今となっては知る由もなく
「俺、彼女できた」
初めて幼馴染の名にそう告げたのは中学2年生の頃だったか。
学校で一番可愛いと噂の先輩に告白された俺はその告白を受け入れて付き合い始めた。
「そうなんだ」と言った名の顔は少し寂しそうで、俺のことを想ってそんな顔をしているんだと思うと心臓がギュッと痛むような、でも今この瞬間彼女の頭の中は俺でいっぱいなのだろうと嬉しくなったのを覚えている。
「私の好きな人は隼人だよ」
名が俺の耳元で内緒話をするようにそう伝えてくれたのは小学3年生の夏休み。2家族で夏祭りに行って、悠人が食べたいと騒いだりんご飴を名と2人で買いに行った時だった。
「俺も名のこと好き」
そう言うと名は嬉しそうに笑っていた。ピンク色の可愛い浴衣を着た名の顔を今でも忘れられない。
好きと伝えあった後のことなど知らなかった俺たちは、好きと伝え合って終わって。
それで幸せな気持ちでいることができたのは中学に入る手前くらいまで。
ませたクラスメイトが男女交際を始めるそんな時期、好きと伝えた後にある彼氏、彼女という存在を知った。でも名とどうやって先に進むのかわからなかった俺は想いを伝えられないまま、「姓って結構可愛いよな」と話す馬鹿なクラスメイトに「そうか?子供っぽいだろ、あいつ」なんて思ってもないことを言ってみたりして。
「なら協力してくれよ、いいなって思ってたんだよな、優しいし」と言い出した彼にうやむやに笑って心にモヤモヤを積もらせた。
そんな時、告白してきた1つ上の先輩のことは別に好きではなかったけれど、俺に彼女ができたと言ったら名はどんな顔をするんだろうという最低な興味から告白を受け入れた。
そして彼女ができたと告げた時の名の顔を見て、名の頭の中を占領していることを感じることができた俺は、それから彼女の話を伝えることで名からの愛を確認するようになった。
***
「あ、俺、彼女できたよ」
そんなことを懲りずに高校3年まで続けているバカは俺だ。
「そう」
でもそんなバカを懲りずに好きでいるのだろう、名は相変わらず悲しそうな顔をする。
「結構いい子でさ、可愛らしい。1つ下の」
「そっか、よかったね」
名のその顔を見たくて作った彼女はもう何人にいたかわからない。
「だから悪い、今週末の買い物付き合えねーわ」
「うん、大丈夫」
彼女がいない時だけ、名と遊ぶ。それで名の心を繋ぎとめた後、また悲しそうな顔を見て安心するんだ。今も俺のこと好きでいてくれるって。
***
「新開は姓のことを好きではないのか?」
寿一がそんな俺の核心に触れるような質問をしてきたのはインハイが終わってすぐのことだった。
「どうしたんだ?急に、まさか寿一、名のこと好きとか?」
俺のお願いを聞いて、中学からずっと自転車競技部のマネージャーをしてくれている名は、もちろん寿一とも仲がいい。
「いや、そうではない、なぜお前が他の女性とばかり付き合うのが不思議だったからだ」
寿一と恋バナなんて、長い付き合いだけどしたことなかったな。
「名は俺のこと好きでいてくれるからさ」
「お前がそれでいいならいいが、大切なものを失わないようにしろ。…姓の志望校は聞いたか?」
「明早だろ?俺、明早にするって言ったし」
「……自分で聞いてみるといい」
靖友が鉄仮面と呼ぶ寿一の顔が少し歪んで苦い顔になったことに胸騒ぎを覚えた俺は、次の日の部活終わりに部室に残って名を待った。
「隼人、どうしたの?折角早く部活終わったのに。彼女はいいの?」
ほら、やっぱり悲しそうな顔するじゃないか。胸騒ぎは気のせいか。
「なあ、名も明早だよな?」
「え?」
「志望校、明早だろ?俺も明早だし」
「…なんで隼人が明早だと私も明早なの?」
「え?」
そりゃそうだ。ごもっともだ。でもそんな疑問を持たないくらいに、今まで名はずっと俺のそばに居たし、これからもずっとそうだ。ずっと俺だけを見てればいい。
「私は、洋南に行くつもり」
耳を疑う。頭をどデカイハンマーで殴られたようだった。
「は…?」
「ごめん、私今日約束あるから先行くね」
「ちょっと待って、名」
思わず鞄を手に取った彼女の腕を掴む。
「洋南?なんでだ?行きたい学部があるとか?何学部?」
「理工学部」
「それなら明早にもあるだろ」
「だから、なんで隼人が明早だからって私も明早なの?」
「そりゃ、だってお前、…っ、今までだってずっとそうだったろ」
なんで?という問いに、正しい答えは思い浮かばない。でも俺はずっと名はそばにいると信じて疑わなかったんだよ、名だってそうだろ?なんて自分勝手な考えが頭に浮かんだところで部室のドアが開いた。
「名、まだ……っと、悪ィ、お取り込み中だったァ?」
「は?靖友?約束って靖友か?」
「ごめんね、隼人離して」
「待って名、なんで?」
「ごめん、隼人。靖友待たせてるから。離して」
「ちょっと待て、靖友なんて呼んでたっけ」
「隼人、腕痛いよ」
「は?何?靖友が洋南だから洋南にしたってこと?」
「離して!」
18年、側にいて一度も見たことのなかった名の険しい顔と張り上げた声に思わずたじろいで腕を離す。
「ごめん、靖友行こ」
「名、コイツ呆然としてるけどォ?話してやればァいいんじゃないのォ?」
「ていうか靖友も名なんて呼んでなかったよな?どういうことだよ、靖友と付き合ってんの?」
「隼人には関係ない」
「あるから」
「ないよ、なんで?幼馴染だとなんでも話さなきゃいけない?」
「名、どういうことだよ」
「ダァー!もう、ッセーなァ、俺がァ、名チャンに告白したのォ!」
「は?」
「俺を選んでくれるなら一緒に洋南に来て欲しいって言ったんだヨ」
「靖友っ、言わなくて」
「ンでェ、今は友達以上恋人未満的なァ?ヤツ。お試し期間な、告白保留されてんの、まだ俺には志望校教えてくれねェんだけど、さっきの話聞いてたら期待していいわけェ?」
名の制止も無視しそう話し切ると、靖友は隣に立った名に目をやる。名は一呼吸置いてから俺を見て切なく笑った。
「隼人、お疲れ様。バイバイ」
そう俺に伝えると靖友の腕を引っ張り彼女は部室を後にした。
彼女が吐き出した「バイバイ」が頭で鳴り響いて、俺の中の何かが粉々になって崩れ落ちた気がした。
***
次の日の昼休み、俺が食堂に着くと、名はいつも俺の定位置の隣に座っていたはずなのに、靖友の隣に腰掛けていた。
「お疲れ、隼人」
名がまるで昨日のことはなかったかのように、いつもの笑顔を浮かべてこちらを見る。尽八が気まずそうに俺を見る目と寿一の何か言いたげな顔が頭に焼き付いて離れない。
「新開ィ、一応言っとくけど、俺ら付き合うことになったからァ」
靖友にその言葉を言われた時の俺はどんな顔をしていただろうか。
そこで初めて、自分が今まで彼女をどれだけ傷つけていたのか、自分がどれだけ馬鹿だったかに気がつく。
そしてそれと同時に今更伸ばした手は彼女にもう届かないことを思い知る。
「そうか…」と言いながら視線を落とすと名の手元には『洋南大学』と書かれた赤い本が置いてあった。