13歳の夏
「おはよう、啓悟」

啓悟が寝室から出てきたのを感じて慌ててタオルで濡れた手を拭いてキッチンから廊下に顔を出した。
少し寝癖のついた髪で彼が
「……はよ……ございます……」
と小さく会釈をして洗面台へと向かうのを見届けてからまたキッチンへと引っ込む。

朝ごはんの準備に加えて今日は昼ごはんの支度もしなければならない。昼から予定があったから。お世話になったおばあちゃんが東京へ来ると聞いてうちへ招いて昼食を振る舞うつもりだった。そのあとは新幹線で帰ると言うので東京駅まで送っていこう。

「今日の朝ごはんは三色丼です!」

ダイニングへ来た啓悟に努めて明るい声でそう言いながらテーブルの上に丼を差し出す。

「……いただきます」

同居し始めは食の細かった彼も年を重ねるごとに人並み以上に食べられるようになっていた。私には食べきれないこの大きな丼も13歳の食べ盛りの啓悟にとってはぺろりと平らげられる量らしい。普段は焼き魚をしたり、味噌汁に納豆だとか、あとはオムレツのような洋食にすることもあるけれど、最近は彼の大好物の鶏肉を使ったメニューが多かった。少しでも機嫌取り……というか喜んでもらえたら良いなと思って。

「どうかな?新しいレシピを試してみたんだけど、結構美味しいと思わない?ひき肉の方にはにんにくとしょうがも効かせて――」

「美味いです、ありがとうございます」

黙々と食べる彼を目の前にして、男の子の母親の気持ちがほんの少しだけわかるような気がした。

「今日も公安で訓練だよね。最近どう?」

「まぁ……いたっていつも通りですね」

「そっかあ……」

「……」

あっけなく会話が終わってしまう。

思春期の男の子についてネットから十分に情報を得ていたつもりではあったが、ほんの少し前のキラキラした目でどこへでもついてきていたような啓悟が、突然そっけなくなってしまって寂しいと思うのは勝手なわがままなのだろうか。

「そういえば今日の夜は送迎担当の人が用事があるんだって。それで、車でうちまで送れないって言ってたから私がお迎えに行こうと思ってるんだけど」

「いいですよ、自分で帰れます」

「でも」

「大丈夫です」

「それでも心配だし」

「もう子どもじゃないですから!」

ごちそうさまでした。少し乱暴にそう言って彼は食器を手に席を立った。
13歳は私からしたら十分子どもだと思うのに、啓悟はそう思われるのが心底嫌なのだろう。世間で言う反抗期、というものなのだろうか。良かれと思ってあれよこれよと世話をしがちな自分をついに疎ましく思い始めてきたのだろうか。



「それは気にしなくても良いと思うわあ」

おばあちゃんがにこにこと微笑んだ。ランチの後に用意していたケーキと紅茶を挟んで直近の悩みを相談すれば、あっけらかんとした答えが返ってくる。

「姉のところにも息子が2人いたのだけど、その時期はそんなものよ、みーんなね。反抗期って言うけれど、あなたは別に何かをするわけじゃなく普段通りにしていれば良いのよ」

朝に彼と気まずいままに別れてしまったことを思い出した。普段通りで良いとは言うけれど、それでも何かしないと気が済まなくて。東京駅の新幹線口まで見送った後は最近流行りだという焼き菓子を買った。それに夕飯には彼の好きな物をたくさん作ろう。多すぎると笑われても良いくらいに。

「今日は一日快晴って言ってたのに……」

駅から家までの道はそこまで遠くないが、運悪く通り雨に振られてしまった。息を切らしながらなんとか帰宅はできたものの荷物を守りながら走っていたために髪や服からは雨水が滴っている。

「っくしゅん」

時計を見ればまだ夕方の4時半。風邪を引く前に熱いシャワーを浴びよう。夕飯を作るとしてもそれからでも十分間に合うはず。

冷えた身体を温めてから脱衣所へ出れば玄関から物音が聞こえた。
不思議に思い乾燥機に入れていたTシャツと短パンをさっと纏って廊下へ出てみればちょうど啓悟が靴を脱ごうとしていたところだった。

「おかえり、啓悟!早かったね」

「今日は予定より早く終わったんで……って、ちょ、なんて格好してるんですか?!」

ぎょっと目を見開いた啓悟が眉間に皺を寄せて私を指差した。

「帰りに雨に降られちゃったからシャワー浴びてたの。啓悟は大丈夫だった?」

「俺は大丈夫でしたけど、それより早く髪を乾かして!服もちゃんと着て!」

彼は私を脱衣所へ押し込んでバタンと音を立て強くドアを閉めた。



「えっと……ごめんね?」

髪を乾かして、下着をきちんと着けた上に羽織ものも被ってリビングへおそるおそる顔を出せばちらりとこちらに視線を寄越した彼は不機嫌そうな顔をしながらも追い返そうとはしなかった。

「あなたももう良い大人なんだから、髪が濡れたまま出てこないでください」

「はい」

「それにパジャマ1枚でうろうろするのもやめてください」

「はい、すみません……」

ふう、と溜め息をついた彼は頭を下げる私に顔を背けながらギリギリ聞こえる大きさで呟いた。

「朝はすみませんでした」

「……啓悟っ!」

その小さな一言が嬉しくて、両手を広げて彼に抱きつこうとした、のに。

「私こそ、ごめ……っんん?」

彼の羽が私の動きを封じた。

「えっと、これは……?」

「抱きつこうとするのもやめてください」

「ええ、そんなあ……」

「子ども扱いはやめてくださいって言ってるでしょう」

「でもそれはすみませんって……」

「それとこれとは違くて」

面倒臭そうに頭をガリガリと掻いて再度呆れたような溜息をつく啓悟に嬉しさに膨らんだ心がまた一気にしぼんだ。

「啓悟、私のこと嫌いになった……?」

自分の身勝手さが啓悟にとっての苦痛だとしたら。
思春期の息子と母親の折り合いが悪くなったとしても、また時が経てば元に戻れるのは血のつながりがあるからだ。私と啓悟はどこまで行っても他人だった。それもほんの運命のイタズラで出会っただけの。

俯いて鼻の奥がツンとするのを感じていれば、それまで自分の身体を拘束していた羽の力がぴたりと止んだ。

「そ、その悲しそうな顔!やめてくださいって」

そっぽをむいていた彼が慌てた様子でこちらに駆け寄ってくるのがわかる。

「ごめんね、嫌なところは全部直すから……」

「嫌ってなんか」

彼が私の肩を掴んだ。顔を上げれば顔を真っ赤にした啓悟がまた眉間に皺を寄せている。でもそれはただ怒っているだけの表情ではなかった。

「嫌ってなんかないですから!今までも名前さんを嫌ったことなんて一度もない」

彼は声にならない声で唸ってからまた距離を取った。

「とにかく!嫌ってないです。名前さんはそのままで大丈夫ですから」

こくんと頷くとぽりぽりと耳の後ろを掻いてまた彼が背を向ける。

「でも、子ども扱いはやめてほしいです」

「うん、わかった。気をつけるね」

後ろ姿の彼はまだ私より小さかったけれど、翼は6年経ってずいぶん大きくなったし身長も伸びてきていた。世間で言えば中学1年生でまだ子どもだと言いたいけれど、きっと公安の中ではそうも言ってられないのもあるのかもしれない。

それでも、耳まで真っ赤な姿に笑みが溢れそうになる。ばれるとまた子ども扱いして、と言われるのはわかっていたので慌てて口を塞いだ。そんな私を恨めしそうに睨んできたが、その瞳はもう冷たいものなんかじゃなくて。ただの照れ隠しなのかもしれないと知ることができた今はおばあちゃんにも啓悟にも言われたように、普段通りのそのままの自分でいようと思えたのだった。



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