週の半ば、暦は師走に変わった。
数日かけて各所への連絡や調整等の後始末を片付け終えた元就が時計を確認すると、すっかり日付けも変わっていた。


(あとは細かい反応を確かめて調整…どうにか年内にプロトタイプを仕上げたいな)


長曽我部も相変わらず研究室に籠りきりだった。たまに廊下等で顔を合わせれば笑顔で声を掛けてきたが、忙しさを理由に挨拶程度ですぐに接触を絶った。だから大学を去る事も告げなかった。何度か元就に対する心配や疑問の思念はあったが、それもすぐ研究に没頭する内に消えた。


(出来たら元就サンに一番に見せたいな)


けれどそう、今のように長曽我部の思念に唐突に自分の存在が出現する度に元就は胸を刺激され、そして苛立った。
こんなことは少しも望んではいなかった。
初めから得るものがなければすぐに引き上げるつもりだったが、もちろん惜しいという気持ちが全くない訳ではない。恐らくこうした接触はこれから先、更に難しくなるなるだろう。それはつまり今までやこれからの研究にとって少なからずマイナスとなる。それでも、胸の内に芽生えた焦燥感のようなものが日に日に大きくなっていく事態に元就はいよいよ耐えられそうになかった。原因は、解っている。
真っ直ぐ自分に向けられる元親の好意―それがどうしようもなく元就を惑わせ、落ち着かせなくしていた。それをこれ以上見過ごす事、認めてしまう事自体が苦痛だったし、あの夜の言葉の数々が頭の中で蘇ると息が出来なくなる程に苦しかった。
これまでの経験から人の好意というものを全く信用していない疑心と、サトラレの思念波に嘘はないという事実。その相反する現実を受け入れられない。
そればかりか自分はそれを、心地良く感じていなかっただろうか。他人の家で眠れるような、触れた皮膚から熱が伝わるような、感じたことのない心地良さを。
そしてパソコン越しにサトラレと会話した時にはっきりと感じたサトラレへの嫌悪。ずっと抱き続けていたそれを“思い出した”事に気付き、あまつさえ思念が聞こえないという事に対する不安すら、自分は感じていたのではないか。そう思って、ぞっとした。
人に好意を向けられる事に慣れていないのは確かだ。そもそもそういう感情を全く信じていない。これからもそれは変わらないはずだ。ただ―…


「あ、元就サン」


すっかりそうした考えに支配された脳は、耳で捉えていたはずの声を処理してくれなかったらしい。廊下に出たところで名前を呼ばれ、ようやく状況を把握してはっとした。


(今日は初めて顔見た…ってもう日付け変わってるだろうけど。嬉しい)

「…ご苦労だな」

(最近忙しそうだし、疲れてんなぁ)

「忙しそうっすね」
「今一段落ついたところだ」
「そっか、良かった。休憩っすか?」
「…あぁ」

(やっぱ何か変だな…今は一人の方が良いか。つーか、俺は早くシャワー浴びて忘れねぇうちに続きやっちまいたいし)

「それじゃ、気をつけて」


一瞬、一緒にどうかと誘われるのではと思って緊張したが、長曽我部はシャワールームへと消えていった。また予測出来ない思考に振り回された気がして、不快だった。


(さっむ!)


サトラレの脳。それだけが欲しいと思っていた。それは今も変わらない。
ただ、笑っている奴の前に立ちたくない。
そうも思ってしまう自分に気付いて、どうしようもなかった。










ゴロゴロと不機嫌に鳴く空から、瞬く間に雨粒が降り注いだ。ただ宛もなくふらふらと構内を歩いていた元就は一先ず近くの建物の中へと避難した。深夜ということに加えて地面を激しく叩く雨が霧のようになり視界を狭めてしまっている。一気に気温が低くなって、濡れた身体がぶるりと震えた。しかしこのままあの研究室に戻る気にはなれなかった。だったら何も無いあの家へ帰ろうか、と疲れた頭で考える。だがすぐにあの海を見下ろす機械だらけの家が浮かんだ。慌てそれを消そうとして、視界の隅にふと明かりが漏れているグリーンハウスが目に入った。
もう一度中を見ておくのも悪くないと思ったのは、ほんの気紛れだった。移動する間に更に雨に濡れてしまったが、コートを脱いでも温室なので問題はなかった。以前と同じくまたもやそこに人の気配はなく、何故かそれに安堵して思わず息をついた。見上げた天井に吊られた照明がぼんやりと明かりを落としている。温室を構成している透明度の低いガラスに、雨粒が激しく打ち付けていた。水滴を払いながらハウスの中央部まで進むと、そこには簡易な木製の机と椅子が置いてあった。以前は気付かなかったそれに深く腰を掛け、ゆっくりと目を閉じる。肥料独特の匂いさえ、今は気にならなかった。それにここには声も届かないし、監視の目もない。
意思もなく喋ることもない植物に囲まれ、久しく感じなかった心地良さを感じた。
次第に雨音も遠くなり、植物が呼吸する音さえ聞こえてきそうだった。そうしてうつらうつらと意識が濃い緑の空気に溶けてしまいそうになった時、突然信じられないほど大きな音がして身体が跳ねた。恐らく何処かかなり近くに雷が落ちたのだろう。すっかり覚めてしまった目を何度か瞬き、そろそろ戻った方が良いだろうと重い腰を上げた。瞬間、それを阻むように目の前がフッと暗闇に包まれ、冷えた全身が強張った。その間も雷鳴は続く。疲れと緊張とで金縛りのような状態に陥った身体は、冷や汗を流しながら立っているのがやっとの状態だった。少し前まであれほど遠くに感じていた雨音が、今はただ無防備な元就の全身を攻撃するかのように響いていた。










#15 逃避

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