角砂糖がほどけるように
「好きな食べ物はなんですか?」
「鶏肉スね」
新米ヒーローに向けられた当たり障りのない質問に、へらりと笑って答えた。
「焼き鳥とか好きですねえ。ちょっと、共食いとか言わんでくださいよ、俺人間ですって。羽ありますけど。
ああ、あとは甘いものっスかね。飛ぶのって意外と体力使うんで結構食いますよ、俺。甘いものってエネルギー補給にも良いですし」
ペラペラと動く口は、決して嘘は言っていない。成人と言っていい男の、それもヒーローとして鍛えられた体を浮かすためのエネルギーはそれなりに要る。特に意識したことはないが、基礎代謝が基準値よりもはるかに高いのは剛翼が理由だと思う。
「んじゃ、パトロールの途中だったんで。失礼しやーす!」
にっこりと笑顔を贈ってゴーグルを下ろす。それだけでファンサに応える気さくなヒーローから、パトロールに勤しむ真面目なヒーローへと早変わり。最後にインタビュワーへ軽く手を振って、空へと身を躍らせた。
あの回答は雑誌に載るのだろうか。それともウェブサイトの新人ヒーロー特集だったか。
ま、なんでもいいや。
秘めた本音は建前で包んで隠してしまえ。


特殊な家庭環境だったと自認している。
たくさんの偶然が重なって、名前さんと一緒に暮らすことになった日。
テーブルの真ん中に鎮座する鍋に戸惑う俺に、名前さんは肉と野菜を取り分けて渡してくれた。恐る恐る湯気のたつ肉を噛みしめた途端、涙が勝手にこぼれたんだっけ。
食べ物が喉を通り、腹の中からあたためてくれる感覚。食事はただ腹を満たすためのものではなく、体も心もあたためるものだと知った。それが俺のことを考えて作ってくれたものなら尚更。
一口食って泣き出した俺を見た名前さんは驚いていて……そりゃそうだ、目の前の子どもがなんの前触れもなく突然泣きだすんだから。困るに違いない。俺なら困る。間違いなく。
当時の俺は心配させたくない一心で「思うとったより熱かったけん、びっくりしただけばい!」と言い訳したが、今思えば稚拙すぎる嘘で顔を覆いたくなる。それでもあえて気付かないふりをしてくれたんだと思う。そういう気遣いが上手い人だから。
名前さんにとってはなんてことはない、ありふれた家庭料理だったんだろう。でも俺にとっては人生最高の食事だった。「今」を勘定にいれてもそう言える。
そんな子どもが初めて食べたケーキの味を忘れられると思うか?
クリスマスなんてテレビの中の出来事だと思っていた。それなのに名前さんは、わざわざ丸いケーキを用意してくれた。空腹のあまり公園に生えていた草すら口にしたことがある俺にとって、砂糖がふんだんに使われたケーキは想像上の食べ物でしかなく、目の前でカットされてようやく三角のケーキは丸いのを切って出来るんだと知った。
恐る恐るフォークを刺したら思いのほか柔らかくて形を崩してしまったが、ふわふわして甘くて、噛まなくても溶ける食感なんて初めてで。フォークを咥えたまま目を見開いた俺の隣で名前さんも一口食べて、美味しいねと顔を綻ばせて。それが俺も嬉しくて、大きく頷き返した。
名前さんのことだ。味じゃなくて、俺がケーキに感動してることに微笑んでくれたんだと思う。お菓子の一つで大はしゃぎするんだ、さぞかし微笑ましかったろう。それに気付かず俺は、食べる人みんなを幸せにできるケーキってすごい、最高の食べ物だ!と浮かれまくっていた。そんなすごいものを食べることができた、人生で一番幸せな日だ!って。
まあ、「人生で一番幸せな日」が片手で足りる間にすぐさま更新されるなんて、あの時は微塵も思っていなかったけれど。

名前さんは俺にたくさんのものをくれた。
まともな生活も、勉強する機会も、家族も、サプライズも、鷹見啓悟である時間も。
初恋も、そして唐突な別れと悲しみも。
共に過ごした8年分の毎日を、ミルクレープみたいに丁寧に重ねて「ホークス」の土台ができている。



休憩にと腰掛けた電柱の上。
ちらりと見下ろした雑踏の中、パティスリーの箱を持った男の顔に見覚えがあった。指名手配のヴィランリストにはなかった顔だが、どこかで見たことがある。目を離さないまま思考を巡らせること数秒、ようやく思い当たって警戒を解いた。
遠い昔、飛び入り参加した草野球でバッテリーを組んだ相手だった。数回遊んだ程度でさすがに名前までは覚えていないが、チームのリーダー的な存在で人懐っこく、屈託のない笑顔でタカと呼んでくれる気のいい奴。細身だったはずの彼はラガーマンの如き体つきになっていたけれど、面影を残した笑顔を浮かべ、隣を歩く女性と楽しそうに話している。元気そうで何よりだ。
あいつとの出会いをくれたのも名前さんだったと気付いた瞬間、無意識にピアスに触れていた。数拍遅れてほんの僅か世界が滲む。
ピアス以外にも、あなたがここにいた証が息づいているんです。
この町に、ちゃんと。






人目を避けるように闇に紛れて帰宅するまでの最中、羽休めにと降り立ったビルの上。
あの日見たキラキラは形を潜めるかわりに、数本のろうそくを吹き消すまでのまろやかな光に似て、思わず目を細める。

死んだわけじゃない。あの時「元の世界に戻る時間」だと言った。だから永遠の別れじゃない。屁理屈だと囁く理性は両頬を叩いて追い払う。だって名前さんは俺にさよならを言っていないから。
あいにく世界を越える個性はないから「ここ」しか探せないけれど、一度があるなら二度目だってあるはず。奇跡はたった一度だなんて、誰が決めた?また会えた時に誇れる自分でいれるよう、今は研鑽を積むだけだ。










部屋に帰っても灯りがついていないことに、ようやく慣れた。暗がりの中、ベッドに倒れ込んだ途端に襲いくる違和感の正体も知っている。
限界まで酷使した体を優しく受け止めてくれた、おひさまのぬくもりをたっぷり含んだ布団。いつも名前さんが干してくれていた。
訓練で上手く行かなくて悔しさに眠れない夜、でも口にするのは格好悪いからと寝たふりをした俺に、優しく髪を梳く手は何も聞かず小さなプライドを守ってくれた。
ねえ、と唇から漏れ落ちた情けない音は闇に溶けるばかりで、望む声は返ってこない。まだ日常のいたるところに名前さんの痕跡は色濃く残っているけれど、やがて薄れゆくことにも慣れるんだろう。それがわからないほど子どもではなくなった。

弱音が溶けた空気を胸いっぱい吸い込んで、一気に吹き飛ばす。
「ここで腐っとーヒマはなか!」
疲労を訴える体に反動をつけて立ち上がると、そのまま真っ直ぐキッチンへ。電気をつけてお湯を沸かしつつ、戸棚の中をひっくり返して名前さんが飲んでいたコーヒーを引っ張り出す。
ドリップして出来上がったばかりのコーヒーに角砂糖を容赦なくポイポイ放り込んだ。これを見たら目を丸くするんだろうな。容易に想像できて口の端が上がってしまう。
センチメンタルに浸る悲劇の主人公なんかより、泥臭く足掻く脇役がいい。憧れのヒーローだってそうだった。欲しいものは手に入れる。諦めるなんて論外だ。そのための努力と時間をおろそかにはしたくない。
時間が経つにつれ、思い出は粉砂糖が降りかかるみたいに色と輪郭を隠していくけれど。ほんの少し名前さんの優しさに包まれたい時、鷹見啓悟の原点を思い出したい時、こうして舌先から記憶を呼び起こす。
胸の奥深くに大切にしまってある初めてのプレゼント。剛翼と同じ真っ赤なリボンに包まれた箱の中の俺は、いつだって7歳の子どものまま。
二人きりのあの部屋で、仲良くケーキをつついている。


友人のほのむさんに頂いた文です。当サイトの長編を元に書いてくださいました。本当にありがとうございます…!!感無量です…!



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