの?周りに?」
「ごめん、話が全然見えない」
「だから、俺ってお前の彼氏じゃなかったっけ?」
「…はあ?」
彼氏ができた覚えもなければ、私の恋が実った覚えもないし、セフレから昇格した覚えも残念ながらない。
「意味わかんねえよ」
「私の方がもっと意味わかんないんですけど…」
「好きだっつったろ?」
それは、卒業式の時の話だろうか。
「卒業式のこと言ってんの?振ったのはそっちじゃ…」
「ちげぇよ、この前。1ヶ月ぐらい前」
「…?」
「は?覚えてないの?」
本当に、全くをもって覚えてない。
「…先月…20日だよ、は?俺だけ?お前のことだから記念日とか言い出しかねないと思って日付まで覚えてるんですけど」
「…20日?」
「は?あの行列並んでラーメン食って帰った次の日、朝、言ったろ」
「ごめん、何言って…」
「だから!」
人がいない道でよかった。通司の声が今まで聞いたことないくらい荒ぶっている。
「朝起きた時、好きだっつったろ」
「…え?」
「お前、私もって」
寝ぼけてたのか、行為への雰囲気作りを盛り上げる言葉だと聞き流したのか。
「ごめん…覚えてない」
「……まじかよ」
「だ、だって、今までと何にも変わんないじゃん…」
「はあ?俺がどっか出かけるか?って聞いても名がいいって言ったんだろ」
「だってそんなの、セフレなのにおかしいじゃん」
「はーーー、まじかよ」
「…………」
「はあ?なんなの?じゃあ俺、セフレのまま?」
「…えっと…」
「バカみたいじゃねえか、一人で」
ブツブツと文句を連ねる彼に返す言葉が見つからない。
「男の匂いしてまじで昨日頭おかしくなるかと思ったっつーのに」
「通司…?」
大きくため息をついてガシガシ髪を手で触る通司の横顔は苦しそうに歪んでいた。
「…んだそれ…」
「あの」
「お前にとって、俺って何」
「…え」
「俺、勝手に名のこと彼女だと思ってたけど、違ったなら、とりあえずその話は置いとく」
「何言って」
「で、俺は名のこと好きになっちまったんだけど」
「………」
「出来ればセフレじゃなくて彼氏としてデートとか、そういう色んなことさせて欲しいんですけど」
「……私のこと振ったのに…?」
「それは、今更だってこと?」
「違くて」
「あの時は、お前のこと気になってはいたけど仕事始める前だったし、彼女のこと構う余裕もないかと思って」
「…何それ…そんな気持ちで私告白してない…」
「…悪かったって…つーかその話はこの前酒飲みながらしたろ」
「…覚えてない」
「酔ってたからな、…じゃなくて、俺はあの時の気持ちじゃなくて名の今の気持ちが知りたいんだけど」
腕を掴んでいた手が少しずつ下に下がって私の指を捉える。
「名」
「…と、」
そのまま私を腕に閉じ込めて指をなぞる彼に、私の心拍数は上がり続ける。
「なあ」
「…ん」
「好きだよ、俺、名のこと」
「うん」
言葉を続けなきゃ、分かっているのに体も口も動かない。
「名」
ドクン、ドクン、と聞こえてくる彼の心臓の音はいつもより少し早くて。でも、私はこの心臓の音が大好きだ。
「名は?」
彼の音を聞いていたら、少しずつ落ち着いてきて、ちゃんと伝えようと彼の中で頷く。
「私も、好き」
「…彼氏にしてくれるって意味?」
「…うん」
頭の上から、ふう、と安心したような息が聞こえて。
「明日はバイト休み?」
「うん」
「なら、明日どっか出かけるか」
私を抱きしめたまま、さらりと初デートの提案をする彼に、ギュ、としがみついてYESの意思を表す。
ポン、と温かい手が私の髪に触れて、私の指に絡まった彼の指がそのまま私を引いて歩き出した。
「まじで、もう男連れ込まないで」
「連れ込んでないよ」
「本当気が狂うかと思った」
「…だから」
昨日激しかったの?と聞こうとして無性に恥ずかしい気持ちになって言葉を紡ぐ。
「腰痛い?」
「….バカ通司」
「男連れ込む名が悪い」
「だっ…てそんなの」
「…今日は優しくする」
今日からは、彼の行為に愛がこもってる、なんて感じても良いのだろうか。
***
部屋に帰っていつものようにベッドに倒れこむ。何度も交わした口づけも今日は格別に甘い。
「っ、通司…」
「名っ…」
今まで気がつかなかったけれど、彼が私を呼ぶその声は、心臓が苦しくなるほど愛おしい音色で。
「…好き」
必死で彼に抱きついて耳元で囁いたその言葉を聞いた後、彼の顔から余裕が消えて、「愛しい」とそんなことを思いながら、うるさく鳴り響く彼の胸元に手をやった。