黒猫の通り道
私には気になる人がいる。
大体4限終わりに外周を走る自転車。
桜の木が綺麗な緑色の葉っぱをつけた頃に見つけたのが、銀髪の彼だ。
テスト最終日、久しぶりに走っている姿を見た。やっぱり綺麗でかっこいい。
初めて彼に目を奪われてから早2ヶ月。私が知ったのは、うちの大学には自転車競技部なるものがあって、そこそこ強いらしいということだけだ。
試合を見に行くほど彼に夢中になっているわけでもないし、誰かに彼の名前を問うほど彼を好きなわけではない。ただ、その自転車を漕ぐ姿に惹かれて、彼を見つけた日は何となくラッキーだな、なんて。朝の星占いならぬ夕方の運試し的なそんな感じの存在だ。
***
友人に合コンの数合わせで来て欲しいと頼まれたのは夏休み明けの授業の時だった。他の学部の男子との合コンらしい。
「名、彼氏いないでしょ?」
と、半ば拒否権はないくらいの勢いで話を進められてしまった私は翌日の合コンへの参加が決定してしまった。
合コン場所は居酒屋で、成人していないのにお酒を飲むことに抵抗のある私は少し嫌な気持ちになる。
お酒が飲めないことにしようと心に決めてお店に入ると男子は2人しかおらず、遅れてくるとのことだった。
オレンジジュースを頼み乾杯する。
「名ちゃんだっけ?飲もうよー」
軽く飲むように促してくる彼も同い年のはずだから未成年なのに、そういうところ、私はちゃんとしてる人と付き合いたいな、なんて目の前の彼の欠点を自分の理想の男性リストに反映させる。
「悪い、遅くなった」
ガラッと個室のドアが開くとそこにはあの銀髪の彼がいた。
「あっ!」
思わず声を上げてしまった。銀髪の彼は顔を顰める。
「どっかで会ったっけ?」
会ったこともない、勝手に夕方の運試しに使ってましたなんて言えないし、かと言ってかっこいいと思っててというのもこの場では誤解を招く。
「あ、いや…」とお茶を濁すしか方法が思い浮かばなかった。ほんの少しの一方的な気まずさを持ったまま、私の目の前に座る彼を盗み見る。やっぱり、かっこいい。
「黒田はビール?」
「あぁ?俺は飲まねーよ、つーかお前らも未成年だろーが」
彼の隣に座る男の子は「堅いなぁ、黒田は」なんて言っているけど、断固として酒のメニューを開こうとはしない彼に、私の手元に置いておいたソフトドリンクのメニューを差し出した。
「これ、ソフトドリンクです」
「あー、ドーモ」
黒田と呼ばれた彼はメニューを見てすぐにジンジャエールを頼んだ。
それぞれの自己紹介を再度済ませ、各々元々していた会話に戻る。
私はと言えば、特に先程までしていた会話もないし、目の前には気になっていた彼がいるしで、固まっていた。
「あー…、姓さん?だっけ」
「へっ、は、はい」
黒田くんに声をかけられてしまった。
「人数合わせ?」
「あ…はい」
「だと思った、酒飲めねーの?」
「いや…あの、未成年なので」
強い弱いの問題ではなく未成年だから飲めないと告げると彼は笑った。
「俺も。じゃあソフドリだけど乾杯しよーぜ」
そう彼に声をかけられ慌ててグラスを手に持つ。
それから約1時間半、友人たちと黒田くんのお友達は意気投合したらしく、それぞれのペアの雰囲気が出来上がって来たところで会はお開きになる。
「俺送ってくよ」
「二人で飲みなおさない?」
コソコソと話をする2組の男女に苦笑いを浮かべ「じゃあ私は、これで」と手を振って駅の方向へ向かった。
今日は銀髪の彼の名前がわかった。黒田雪成くん。学部も知ったし、高校時代から自転車をやっていたということも教えてくれた。すごいラッキーだ。今年の中で一番ラッキーな日かも。
「姓さん」
そう、初めて聞いた声もかっこよかったなあ、今日は本当にラッキー……あれ?声…?
「姓さん」
「あ、黒田くん…」
「送る、こんな時間に一人は危ねーだろ」
ニカッと笑う彼の笑顔は眩しい。
「あ、ありがと…」
こんなにラッキーが降り注ぐなんて明日はどん底の不幸が待っているのかも。駅までの帰り道、残りの2つのカップルがどうのこうのなんていう、お互いに大して興味がない話題で盛り上がっていると、黒田くんが咳払いをして切り出した。
「あのさぁ、姓さん、チャリ好きなの?」
「え?」
「見てただろ?」
「えっ…」
「気がついてないと思ってた?」
やばい。今日一日、ラッキーで乗り切ったと思ったら、ストーカーのように彼の自転車に乗る姿を見ていたところを見られていたらしい。
「ロードが好きとか?」
「そういうわけじゃ…」
「誰か好きな部員がいるとか?」
「ちがっ…」
「あー、あれか、金城さん?」
「違う」
「え?荒北さん?」
わたしが誰かをお目当てにして見ていたと思われたらしい。間違いではないけど。
「あの、黒田くん…です…」
沈黙が流れる。神様、今日の幸運はこのもう彼をひっそり眺められないという不幸の前の最後のご褒美だったのですね…
「…まじ?」
ポカン、とした表情でこちらを見る彼の瞳にはしっかり私が写っていて。
「ごめん、気持ち悪いよね…すごく綺麗だなというかかっこいいなというか…だから今日来た時、思わず、あっ、とか言っちゃって…本当にごめんなさい、もう見ないから…」
「いやいや、待て待て何勝手に話一人で進めてんだ」
ストップ、と、手のひらを私の顔の前に持ってくると、空いている手で彼はこめかみを触っていた。
「あー……ありがと」
「いや…」
「今日の飲み会さあ、人数合わせじゃないんだわ」
何を言い出しているのかよくわからない。彼も人数合わせで呼ばれたのだと思っていたけどそうじゃなかったということだろうか。
「姓さん、連れて来てほしいって俺が頼んだ」
あ、私が人数合わせじゃないってこと………
「え!?」
「っつーことだから、連絡先教えて」
良かった、荒北さんが好きで見てるとか言われたらどうしようかと思ったとかブツブツ言いながら携帯を出す彼に呆気に取られる。
「連絡先、ダメか?」
一向に動かない私の反応を嫌がっていると受け取ったのか彼が私の表情を覗く。
「ぜ、全然ダメじゃないです…」
結局家まで送ってもらい、鍵を閉めてベッドにダイブする。
神様…ありがとう……
今日の出来事を思い出してベッドでうつ伏せのままジタバタしていると携帯がメッセージの着信を伝えた。
「大体いつもウォーミングアップで外周通ってるから、良かったらまた明日からも来て」
明日からも来て、の言葉に胸が高鳴る。
銀髪の彼こと黒田くんとの両想いなのか両想いじゃないのかわからない、むず痒い恋が始まった。