もし私達が出会ってなかったら
目の前の彼は確かにホークスだ。紛うことない、彼の名前は鷹見啓悟なのだ。

……でも、いつも見てきた彼とは違う。私を見て、かけたその笑顔が作り物であることに気がつかないはずがない。


事務所でいつもの作業をしていれば突然電話が鳴った。電話がくることはしょっちゅうで、またインタビューの依頼かなんて悠長にそれを取ると電話越しの男性から耳を疑うような言葉が発せられた。

会敵後にホークスが倒れて運ばれた、と。

慌てて博多の中心にある病院へ向かうと、医師が病室の前で私の到着を待っていた。

「ホークスは!無事なんですか?!」

「先ほど目を覚ましたが、身体の方には異常は見られませんでした」

「身体の方には?」

彼はチラッと視線を外してからゆっくりと説明を始めた。

「敵の個性のためか、記憶を一部無くしている状態です」

記憶を一時的に奪い取る、そんな個性があるらしい。医師と話している分には問題ないものの、私の名前を出したところで彼の様子がおかしくなったそうだ。
……つまり、私のことや私に関することを全て忘れてしまったということ。


病室をノックすると返事があった。そっと入室すれば、個室の一番奥に置かれたベッドに横になった彼がいた。
私を見て身体を起こそうとしたのを止めたが彼は笑顔で答えた。

「身体は問題ないので大丈夫スよ」

彼が私をまじまじと見つめた。この感じたことのない視線に気圧される。

「君が苗字名前さん?ごめんね、俺今記憶喪失みたいで、大切な事務員さんなのに覚えてなくて」

「あ……えっと、その、気にしないでください」

いつもとなんだか違う。喋り方だろうか、いつもは丁寧語で話すのにすごくフランクな話し方をするから。
いや、そこもだけどそれ以上になんだか。

「検査があるらしくてあと数日はここにいなきゃだけど、健康そのものだし俺には構わず君は帰っちゃってね。サイドキック達には俺のいない間を任せてるから、その事務仕事もやってもらわないとだし」

話し方が新鮮だなと思う以前に、非常に余所余所しい。私は今まで感じたことのなかった彼のまた別の面を今目の前に突きつけられている。少し距離感のある他人行儀のそれに私は流されそうになりながらも、なんとか食い下がった。

「私、毎日様子を見に来ます。一応これでも看護師のはしくれなのできっと役に立つと思います。それに事務仕事は大丈夫です、ここに来る分も戻ってから働くので」

「あ、そう?それなら……」

思ってもなかった答えが返ってきたのだろう、ほんの少しだけ目を丸くした彼が諦めたかのように承諾した。

その日、彼の個室内の片付けをしながら話してわかったことは本当に私の記憶がすべてごっそりと抜けているということ。

子どもの頃に川辺で出会った記憶もなければ、公安に身柄を保護された後は公安の施設や都内のマンションでひとりで生活していたのだと言う。
記憶から私の存在が消え上手いこと改竄されただけでその他の物事に影響はない。荼毘やトゥワイスとの戦いや、その後のオールフォーワンとの決戦については全て間違いなく記憶していた。

本当に私だけが、そこにはいない。
先生は一時的だとは言ってくれたものの、不安が拭いきれない。

目の前の男性は確かに鷹見啓悟なのに、私の知っている、私の鷹見啓悟ではなかった。


「そしたら、また明日も来ますね」

いつもは使わない敬語も今の彼の前では自然と出てしまう。ヒーローと事務員の立場ならそれが普通なのだろう。今までが過去のことにおぶさって甘く見られていただけかもしれない。

翌日、また病院へ行くと彼が窓を開けて外の空気を吸っていた。
背中の羽はまだ小さい。

「ホークス、さん」

「あ、苗字さん。本当に今日も来たんだ」

「駄目とは言われなかったので」

サイドキック達から預かったお見舞いの品をテーブルに置く。元々今日予定していた雑誌の取材のお断りに電話ののちに直接謝罪に編集部まで向かえば、お怒りどころか心配されて花まで渡された。綺麗に咲くガーベラを個室の戸棚に置いてあった花瓶に水を入れてそこに飾った。

「苗字さんって既婚者?」

「ど、どうして急に」

「いや、なんとなくそう思って。うーん、違うな、すごく世話好きそうだなって思ったからかな」

「結婚はしてませんよ」

「ハズレかあ。それじゃ彼氏は?」

目の前のあなたなんですけど。

「秘密です。これ以上はセクハラですよ」

「マジ?すいません、ホント出来心で」

そうケラケラと笑う彼に胸がちくんと痛む。ここであなたが私の彼氏ですと言ってもよかったのに。だって本当のことだから。
でも目の前のこの人にそれを言ったとして、記憶のない人に事実を突きつけたら彼はどんな反応をするのだろう。
困惑する?申し訳なく感じる?どちらも今の私にはキツすぎる。


「ホークスさんこそ、彼女はいないんですか?」

これが私にできる最大の反撃。

窓枠に肘をつけていた彼が私の方に振り返った。

「俺が彼女?いるわけないでしょ」

彼の瞳の奥は何を写しているのだろう。少し自嘲気味に笑う彼が手をヒラヒラとさせて私に問う。

「俺の出自は知ってるよね?記者会見でも言ったし」

私が頷くと彼の瞳から光が消えた。

「ヒーロー活動と公安の仕事で忙しいしいつ死ぬかもわからないような立場だったし、それに俺の家庭環境を考えてみれば……恋愛とか、する気になると思う?」

乾いた笑いの後に目を細めて作り笑いを浮かべた彼を見てぎりぎりと胸が締め付けられた。
今の彼が本来の彼なのかもしれない。彼の言葉を否定できなかった。犯罪者の父と逃亡幇助の母の下の歪な家庭環境でそんな考えに至ることは当たり前のこと。

でも、でもこれだけは言わないといけない。

「それは確かにそう思います、けど」

下に向けていた視線が私に戻ってくる。

「……オールフォーワンも倒した今、ヒーローの立場もずっと良くなってる。暇を持て余す世の中だって絵空事じゃない」

あなたの瞳には、世の中がどう見えているのだろう。

「今なら……自分をもっと大切にしても良いんじゃないかな。皆のことよりも自分を優先して、啓悟自身を大切にしても」

いつでも他人の為に、それを体現してきたあなたには誰よりも幸せになってほしい。

彼が窓の外に視線を移した。病院の出入り口を行き交う人々、私のように見舞いに来るものもいれば、家族が付き添って退院していくものもいる。

「こないだ、エンデヴァーさんに会ったんだけど」

彼が突然小さく笑った。エンデヴァーとのことを何か思い出したのだろう。

「あの家も色々あった。でも今じゃ、焦凍くんの母親も退院して家族5人で暮らしてる。エンデヴァーさんも変わった……」

彼が空を見上げて、また小さく微笑んだ。

「俺も、もし大事な人ができていつか結婚して家族ができたら……俺もあんな風に優しい表情で笑ったりするのかな」

その切ない表情に言葉がつまって出てこない。せめて彼に触れたいと近づこうとした時に、窓の外から聞き慣れた歌が聞こえてきた。

「誕生日?」

「隣の部屋の子が誕生日なんだってさっき会った時に聞きました」

ショートケーキを運ぶ親御さんが笑顔を浮かべていたのが印象的だった。その上にはろうそくが何本と所狭しと立てられていたのも忘れられない。

「誕生日か……」

何を思っているのだろう、彼は手のひらを口に当てながらその歌を聞いていた。
やがて歌の終わりと共に、ろうそくを消した後のあの独特な煙の匂いがこの部屋にもほんの少しだけ入り混じった。

「俺もお祝いに混ざってこようかな。そしたらケーキのお裾分けがもらえるかも」

「いいですね」

甘いものが好きな彼だ。やりかねないけれど、でも隣の子もホークスが乱入してきてもそれはそれで喜ぶのかもしれない。

「ケーキ……誕生日……」

彼がぼーっと何かを考え込みながら左手を耳に寄せた。

「あっ」

「どうしました?」

急に声を上げる彼に少し驚く。

「そういえばピアスがないな、って。俺のどこにいったのか君、知ってる?」

両手で自分の耳を触り首を傾げる。彼のアクセサリー類は病院に運ばれた際に検査を受ける為に医師によって外されていた。
小さな袋に入れられたものが引き出しの一番上に入っているのを私は知っている。

「そこの棚の一番上にあります、ちょっと待ってくださいね……」

「いや、場所だけわかれば自分で探すよ」

「昨日片付けた時に見たので。……はい、これ」

小さなジップロックに入れられた赤いピアスを彼に差し出すと、彼の手がそっと伸びてくる。
その袋を手に取りしばらく見つめた後、彼が突然頭を抱え出した。

「だ、大丈夫っ?」

「う……頭が、割れそうなくらい痛い」

「すぐナースコールを押しますね!」

慌ててベッド脇に駆け寄り、ナースコールを探す。床に落ちてたそれを拾い上げようとしたところで、私のその手を彼の手が妨げた。

「ホークス、さん?」

「――啓悟、です」

私の右手首を彼の優しい手のひらが包んでいる。

「もう大丈夫ですから、名前さん」

たった2日のことなのに、もう何年も聞いていなかったようなその穏やかな声色に懐かしささえも感じた。
嬉しさとほんの少しの拗ねたような気持ちを含めながら彼の方を振り向けば、そこには作り笑いでない私がずっと見てきたままの彼が手を広げていた。

その胸に収まれば、一昨日感じた彼と同じ温もりがそこにはあった。

「すみません、敵の個性とはいえあなたのことを忘れてしまって」

「本当だよ。他人行儀だし、いつもと口調違うし」

「う"……本当にすみません」

「俺が彼女なんているわけない、だっけ?」

つい先程まで話していたことを思い出して彼がバツが悪そうに頭をかいた。

「でも名前さんもその後に言ったでしょ。俺自身を大切に、って。今が俺の幸せそのものですよ」

私の頭に口を寄せて、慈しむようにキスを落とした彼はそのまま私の肩に顔を埋めた。
そのまま、背中に交差された腕がぎゅうと私を抱きしめる。

「それなのに忘れてしまって、すみません」

少しだけ消え入りそうな声に、私は自分の手をそっとあげて彼の柔らかい髪を撫でた。

「もし本当に忘れられても、また初めからやり直すから大丈夫だよ」

「どういうことですか?」

顔をあげた彼が私を見つめた。黄色の瞳がほんの少しだけ揺れていた。

「私のこと、好きになってもらうってこと」

自分の言ったことに少し恥ずかしさを覚えてはにかめば、彼の目が細められた。

「もし本当に忘れてしまっても、」

右手が私の前髪を払い、そのまますべるように頬を伝う。そっと顎に添えられたその手を合図にまぶたを下ろした。

「名前さんには何度でも恋する、自分でもそう、思います」


窓から暖かな風が舞い込んだ。カーテンをふわりと揺らしたその影で、彼は優しく口づけを落とした。





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