長曽我部の研究室の隣―元就の研究室とは反対側―の部屋は、ここに寝泊まりをする彼の為に仮眠室として改装されているらしい。しかもわざわざ廊下へ出なくとも、中で繋がっているようだ。そしてその部屋の正面向かいはシャワールームになっている。長曽我部は簡潔にそう説明した後に「良かったら自由に使って下さい」と言い、元就が何か返事をする前に軽く会釈をして自分の研究室へと入って行った。


(初対面の人とあんなに話したの、久しぶりかもな。いい気分転換になったし、もっかいプログラム立て直すか)


そんな声を無表情に聞きつつ廊下の一番奥、突き当たりにある事務室に目をやる。今のところ動きはないようだが、神経質になっているのは確かなようだ。元就が様子見をしているように、彼らも此方の出方を伺っているに違いない。いざとなれば元就は現場主任である前田には従わねばならない。研究者の立場ではそれほど強い権限は持ち得ないからだが、元就にしてみればそれが腹立たしかった。サトラレの保護等と生温い事を言っていては研究の成果、つまりサトラレの解明は望めない。必要なものはモルモットだ。サトラレは脳を提供してのみ役に立つのだ。それが元就の確固たる考えだった。
いつの間にか長曽我部の思念波は専門用語をブツブツと呟くだけになっている。早くも研究に没頭しているらしい。元就は米噛みを揉みながら自室へと戻った。
部屋にはある程度の資料や機器類等、当座必要なものは揃っていた。形だけの応接セットも用意されている。長曽我部が隣室で寝泊まりをしているということならば、元就も勿論そうするつもりだった。今日からこのソファが寝床になる。デスクの後ろ、ブラインドが付いた窓辺に立って中庭を眺めると、ぱらぱらと学生達の姿があった。早めに講義が終わったのだろう。この建物の最上階である五階から見ても人物を特定するのは難しい程ではないことが解るが、時計は丁度側面を此方に向けているので時間の確認は出来ない。室内の何処かにあるはずの時計を探そうとした元就は、しかし違和感に気付いて素早く振り返った。


「初めまして、毛利先生」


いつの間にか、閉じたドアの前に見知らぬ男が立っていた。


「入室を許可した覚えはないが」
「失礼しました。何時もの癖でして、どうかお許しを」
「戯れ言はいい。忍び紛いの警備係だな」
「御名答。猿飛と申します」


作り物の笑みを顔面に貼り付けて、男は頭を下げた。本名かどうかも疑わしい。裏で動くことを専門とした人間イコール無口で暗いというイメージとは対照的だ。恐らくは相手も同じ事をしているはずだと思いながら、元就は値踏みするように視線を滑らせた。


「研究は進んでますか?」
「わざわざ嫌味を言いに来たのか」
「何故、そう思われるのですか」


食えない男らしい。主任の前田―つまりこの男の上司―よりも、油断ならない。男は相好を崩さずに、続けた。


「私は決して対象には接触しません。顔も声も影も気配も認識させない。しかし貴方は別だ。用がある場合はお呼び下さい。馳せ参じます」
「それも仕事か」
「いかにも」
「主任よりは役に立ちそうだな」


男は意味ありげに微笑むと、再び恭しく頭を下げた。元就はこれ以上の会話を拒むようにデスクにつき、資料に目を落としたが良く見えない。眼鏡を取り出そうと引き出しを開けた時、しかし、と声がした。


「くれぐれも、お一人の時に」


眼鏡を掛けて顔を上げた時には既に男の姿は無く、ドアが閉まる瞬間だった。










慶次が気付いてパソコンの画面から顔を上げると、ソファに腰掛ける佐助の姿があった。


「どうだった」
「嫌いなタイプ」


渋面で吐き捨てる佐助に苦笑する。それは慶次が予想していた反応だった。元よりこの件に関しては佐助が一番拒否反応を示していたのだ。あの医者を不穏因子と見なすのが危機管理としては正しいに違いない。


「食えない男だね、あれは」
「お前より?」
「俺様のこと何だと思ってんのさ」
「曲者」
「褒め言葉として受け取っとくよ」


ようやく表情を緩めた佐助に、作り置きしておいたコーヒーを勧めた慶次だったが、ひらひらと手をふって断られた。やはりこれもまた、彼の主義に反するらしい。


「でも思ったより上手くやってるみたいだな、あの先生。元親にも印象いいみたいだし。まぁ接触は多すぎるけど」
「妬いてんの?」
「馬鹿言うな」
「しっかりしてよね。まだ初日だよ」
「解ってるって」


憂いの雰囲気を振り払うように報告書の作成に戻った慶次を、佐助は暫くじっと見詰めていた。










#5 影の男

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