私の生きていける場所
「鳴子くん、インターハイすごいね、おめでとう」
「おー、おおきに!」
「すごい活躍したんだって?」
「そりゃそうや!ワイはデーハー男やからな!それはもういっちゃん目立っとったで!」
「今度練習見にいってもいい?」
「もちろんや!応援よろしゅう頼むな」
ムカつく。ムカつく。ムカつく。ムカつく。
「姓さん、何かあった?」
「…西沼くん」
前の席の西沼くんに心配される位に顔に出てしまっていたようだ。
「ごめん、なんでもないよ」
「鳴子?」
「んー」
「まあ、あれだよ、一時的なさ、みんなミーハーだから」
そう、わたしがムカついている理由は彼氏に急なモテ期が訪れて、張本人がデレデレと女の子たちと楽しそうに話しているからだ。なんなら私と一緒にいるときは大して楽しそうな顔もしないくせに、あの子たちにはニカッと明るい笑顔を見せているから、さらにムカつく。
「ま、私なんかより可愛らしい子の方が鳴子も楽しいでしょ」
「姓さんだって十分可愛いと思うけど」
女子から紳士なイケメンだと騒がれる彼だけあって、こちらが思わず照れるようなそんな発言をさらりとされて頬に熱が集まる。
「ありがと、西沼くんの爪の垢を煎じて鳴子に飲ませてやりたい」
女の子に囲まれている彼を見れば、デレデレと書いてあるような顔をしていて、さらに私を腹立たせる。
「姓さん、顔」
クスクスと目の前の西沼くんに笑われて、慌てて目線を外す。
「西沼くん、そうだ、数学のプリント、教えてもらってもいい?」
鞄の中からプリントを出して彼に向き合った。
***
「なあ、西沼と何話してたん」
昼休み、ご飯を食べ終わった鳴子が西沼くんの席に座ってこちらを向く。
「何って?」
「こう、くっついて話しとったやろ」
ぐいっと私に顔を近づけて口を尖らせる。
「数学の問題教えてもらっただけ」
「ふーん、そうか」
「鳴子こそ、女の子にモテモテで楽しそうだね」
へ?とボケっとした顔でこっちを見る彼を思わず睨んでしまう。
「なんや、ヤキモチか」
ヘラヘラと笑う彼に腹が立つ。
「今日話してた可愛い子の方がいいんじゃない?私より」
「は?」
「私と話してる時より楽しそうだし」
「んなわけないやろ」
「ちょっと騒がれるくらいじゃデレデレしない西沼くんみたいな紳士な人と付き合えばよかった」
とまで発して、言いすぎたと気がついたけれど、後悔してももう遅い。
「なんやそれ」
目を向ければ見たことのないくらい不満に溢れた顔をする鳴子が目の前にいた。
「なんや、もうええわ」
そう私に言い放った彼は大きな音を立てて席を立って私から離れて行った。
その日はそれから彼の方を覗き見ても目が合うこともなく放課後を迎えて。
久しぶりにこっそり練習を覗きに行くと教室で騒いでいた女の子たちがよく見える場所を陣取っていた。
その隙間から少しだけ見えた鳴子は真剣な顔をして一瞬で通り過ぎて行って、私の前にいる女の子たちが黄色い歓声をあげる。
私だけが彼の魅力に気がついていればそれでよかったのにというどうしようもない気持ちと、彼に酷いことを言ってしまった後悔で身体はいっぱいになって、彼から言われた「もうええわ」という言葉が頭でただひたすらにリフレインしていた。
***
「姓さん?」
ギャラリーを離れて帰路に着こうとぼんやり外を歩いていると後ろから声をかけられた。
「小野田くん」
目の前の人がいい可愛らしい彼は私の顔を見るなりアワアワとし出して、タオルを私に差し出した。
「こ、これ使ってないからよかったら使って…」
「え?」
「その、泣いてる、から」
小野田くんがオロオロと「鳴子くん呼んでくる?」と言いながら私にタオルを渡す。
手で頬を触れば確かに涙が流れていて、ああ、何が悲しいのか何か寂しいのかわからないけどとにかく胸が苦しいなと思った。
「ごめんね、ありがとう」
お言葉に甘えて、とタオルを受け取って頬を拭こうとしたところで頭にポスッと何かが当たる感触がした。
「名、何やってんや」
頭に当たったのはタオルで、声のする方を振り向くと、それはまた不機嫌そうな顔をした鳴子がいた。
「なんで泣いとるん」
「な、鳴子くん!姓さんが泣いてて、いま呼びに行こうと思っ」
「小野田くん悪いな、おおきに、タオルは返すわ」
鳴子は小野田くんの発言を遮り私の手に置かれていたタオルをそのまま奪い取るとそう言いながらこちらを少しホッとしたように見つめる彼に渡した。
「それから悪いんやけど、パーマ先輩に腹痛くてトイレ籠っとる言うとってもらってええか?」
「うん!わかった!」
良かった、姓さん泣いてて僕何もできなくて、と困り顔で話す彼に笑顔で手を振り見送ってから、彼はこちらを振り向いた。
「何泣いてるんや」
「泣いてない」
「泣いてるやろ、そんなにワイのこと好きか」
「……ばかじゃないの」
「ったく、他の男のタオルで顔拭こうとすんな」
「へ」
「他の男に泣き顔見せるとかありえへん」
「いや、小野田くんだよ…?」
「小野田くんだからなんやって?」
「友達、でしょ?私だって鳴子だって」
「仲良しだろうが他の男にそういうとこ見せんな」
口を尖らせながら、彼はそのまま喋り続ける。
「大体、他の子の方がいいってなんや、ワイは別にお前の顔が好きになったわけやないわ」
「…」
「紳士な男と付き合えば良かった?紳士やなくて悪かったな」
「それは…ごめんなさい、言いすぎた…」
「生憎、他の可愛らしくて優しい女の子と付き合うつもりも、お前手放すつもりも、他の男にお前をやるつもりもないわ」
怒ったような、拗ねたようなそんな顔でこちらを見る彼の最大級の愛の言葉にむず痒くなる。
「名が別れてくれ言うても別れへんわ」
「言わないよ、そんなこと」
「数学の問題はこれから西沼やなくてワイに聞け」
「…それは無理じゃない?」
「一緒に考えてやる」
「一生解けなさそう」
私の言葉を聞いて彼はクスッと笑う。
「ほんなら、一人で解けるようになるまでは別れられへんな」
そう言うと彼は私の肩を掴み自分の方へと引き寄せた。
「意地でも正解出させへんけど」
「へ…?」
「せやから一生俺から離れられへんな」
私の心臓を一気に爆発させるくらいロマンチックな言葉を耳元で呟く彼に驚いて、思わず彼の胸を押し返して顔を覗き込むと、彼の耳も頬もついでに首も、彼の大好きな赤色に染まっていた。
「見んな」
また彼の腕の中に閉じ込められて、心地よい彼の汗の香りを感じる。
「数学できなくても生きていけるけど、章吉いないと生きていけないから一生解けなくても良いかな」
「…こんな時だけ名前で呼ぶの、反則やで」
私の頭に一度手を置いてから、彼は自転車に跨った。
「今日、図書室で待っとってや、ちゃんと名はワイのやって学校中に知らしめてやる」
そう言う彼の後ろ姿を見送りながら、彼のタオルを握りしめて来た道を引き返した。
***
迎えに来た彼は、普段は恥ずかしがって繋がない手を図書室から繋いでくれて、まだたくさんの生徒がいる昇降口を堂々と歩く。
彼にキャーキャー言っていた女の子たちの前を手を繋いだまま通ると彼が耳元で私に伝えた。
「彼女がヤキモチ焼きで困るわ」
ニヤニヤする彼の掌を爪で抓ってやると笑顔で私の頭をポンと叩いた。
「ワイも大概やけどな」
明日から数学のプリント全然解けなくなっちゃうな、なんて頭で考えながら、楽しそうに笑う彼の笑顔が一生私だけのものでありますようにと心の中で願った。