いとけなくとも戀の花
「姓さん、ワリ、現国のノート借りてもいい?」
「…はい」
「ありがと、悪いな、つい寝ちゃってさ」
同じクラスの姓名。地味で、真面目そうなメガネ女子。いっつも休み時間は本を読んで、昼休みに隣のクラスからくる同じような女子と弁当を食ってる。
「姓さん、ロードとか興味ない?」
「…あの、手嶋くん」
「ん?」
「もう、予鈴鳴ったので…」
話は終わりってことか。机の中から次の授業、英語のノートと教科書を取り出す姓さんを眺める。
「手嶋くん、多分今日当たるから…やっておいたほうがいいと思う…」
ちらり、と黒板に目をやると確かに今日は俺の出席番号と同じ日付だった。タイムオーバー。もう多分彼女はこの休み時間は相手してくれないな。特に、教室、人前だと彼女の素っ気無さに拍車がかかるのだけれど、少しでも俺を認識する時間を長くしてほしい、なんて。
***
「あー」
「純太、どうした」
「青八木だったらもっと仲良くなれんのかな、なんか似てるし話合いそう」
「何の話だ?」
「俺も本とか読めばいいってか?漫画とサイクルタイムしか読めねーよ」
部室で青八木に愚痴なのかなんなのかわからない言葉を伝えながら、思い返す。何故俺がここまで彼女に固執するか、きっかけは今年の春。
ちょうど学校のない土曜日の夕方、部活終わりにしていた自主練の休憩中、校庭の一角にある花壇で彼女を見かけた。
「綺麗な花だな」
「…かすみ草、です」
「あー、俺のことわかんない?同じクラスの」
「え、あ、わ、わかります…というか手嶋くんこそ私のこと」
「姓名さん、ちゃんと覚えてるぜ」
自己紹介、ちゃんとみんなの聞いてたからさ、と笑うと彼女は恥ずかしそうに下を向いた。
「姓さんが育ててんの?園芸部?とかあったっけ、うち」
「いや、私、将来こういう道に進めたらいいな、って思ってて、学校の花をお世話してる先生に頼んでここの一角を2年生の頃から借りてて…」
「へー?農家?ってこと?」
「あ、いや、あのー、フラワーアレンジメント…です」
相変わらず恥ずかしそうに、控えめに話す彼女が頭に焼き付いて、それからというもの、俺はその花壇を気にかけるようになった。
「かすみ草ってさ、そんなにパッとする花じゃないけど、集まると綺麗だな」
俺がそんなことを言えば、見たことのない笑顔を咲かせて。
「地味に見えるけど、というか地味なんだけど、他のお花を綺麗に見せる、何というか…名バイプレイヤーっていうのかな?」
「脇役」
「でも、私はそんなかすみ草が主役になった時の可憐さがすごく好きで、私部屋に必ず花を飾ってるんだけど、この時期はいつもかすみ草にしてるの」
「へえ、そうなんだ」
「…あ、そう…です、ごめんなさい、ペチャクチャ…」
「え?なんで?姓さんってすごい花が好きなんだな」
「…うん…」
シュワシュワシュワ、と風船が縮んでしまうかのように言葉尻が小さくなる姓さんの意外な一面を見た気がして、気がついたらそんな彼女の虜になっていた。
「あと、笑った顔も可愛いんだよな」
「なんの話だ?」
いけない、彼女と仲良くなった、いや、一方的に想いを寄せ始めた時間を思い返してたら、心の声が漏れてしまっていたらしい。青八木がさっきからなんなんだとでも言いたげにこちらを見ている。
「最近さ、気になる子?まあそんな感じの子がいるんだよ」
「…!どんな子だ?」
「静かで、本をめっちゃ読んでて、花が好き、あとめっちゃ可愛い、絶対可愛い、あんまり気がつかれてないけど、あれは眼鏡外したら超美少女な漫画的なやつだわ」
そうか、なんて俺の話に何かコメントするわけでもなくただ聞いてくれる青八木に、気がつけば心に抱えている思いを吐き出していた。
***
「姓さん」
「手嶋くん」
「向日葵?」
「そう、夏だから」
教室だと今まで通りだけれど、花壇の前だとタメ口で、少し楽しそうに話してくれるようになったのは7月も半ば。
「なんだっけ、向日葵の花言葉、ロマンチックなやつだよな」
「…あなただけを見つめる」
…………やっべ。
「…手嶋くん?」
姓さんは、花言葉を俺に教えてくれただけだ。わかってるわかってる、わかってるよ。でもさ、ずるいだろ、真っ直ぐ俺を見ながらそんなこと言うの…
「姓さん、好き…」
って思ってたら、え?
「…わ、え?あれ、いま俺、ちょ、まっ」
俺、いまとんでもないこと口走った気が、そう思いながら彼女の顔を覗けば、みるみる顔が赤くなる。女子慣れしてない鏑木が寒咲に調理実習で余ったお菓子もらった時並みに姓さんが赤くなってる。
「ご、ごめんなさっ、え、あ、そういうことじゃなくて、違くて、ごめんなさいっ」
焦ったように謝罪の言葉をいくつも並べて彼女はジョウロも手入れ用の鋏も置きっ放しのまま、俺の前を走り去っていった。
「ごめんなさい…って、そういうことだよな…」
ポツリ、まさかまだ告げるつもりのなかった想いをよりにもよってインハイ前に口から零してしまった自分を悔いる。
まだだったよな、あーあ。バカだろ、手嶋純太。
タイムマシンを今すぐ準備してくれ、そんな届かない願いを空に向けて願って、部室へ向かった。
***
夏休み、インターハイも終わり受験一色。新学期。
姓さんとはあの次の日、忘れていたジョウロと鋏を机に渡しに行って、「ありがとう」と言われたきり、逃げるようにまた俺の前からいなくなってしまって、話せていない。恋愛なんかにうつつを抜かしている場合じゃなかったのだと、神様がきっとそんなこと考える暇があるならペダルを回せと俺に伝えるためにインハイ前にフラれるようにしてくれたのだと言い聞かせて、必死にペダルを漕ぐことに集中した。
でも、そんなインターハイも終わった今。とにかく不完全燃焼で。もう一回、当たって砕けられないかと、2学期の初日から諦めが悪い俺はもう一度彼女と会話することを試みた。
休み時間は彼女の机に向かう。
「姓さん…」
「あ、ご、ごめんなさい、ちょっと職員室」
部活の前は彼女の花壇。
「よ、姓さん」
「っ、あ、えっと、ごめん、教室に忘れ物…」
きっついな、わかりやすく避けられてるし。やっぱり無理か、諦めるしかないのか、俺。そんなアタックを続けること約1週間、9月11日、俺の誕生日を迎えた。
流石に誕生日に落ち込みたくない。今日は休み時間、彼女の元に行くのもやめたし、花壇には寄らずに真っ直ぐ部室に向かった。
部活では青八木や古賀、可愛い後輩達が用意してくれたケーキとプレゼント。自転車やっててよかった。こんな仲間に出会えてすげー幸せだ。もうこれで、俺十分だろ。そんなことを考えながらその日の練習を終えて、残っていた鳴子と小野田に、ありがとなと伝えると「来年は彼女さんにでも祝ってもらってくださいね」なんて、鳴子が余計なことを言うから、叶わない姓さんへの想いを思い出してしまって、思わず苦笑いで手を振って部室を出た。
「手嶋くん」
「へ?」
そう、あとは自分のママチャリに乗って家に帰って、母親が焼いているであろうケーキを食って…そんな一日になるはず…だったのに。
「…姓さん?」
部室から少し歩いた所の壁を背に、真っ直ぐと背筋を伸ばした姓さんが立っていて、しかも、俺の名前を呼んだ。
「…あの…お誕生日おめでとう…」
「え…?」
どうして。
「ごめん、えっと、青八木くん?に聞いて」
「…あー、青八木が余計なこと言った?気にしないでごめんね、ありがと」
青八木が余計な世話を焼いてくれたのかと思ってそう伝えると、彼女が首をブンブンと横に振った。
「ちがうの、その、前に手嶋くん秋生まれだからコスモスが好きって」
そんなことも言ったっけな。まあ、今日は暑いし、秋っていうより残暑だな。
「それで、その、いつも仲のいい青八木くんなら、知ってるかなって思って…誕生日を聞きに、行きました…」
今にも沸騰しちゃうんじゃないか、と思うくらいには真っ赤に染まっている彼女に、なんだかこっちまで身体中が真っ赤になってる気になる。
「…プレゼントも、私よくわからないから…自転車屋さん?教えてもらって…気に入ってもらえるかわかんないんだけど…」
「え?プレゼント…?」
本気で言ってるのか?何が起きてる?夢?俺寝てるの?なんて思いながら親指の爪をさりげなく手のひらに押し付けてみれば、ピリッと痛みが走って、どうやらこれは現実らしい。
「これ…」
そう渡されたグレーの袋を開けると、中にはロード用のグローブ。
「…あ、サイズは…わからなかったので…それも青八木くんに聞きました…」
「え…あ…まじで…?」
「ご、ごめんなさい…それだけです、では…」
お礼を言葉にする前に、すごい勢いでお辞儀をした姓さんが、猛ダッシュで俺の前から去って行く。慌てて追いかけると、あっという間に彼女の腕に触れることができた。
「っ…!」
「姓さん、待って…」
「あ、あの…腕…」
「ありがとう、プレゼント」
腕…と、壊れたおもちゃみたいに繰り返す彼女に思わず吹き出しそうになるけれど、でもごめん、離せないよ、せっかく触れられたのに。
「姓さん」
「…う、で…」
「すっげー嬉しい、ありがと」
「…いいえ…」
「それで、さ、前のごめんなさいなんだけど」
「え…?」
「前に俺に言ってたごめんなさい」
「……」
「あれって、俺とは付き合えませんのごめんなさい?」
「あ…」
「それとも、逃げるためのごめんなさい?」
「………その…」
「俺、好きな子から誕生日にこんなプレゼントもらったら、両思いかもって自惚れちゃうんだけど」
「すっ…すきな…こ…」
プシューッと、もうショートしちゃってるんじゃないか、と思うくらい顔が真っ赤だし、ついでに掴んでるままの腕もものすごく熱い。
「俺、やっぱり姓さんが好きなんだけど」
「…手嶋、く…」
「もう一個誕生日プレゼントほしい」
「………なんでしょうか…」
「姓さんの気持ち」
一瞬、また逃げようとしたのか、腕に力が入るけど、やっぱり離せない。無理だろ?後ろに見える夕焼け空なんかよりも紅く染まった顔で俺にプレゼント渡してくれる彼女を見て、みすみす手を離すことなんてできるわけない。
「…」
「姓さん」
「………、む、り…」
「…期待していい?」
「っ…」
だんだんと目の前の彼女の瞳が潤んできて。
「姓さん」
「…あのっ…」
「ん?」
「………やっ、ぱ、むり…」
口に出すか出さないか彼女がその言葉を躊躇しているのが手に取るように伝わってくる。
「あー…じゃあ、聞き方変える」
「え?」
一歩、彼女の方に歩み寄って。
「俺のこと好きじゃなかったら、これからするの、拒んで」
「へ…」
ぽかん、とした表情を浮かべる彼女の頬を片方の手のひらで包み込むように、触れる寸前。彼女の耳にかかっている眼鏡のフレームをつかんだ。彼女の肩がビクッと動いて、そのタイミングで眼鏡を外した。
「やっぱり、眼鏡外すと超可愛い、誰にも見せたくないわ」
そのまま、彼女の瞳からこぼれ落ちる水滴を一粒手のひらで掬い取る。
「っ…」
「…姓さん、そこで目を閉じられるとチューしちゃいそう」
「っ…!!」
慌てて目を見開いた彼女を見て、やっぱり好きだな、なんて此の期に及んでどうしょうもないことを思う。
「…はー、やっぱり好きなんだけど」
「手嶋くん…」
「拒まなかったってことは好きってことで良い?」
「…あの」
ふう、と眼鏡を外したままの彼女が瞳を伏せて一息置いた。まつ毛長いんだな、すっげー綺麗。
「……私も、好きです…」
「………」
「手嶋くんのこと…」
やばい、彼女の熱がこっちまで伝染してくる。絶対俺の顔、赤い。
聞きたかった言葉なのに、漸く聞くことができたと思ったら、何も返事ができないなんてカッコ悪すぎだろ、俺。
そんなことを思っていると後ろから鳴子と小野田の話し声が聞こえてきた。
「いやー、手嶋さんの顔にパイ投げしたかったわ」
「そんな、鳴子くん」
「無口先輩でリベンジやな」
「あ、青八木さんに投げるの!?」
「手嶋さんは意外とノリノリでやってくれそうやん」
先輩にパイ投げする気か、随分頼もしい後輩たちだ、なんて、考えたのは姓さんの腕を引っ張って、鳴子たちから見えない木の陰に隠れてから。
「姓さん、ごめんな、ちょっと後輩が」
「あ…いや…うん…」
「姓さん」
もう一度、彼女の名前を呼んで、姓さんが顔を上げるのと同じくらいのタイミングで彼女を抱きしめて、耳元で話しだす。
「て、手嶋くんっ…」
「シー」
「…っ」
「さっきの返事、嬉しかった、ありがとう」
もぞもぞ、腕の中で顔を縦に振っているのだろう、首にあたる彼女の髪がくすぐったい。
「…彼女、って言っていい?今日から」
多分、また頷いている。
しばらく無言で抱きしめて、後輩たちの声が聞こえなくなってから腕を解いた。
「…っ」
「ごめん、いま俺めっちゃ顔赤いから見ないで…」
じ、っと彼女の瞳が俺を捉えていて、思わず顔を背けてしまう。
「あの…眼鏡がないから、見えないよ…」
彼女の言葉で眼鏡を持ったままだったのを思い出す。
「……見せられる顔になったら返すわ」
「歩けない…」
「大丈夫」
手をしっかり繋いで。
「これで」
「…っ、手嶋くん」
あ、やばいな、これ当分眼鏡返せないかもなんて思いながら、彼女の手を引いてゆっくりと歩き出した。