ファーストプレゼント
(綺麗……)
目の前に並べられたダイヤモンドとプラチナの輝きに目が奪われる。
「やはり人気が根強いのは立て爪ありの一粒タイプ、ソリティアですね。ソリティアの中でもリングがこのようにストレート、ウェーブにクロスなどもございます」
「こちらがメレと言われるタイプですね。センターストーンの脇にアクセントストーンが入ります」
「そしてこちらも人気のあるタイプで、エタニティでございます。結婚指輪をシンプルなストレートタイプにされた場合、このように重ね付けしやすく普段使いもしやすい点が人気となっております」
華のある女性のスタッフが小さなダイヤモンドがぐるりと一周敷き詰められたエタニティリングと何も装飾のないストレートリングを並べてにこりと微笑んだ。
プロポーズを受けてから早1ヶ月、私と啓悟はブライダルリングで有名なブランドの直営店に来ていた。夜の19時、普段ならばまだ開店している時間だがホークスのためにとその日は閉店時間を早めて人払いをしてくれていたようだった。
店内のあちらこちらから集められた様々な種類のリングを目の当たりにして、文字通り目が眩むような思いになる。
「いかがでしょう、どちらか気になるものはございますか?」
もう一度説明を思い出しながら左端からリングと向き合うも、どれも素敵で選べそうにない。
「あの、もう少しだけ見ていても良いですか?」
啓悟が彼女に目配せをする。すると女性スタッフは一礼をして、奥の部屋へ戻って行った。
「どうですか?気にいるものはありましたか」
啓悟が私の後ろから覗き込むようにリングを見て、そのうちのひとつを手に取った。
「どれも素敵なんだけど」
「けど?」
チラッとリングが置かれていた台に書かれた数字を見る。思っていたよりも桁がひとつ多いそれに尻込みしてしまっていた。
「金額は気にしない約束でしょ。どんだけ俺が稼いでるか知ってるくせに」
「そりゃ私が給料計算もしてるんだからもちろん知ってるけど」
指輪を次々に手に取っては、光にかざして輝きを確かめるように見ている啓悟。
「結婚指輪とは違って大きな石がついてるとさ、料理とか洗濯とか家事の時も仕事の時も外さないといけないでしょ?普段はほぼつけられないし勿体無いのでは……」
及び腰な私に対して彼が少し笑うようにして言った。
「そうだとしても、名前さんなら大事にしてくれるでしょ?それに良いんです、こうやって一緒に見にきて選んで買ったっていうのが思い出になるんですから」
好きなのを選んでください、と彼が並べられた指輪に視線を向けた。どれも本当に素敵でキラキラと天の川のように繊細な煌めきを放っている。
「啓悟はどれが気になる?」
「うーん、俺はこれですかね」
プラチナ製ストレートリングにソリティア、ダイヤモンドが六つの爪で支えられているまさに王道タイプ。
それを手に取った啓悟に私が左手を掲げれば、意を汲み取ったのか少しだけ笑ってからその薬指に指輪をそっと通した。
それは本当にびっくりするくらい自分の指にぴったりと馴染んだ。サイズもきっと啓悟があらかじめ伝えていたのだろう。指輪のサイズを知ってる男は良い男どころかよほど抜け目のない男だ、なんてどこかで見たことがあったけれど彼にはぴったりの言葉なのかもしれない。
「これにする」
「えっ、いいんですか?他にもたくさん……」
「ううん、これがいい」
左手の甲を向けながら顔の前に手をかざしてみれば、彼は嬉しそうに口の端を上げた。
購入の意思をスタッフに伝えた後、指輪の内側に入れる文字を決め支払いを済ませる。受け取りまでは2週間を要するようだ。
「次は結婚指輪ですね」
帰り道、まだふわふわとした気分の中で啓悟がそう言った。結婚指輪は啓悟と同じデザインが良い、それだけは考えてあるけれど実際の物を見てまた同じように決められなくなる未来は易々と想像がついた。
「啓悟は指輪……良いの?」
「良いの、とは?」
「プロヒーローでしてる人見たことないから……」
「あー、確かに。仕事中はつけられませんね、割れたら困りますし」
街灯が照らす中、私と啓悟は歩調を合わせるようにしながらなんとなく駅から反対の方向へと歩いていた。
彼の羽なら家までひとっ飛びなのはわかっていたが、まだこうしてゆっくりと話していたい。1月も下旬、冷え切った寒空の下でハァと息を吐いて手を温めればすぐに彼の左手が私の右手を絡め取り、そのままコートのポケットへ誘われる。
「そういえば」
私の右手に絡めた手をするすると動かしながら彼が呟いた。
「結婚したら名字はどうしますか?夫婦別姓も多いですけど」
鷹見か苗字か。
妻姓にすることも、夫婦別姓もこのヒロアカの世界では一般的だった。だから好きな方にすれば良い、ただそれだけのこと。
「苗字啓悟なんてどうですか?」
少しおどけたようにそう言う彼に視線を向けると、眉を上げながら首を傾げるようにして良いと思いませんか?と聞いてきた。
私自身は特にこだわりがあるわけではない。強いて言うなら、私がいた世界では夫の姓にする人が多数だったから鷹見名前になるだろうなと思っていたくらい。
啓悟が苗字が良いと言うならそれはそれで。
あれ、そういえば啓悟のお母さんの名前は羽飼だったっけ。
「入籍……はいつにします?記念日とか誕生日がベタですよね、俺の誕生日は過ぎたばかりだからナシで……名前さんの誕生日は……」
私には家族はいない。元の世界にはいたけれどこの世界にいると決めた時点でもうそこは割り切っていたはずだった。だから、ドラマであるような結婚のお願いをするシーンもうちではあり得ない。
……でも、啓悟にはまだ家族がいたはずで。あの一連で脱獄した父親は行方が知れていない。生死ももはや不明だった。しかし母親は?
啓悟が今も連絡を取っているのか、もぬけの殻の家を訪れた後に母親を見つけ出したのかは定かではないが、私にはいない血の繋がった家族が啓悟にはまだ、存在している。
「……もう遅いですしそろそろ帰りましょうか」
啓悟の言葉にハッと我に帰る。そっと見上げて表情を伺えば、首の後ろに右手をやりながら眉を八の字にさせた彼が心配そうに私を見ていた。
彼を困らせてしまった。
「ごめん、少し考え事をしてて……」
啓悟は何も言わずに、詮索をすることもなくポケットに入っていた私の手を握り直した。
「冷え込んできましたし、もう帰りましょうか」
これも彼なりの優しさなのだろう。
気になったことであれば彼はその場ではっきりと聞いてくる。じれったいことなんてしない。
聞いてこない、ということはきっと予想がついている、もしくは確信があるのだろう。
その大きな手を握り返してぐっと身体を寄せれば、彼の横顔が柔らかく綻んだ。
――――――――――――
遠目で見ても、私にはあの人が誰なのかがわかる。
博多の中心からはだいぶ離れた福岡の端。通りを歩く初老の男性達の訛りは市街地よりもきつく、博多に長く住んできた私でも何を言っているのかがわからないくらいだった。
そして小さなスーパーで品出しをしている女性。羽毛のような啓悟と同じ髪色をスーパーの名前入りの三角巾で留めている彼女は、まさに啓悟の母親だった。
「午前中はああやって品出しをしてるらしいんです」
しばらく見ていると彼女が汗を拭ってから店の奥へと入っていった。どうして啓悟は私をここへ連れてきたのだろう……そんなことは明白なはずなのに。鷹見との関係を断ち切って、母親も見限ってきたと言っていた彼が今になって彼女に会いに来るなんて。
「いつから?」
「半年前くらいですね」
なんでもないような表情が、私には逆に苦しく見えて仕方がない。
「人伝に教えてもらってたんです。でも別に会うことはないかなと、でも――」
その時、三角巾やエプロンを外し仕事を終えた遠見絵が店から出てくるのが見えた。彼女はそのまま道路を渡りこちらの方へ向かってくる。
「名前さん、ちょっと」
彼が私の肩を寄せて横道に押し込んだ。
「そういえばこの道の先を曲がったところが母さんの家なんでした、すみません」
少し焦った様子で苦笑いを浮かべる彼を見上げる。普段の啓悟ならこんなヘマはしない、何年振りかの母親を目の前に相当動揺しているのが手に取れた。
「啓悟」
ぎゅっと彼の両手を私の両手で包み込んだ。汗ばんでいるのに、ちょっぴり冷えた手。
驚いた様子の啓悟の視点がやっと私に向かった時には、すでに遠見絵はその角を曲がり切っていた。
「すみません、思ってたよりも俺……」
「会いに来たんでしょう?」
私のために。そうは言わないし聞かないけれど、いつでも啓悟は私のことを優先してくれる。自分のことよりも、私のことを。
「あの角まで手を繋いでても良いですか」
返事の代わりに手を絡め直せば、ひとつ大きく息を吐いた彼が手を引くようにして歩き出した。
その家は古く小さなものだった。アパートの1階、隣の部屋の扉との間隔からしてワンルームほどの単身者用の部屋だろう。
その目の前で鍵を開けようとしていたその背中に向けて、彼が一言声をかけた。
「母さん」
彼女の脇に浮いた2つの目がぐるりとこちらを向いた。それから少し時間をおいてから、彼女がゆっくりと振り向く。
「啓悟……」
彼女の口から、息子の名前が漏れ出た。
「い、今鍵を……っ」
「いや、すぐ帰るけん、ここでよかよ」
鍵を持っている手が所在なさげにゆっくりと下された。砂利道の上を少し進んで母親に向かう彼をほんの少し後ろで見守る。
「俺、結婚することになった」
啓悟が振り向いて私を手招いた。慌てて駆け寄り、彼の横で頭を下げる。
「この子んは……」
「そう、あん時の」
頭を上げた私の顔を4つの目が見つめていた。そしてしばらくしてフッと視線を下に向けた。
「俺、母さんのことを許した訳じゃない。やり直したいとも、仲良くしたいとも思っとらん、悪いけど」
俯く彼女に啓悟が向き合うようにして言う。
「でも」
それでも、浮いた2つの目はしっかりと彼と私を見ていた。
「この人と結婚することだけは、報告したかった。たった1人の家族やけん」
その言葉に、彼女は右肩にかけたトートバッグの持ち手をぎゅっと握った。何を思っているのだろう。
「名前は、」
「苗字名前です」
ゆっくりと上げられた彼女の表情は、柔らかいものだった。
「私は息子に迷惑をかけてばっかりやった。名前さん、啓悟を、幸せにしてやってね」
「それは違う、母さん」
頷こうとした私を啓悟が遮った。
「俺はもう十分幸せなんよ、名前さんがいてくれるけん。むしろ、俺が名前さんを幸せにせんといけん」
それはつい先ほどまで動揺で強張っていた者とは思えないそのはっきりとした姿に遠見絵の視線が揺らいだ。
「そう……」
そう呟いた彼女はもう俯くことはなかった。
啓悟と私は再度頭を下げて彼女の元を離れる。次に会えるのはいつだろうか、これが最後になるかもしれないことは薄々分かっていたことだった。
帰り道、私はずっと思っていたことを彼に問いかけた。
「啓悟」
首を少し傾けて、私の言葉の続きを待っている彼。
「啓悟って、素敵な名前だよね」
「俺の名前が、ですか?」
「響きも漢字もどっちもすごく素敵で好きだな」
「……名前さんがそう言ってくれるなら。あなたに啓悟って呼ばれるの好きなんです、知ってました?」
わざとおどけるように話す啓悟。
名前は子どもへの産まれて初めての贈り物。彼女は啓悟の母親としては失格だったのかもしれないけど、愛が全く無かったなんてそんなことは思わない。
「私、鷹見名前がいいな」
「どうして急に?」
「ホークスの鷹だから!」
「え、それだけ?」
「うん、それだけ」
もうすぐ2月、まだまだこんなに寒いのに梅が咲き始めていた。
「ねえ、名前さん」
「なに?」
「桜が満開のころに出しませんか、入籍届」
啓悟の視線は同じところにあったようだ。
「再会した時もちょうど桜が咲いてたね」
「名前さんがいきなり消えてしまった時もですよ」
「そうやって意地悪を……」
「意地悪じゃなくて本当のことです」
彼が空を見上げた。まだまだ肌寒い冬ではあるけれど、雲一つない青空はいつも以上に高くに感じる。
「毎年、記念日は花見をしましょう」
「お弁当を持ってね」
今日のお昼ご飯はどうしようか。このままどこかで食べて帰っても良い。少し遅くはなってしまうけれど、家に帰ってから作るのでも良い。
……きっと彼と一緒ならなんだって良いんだ。