辺境にあるとはいえ流石に総合大学だけあって規模もそれなりに大きく賑わいを見せた学園祭も三日目の最終日を迎えていた。夜が更けてなお、構内はその余韻に満ちてる。元就は眼鏡を掛けたまま、ゆっくりと目を閉じ、ここ数日間を思い返した。
学園祭という不特定多数の人間が集まる状況下では不測の事態が起こる蓋然性は高まる。メインの会場は研究棟から離れてはいたが、人知れず警備は強化されていたようだ。しかし当の長曽我部は期間中、研究室を出ることはなかった。それは何も委員会による工作が行われた訳ではなく、現在進行中の研究が波に乗っていて学園祭が開催されていることすら気付いていないという理由で偶然にそうなったのだった。その為、拍子抜けするほどの平穏さで、何事かが未然に防がれていたというような雰囲気も無かった。
殊勝な事に、国のお偉方はサトラレと言えども行動制限は出来るだけ最小限に抑えられなければならないという考えをお持ちらしい。そしてあくまで自然に、けれど対処は万全に、というのが委員会の基本的な立場だ。もっともそれは長曽我部のように比較的手のかからないサトラレに限ったことではあるようだが―。
普通の人間と同じような生活をさせる事で自分を特別だと感じさせないという事だが、しかし長曽我部が自らをサトラレだと自覚する事はおろか疑うこともまずないだろうというのが、これまでの元就の感触だった。それほどまでに自分自身の事については疎い。
だからこうした成り行きは委員会にとっては結果的に好都合だっただろうが、元就にとっては酷く退屈なものだった。いまだに驚異的な持続性のある集中力を発揮している長曽我部が研究室に籠ってから、かれこれ一週間程が経っている。その間外に出るのは食事とシャワーの時だけだった。研究用の備品や資料の書籍等も全て研究室に届くようになっており、本当にここが長曽我部にとっての“家”として機能していた。その思念波もほぼ専門用語で占められており、それは健全というよりもやはり人間としては不自然だと元就は判じた。さらに隣で寝泊まりしていることにすら全く気付いていない。だからどうという事もないのだが、面白くない気持ちの方が勝っていた。それはサトラレを見下しているからだろう。こうして長曽我部が一人でいる時の思念波ばかりを聞いている。無駄だとは言わないが、得るものは少ない。
それにしても、と考えて元就は眉間に皺を寄せた。あの猿飛と名乗った男の監視対象に自分が加わっている事が不快だった。協力的に装ってはいるがその実、元就の事を煙たがっているに違いない。それに感情を隠さない前田は、明らかに警備対象である長曽我部に私的な情を持っている。


(畜生、煮詰まった…うわ、もう12時かよ。まぁいい、少し休憩しよう。今日はもう缶コーヒーで我慢して…って、外寒そうだな)


思考を一瞬にして奪った声に、元就は閉じていた目を開いて時計を見た。丁度日付が変わろうかという所だった。そして手早くパソコンの電源を落とすと、白衣のポケットを確かめて立ち上がった。長曽我部が動こうとしている。ようやく訪れた変化を逃す手はない。これまでの接触で得るものがあったとは言えないが、それよりも抑圧的な時間から解放を望んで迷わずドアを開けた。


「遅くまでご苦労だな。息抜きか?」


目の前の、コートを羽織った長身の背中に声をかける。丁度エレベーターのボタンを押そうとしていた長曽我部はびくりと体を跳ねた後、目を見開いてこちらを振り返った。


「うお、びっくりした…!あ、こんばんは。毛利さんも残ってたんだ、」

(全然気付かなかった…マジびっくりした)

「あぁ、少しな」

(あ、眼鏡…)


その声と視線で眼鏡をしたままだった事を思い出し、咄嗟に外そうと伸ばしかかった手をぎりぎりの所で制して、視線だけを外した。


「お疲れっす。俺も今夜でえーと…」

(あれ、今日って何曜日だ?)

「会うのは約一週間振りだな」
「マジで!?あ、いや、マジっすか…」

(うわ、全然覚えてねぇ…)


ともかく「一緒にいいか」とエレベーターを顎で指し示すと、一瞬ぽかんとした表情を浮かべた後に戸惑いがちに(一緒に、休憩しようって事だよな…?)という声が響いた。
相手がサトラレでなければこんな台詞を吐く事は生涯なかっただろうと思い、元就は小さく溜め息を漏らした。










ガタンと音が響いて、缶コーヒーが取り出し口に現れた。元就は熱いそれを取り出しながら、さて何を話題にすべきかと考えあぐねていた。何しろ世間話のようなとりとめのない会話というモノは苦手だ。当然のように、目的も意味もないそれをこれまでの人生でした事がなかった。人間関係を円滑にする為に必要なものであるという一般化した考えは、元就には初めからない。それでこれまで困ったこともなかった。しかし、だからこういう状況になって些か戸惑いがある事も確かだった。


(やっぱ後ろ姿は女の人に見えるなぁ…そういや、下の名前何だっけ)


長曽我部が今、自分の後ろ姿を見ているのだと解る。その思念の内容に面食らって振り返るのを躊躇ってしまったが、その一瞬で喉元まで出かかった言葉を飲み込むと、視線を逸らしたまま二つ買った缶コーヒーの一つを差し出した。


「え、あ…どうも、ありがとうございます」

(俺の分も買ってくれてたんだ、全然気付かなかった…後ろ姿ばっか見すぎた。やっぱ、優しい人だ)

「…冷えるな」


今は二人でいるのだから自分に対する思念は仕方がない。けれど、やはり違和感が先に立った。普段他人にどう思われようが全く気にしない質だが、どうもやり辛い。好意的に接した方が何かと都合が良いはずだと初めに判断したのだが、いっそのこと思い切り嫌われた方が楽だと思う。例えそれが作為的であるにしろ人に好意を向ける事も、向けられる事にも慣れていないので、大変に居心地が悪かった。


(確かに、寒そうな格好だ。これ…上着貸したら、気障っぽいかな)

「あの、良かったらこれ、着ます?」
「いや、結構。耐えられぬ程ではない」
「そっすか」


コートを脱ごうとする長曽我部を手で制してベンチに腰かけると、秋の夜風に乗って遠くから笑い声が聞こえた。後夜祭も既に終わっているはずだが、構内にまだ残っている生徒がいても不思議ではない。
ふと、自販機に隠れるような位置に、小さな掲示板がある事に気付いた。何故目に止まったのかと言えば、そこにサトラレの啓発ポスターが貼られていたからだ。これもまた、わざわざ隠し立てする方が“不自然”なのだろう。


(あれ、さっきまで何考えてたんだっけな)


隣に並んで腰かけてきた長曽我部は何故か缶を振りながら、難しい顔をしている。自販機の明かりに照らされた銀髪は、この雰囲気が手伝ってか、さほど異様には映らなかった。それから、白い眼帯。その下は実験で負った傷があると、調査書にあった。興味はあるが、それよりも元就が執心しているのは初めから変わらず、脳だった。更にこうした身体的特徴に、サトラレである事との関連性はないという事は他の症例を見ても解っている事実だ。
様々なわだかまりを飲み込む様にコーヒーに口を付けると、その不味さにうんざりした。すぐに捨てたくなったが、とりあえずはそれでささやかな暖を取ることにして両手で包み込んだ。


(そうそう、下の名前…確か俺の名前に似てた気がすんだけどな)

「あの…毛利さんって、下の名前何でしたっけ」
「…元就だが」
「あーそうだ!元就サン!」

(やっぱ似てた。元就かぁ…良い名前だな)

「良い名前っすね」
「…初めて言われた」


どうやら、からかうつもりではないらしい。
当然ながらサトラレは嘘などつけやしないのだからそれは本心なのだが、それだけにどう反応して良いのか解らない。
また、笑い声が近くなった。
すぐに、開けた中庭を横切ろうとする男女4、5人の学生集団を視界の隅に捉えた。


(あれ?そういや学園祭って今日だっけ)


「うっわ、すげぇマジ本物じゃん」
「え、どっち?」
「眼帯の方らしいよ」
「可哀想…自分だったら生きてけないよね」

(あ、明かり点いてんじゃん。開いてたりしねぇかな)


知らず知らずに思念波の届く半径20mの範囲内に入ったのだろう、遠巻きに此方を見ながら、あろうことか立ち止まって話をし始めた。夜の静けさのせいか、アルコールでも入っているのか―恐らくどちらもだろうが―頭の悪い会話が筒抜けだ。しかし本人はそんな会話には全く気付かず、ぽうっと明かりの点った温室の方に視線を向けている。
だから、元就もそれまでは我慢しようとした。


「死んだ方がマシだな」
「ヤバイって、聞こえるぞ」


嘲笑を含んだ男達のその台詞に、ついに持っていた缶がミシッと音を立てた。しかし元就が立ち上がって声を上げるより先に、職員風の男達が集団を取り囲んだ。警備員だろう。此方を一瞥してから距離を取るように誘導し、やがて視界から消えた。
それにしても、遅すぎる。


「あのグリーンハウス温かそう。行ってみようぜ、元就サン」


憤慨したのは何も長曽我部を慮ってのことではない。寧ろサトラレの存在を見下しているのは奴等と同じだ。しかし今は、これでも自分の研究対象、材料なのだ。それを他人の、しかも無知な学生などに冷やかされる事が我慢ならなかった。
そんなどうでもいい考えを断ち切り、向けられた長曽我部の笑顔に、嘆息を隠して頷いた。










#6 後夜祭

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -