戦いの終わり
「あのね、ホークス……」

「啓悟でも。俺の本名はもう知られてることですし」

群訝山荘跡から南に数キロ離れた先にテントが張られていた。これから出てしまうだろう怪我人を救護するための施設だ。3つのテントにはベッドが並べられ、応急処置に使う薬や資材が運び込まれている。ここが機能不全になっても良いようにさらに東の方にも同じ野戦病院が準備されていた。

「啓悟、気をつけて」

「はい、名前さん」

私は彼に抱きついて腕を回した。ほとんど無くなった羽と義羽がそっと私を包み返してくれる。

「常闇くん達をよろしくね」

「もちろんです」

「同じくらい、啓悟……自分自身のことも」

彼は返事をしなかった。にこりと微笑んで軽く私のこめかみにキスを落としてから地を蹴った。これから大きな戦いが始まろうとしていた。




「止血帯が足りません!」

「向こうのテントからすぐに持ってきます!」

「うっ……足が……」

「今痛みを和らげる点滴を入れますから」

「先生、個性で静脈取れません……っ」

「足ならいけそう、私がやります!」

あれから1時間足らずでこのテントにはすでに10人以上のプロヒーローや仮免を持った雄英高校の生徒が怪我で運び込まれて治療を受け始めていた。そんな中で無線で繋がったスピーカーから戦況が次々と伝えられている。
看護師や医師の声が縦横無尽に飛び交う中で荼毘の確保が伝えられた。喜びも束の間、戦局が大きく傾いたのはそのすぐあとだった。

『エンデヴァーさん!』

啓悟の声が無線に乗る。

『……ザザッ……喋るな!……ザッ……』

電波が悪い。それに救護人の痛みに堪える声や医師の指示の声にかき消されてしまう。
心配でたまらない。そんなの、当たり前じゃないか。啓悟とエンデヴァーはAFOとまさに今対峙していて一瞬のことが命取りになるような戦いをしている。殺さなければ殺されるようなそんなギリギリの世界で。

「名前さん!」

同僚の看護師が私の名前を呼んだ。

「す、すみません。酸素濃縮器ですよね!」

今、そっちはどうなっているの。羽は。怪我は。

そこまで考えて、私は自分の頬を両手で挟むように叩いた。
そうだ、そんなこと気にしても仕方ない。私がいくら無線に齧り付こうが、テレビに向かって祈ろうが神様が助けてくれるわけでもない。啓悟は啓悟のできる限りのことをこなすだけだ。

「よし……っ」

死に物狂いでヒーローを続ける彼のために私ができることはこれだけ。

「酸素持ってきました!繋ぎます!」

ここで精一杯の救護活動を行うこと。それが私の、私ができるヒーロー活動だから。




無線からは他の場所の戦局も流れてはきていた。それに一喜一憂しないようにただただ目の前の傷病者に向き合っていく。
突然、地鳴りのような轟音が響いた。無線からは様々な声が入り乱れ状況の把握すら叶わない。1人の警察官がタブレットを開いて音量を上げた。
そこには増殖し続けるトゥワイスの波が映されていた。そのあまりの禍々しさに医師も手を止めてしまうほど。

「ここに到達する前に怪我人だけでも移動させるべきだ!」

「どこへ行くというんだ!?ヒーロー達が食い止められなければ、どこに行ったって危険なのは変わりないだろう」

医師達や警察官の怒号の中でも手は止めてはいけない。移動させるにしても留まるにしても、ヒーロー達が戦い続けている限り諦めることだけは許されないから。1人の処置が終わり、さらにまたもう1人の処置が終わった。息をつく暇もなく次の患者に向かおうとした時にタブレットが視界に入った。
ほんのたまたまだった。ほんの一瞬だったのに。画面に映された、彼が粉々になる姿が。

手足の力が抜けた。手に持っていた包帯を落としてしまったことさえ、気が付かなかった。目の前が真っ白になる感覚とはこういうことだ。

『士傑高校です!士傑高校からの応援が来ました!』

「名前さん!ホークスは無事ですよ!」

無線からの声と看護師の声に焦点が戻る。AFOに粉々にされたのは個性で映された幻だった。良かったですね、という看護師の声に私は首を縦に振ることはできなかった。戦場というものをどこかで過信していたのかもしれない。ホークスが生き残るかなんて、私にはわからない。原作を最後まで読んでいない私には。

「少し休んだ方が良い」

男性医師が私の背に声をかけた。

「すみません、大丈夫です。行けます」

「その震えでも?」

身体が震えていた。自分のことなのに言われるまで気がつけなかった。啓悟が生きているとわかった今でも手足は冷たいままだった。

「10分くらい構わない。震えてる方が支障が出――『あんたの旧い栄光より、応援してる方の作る未来が見たいんスよ俺はァ!!』

タブレットと無線から流れる音に声がかき消される。こんなことをしている間にも彼らはもがきあがき続けている。より良い未来のために。

『押せええ!!』

啓悟の声が響いた。暗闇を呑み込むようなダークシャドウが画面いっぱいに映されている。

震えは止まった。

「大丈夫です。やれます!」

ほぼ羽のない姿で啓悟は常闇の、次の未来を作る彼らの背中を押し続けている。
誰も諦めていない。両手を握って開けば血が通いはじめたかのようにやっと赤みが差した。

その後も手足を動かしている間、ずっと無線からは様々な声が届いていた。その音が切れるまで彼らはずっと戦い続けるんだろう。私達も同じ。雄英高校上空で、海上で、ここで、1人でも諦めない者がいる限り。

何分経っただろう。1時間だろうか、いや10分程度か?急に悪寒が走った。
これは違和感だった。目の前の患者に対してではなく、なにか別の。

そうだ。患者の声がよく聞こえるようになったんだ。なぜだろう。一体どうして。

「あ……」

無線の音が消えていた。否、消えているのではなく静かになっただけだった。

不思議に思いタブレットに目をやった。そこには、またしても彼が映されていた。

「ダメ!」

若返ったAFOが啓悟の首を掴み上げていた。常闇や他のヒーロー達も皆地に伏せ、ただ広い荒れ野だけが映されている。

「助けに、行かなきゃ」

気が動転する私をテントの入り口で警察官が押さえた。

「行ってはだめだ、危険すぎる」

「でも、啓悟がっ」

「退避の指示が出た!怪我人優先で北西に移動!」

「退避?」

「トガのトゥワイスが直にここに到達する!君も看護師なら最後まで責任を持ちなさい!」



それからはあっという間だった。起き上がれないものを担架に乗せ車に運び込み、資材を積み込む。溢れた物は看護師や警察官が背負い、車の後を走るようにして追った。

空を通して、どこかでまだ戦う音が聞こえてくる。それを背にしながら足早に進んだ、できるだけ遠くまで。
啓悟はあの後どうなったのだろう。剣を手に……きっと常闇を守っていたんだ。AFOの狙いは彼の個性だった。ダークシャドウは無事だろうか。それも無線が聞けない今、何もわからない。

かなりの距離を歩いた。途中、避難先で怪我人を降ろした警察車両が私達を迎えにきたのでそれに乗り込んだ。そこでやっと無線が聞けるようになった。

『トゥワイスが……トガが消滅しました!』

「それなら、」

『向かえる者は急ぎ救出へ。雄英ロボがすでに運搬のために向かっている。警察車両や医師達も動ける者は皆群訝山荘跡へ急行してくれ』

「だそうだ。君達、良いか?」

運転する警察官が車両に乗り込んでいた私を含めた数人の医師と看護師に声をかけた。全員が首を縦に振った。

車で到着すれば、そこは惨状が広がっていた。ほとんどのヒーローが起き上がることすらままならない。集まった30人程で手分けをして怪我の度合いを見ながら優先順位を立てて車両へ運び込んでいく。急を要する者は移動しながら治療し、その他の者も雄英ロボが運び出し始めていた。

常闇を見つけた。同行していた看護師が2人彼に付いた。
そしてそのすぐ近くで彼を見つけた。

「啓悟……!」

私は彼に駆け寄った。岩場を背にして力無く腰掛けている。意識はあるだろうか。見た目の怪我は酷く見える。止血薬に化膿止めも必要か。

「名前、さん……?」

「啓悟!私のこと、わかる?視界は?」

「常闇くんは、」

「大丈夫。今、看護師がみてる。ダークシャドウも無事だよ」

「良かった」

彼は力無く微笑んだ。その姿に我慢していた涙腺が崩れる。

「もう、啓悟はいつも人のことばかり」

「ヒーロー向きな性格でしょ」

笑うべきなのに涙でぐしゃぐしゃな顔を隠したくて、彼とまた会えたことが奇跡で、私は彼に抱きついていた。

「本当は俺も抱きしめ返したいんですけど、腕に力が入らなくて」

「ごめん、それに痛むよね、すぐに離れるから」

「良いです。もう少しだけこのまま」

彼が私に頬を擦り寄せた。

「そういえば、個性、奪られてしまいました」

「啓悟が無事ならそれで良い」

「はは……名前さんならそう言ってくれると思ってました」

身体を離して彼に向き合う。

「啓悟が生きていてくれるのが一番だから。羽が無くてもそれに手足が動かなくても、私があなたの羽と手足になるから」

「なんだかプロポーズみたいですね」

「言いすぎ、かな?」

彼がくしゃりと顔を歪めて笑った。まだ止まらない涙を袖で拭えば、彼の目もほんの少し光ったような気がした。

「もう少しだけ」

彼の言葉にまたそっと彼を抱きしめた。



肩を貸すようにして啓悟を医師に届けた後も救護は続いた。その間に死柄木、もといAFOにデク達が勝利した速報が伝えられる。
ついに終わった。敵連合との戦いが。でもこれは終わりではなく始まりだった。今まで目を逸らしてきた様々な個性への関わりや理解について。
それが出来たら、きっと啓悟の言う『ヒーローが暇を持て余す社会』にもっと近づくことができる。そう確信している。
今日のことは、誰も忘れることはできないだろう。それで良い。美談にすることはできないけれど、このことを胸に未来を作っていくことが大事だ。

「ふぅ……」

数時間をかけて、その地域の救出活動は終えられた。
私がこの世界に来た意味はあったのだろうか。看護師1人が助けられたのはせいぜい十数人かもしれないけれど、それでも意味のあるものになっただろうか。

「ホークスはセントラル病院に送られたそうですよ」

同僚の看護師が私に伝えた。

「私達も戻りましょうか。たくさんの患者さんが待ってますよ」

これが私のヒーロー活動だ。きっとここからが大変になる。それでも、やりがいは十分にある。
待ってて、啓悟。それに、彼が望んだ素敵な未来も。
空を仰いでから私は迎えに来た車に乗り込んだ。

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