(…嘘みたいだ)


ガタガタと断続的に聞こえる音で、深く沈んでいた意識が浮上した。それからそれが風が窓を叩く音だと認識するまで、たっぷり数十秒を要した。随分激しくなってきているらしいそれと、どうやら明度の落ちた照明のせいで脳が混乱しそうになったが、ようやく数回の瞬きをして理解した。泥が詰まったように重たい頭を持ち上げようと身動ぎをすると、またあの“声”が響いた。


(あ、起きた…?)


視界に長曽我部が入り込むのを無視して、炬燵に俯せていた身体を起こす。自分自身、気付かないうちに眠ってしまっていたらしい。およそ自分らしくない失態だった。ここが何処で、今まで何をしていたのか。頭で素早く整理をしようとした。


「…今、何時だ」
「あ、えーっと…一時っすね」
「寝てしまったのか…」
「と言ってもほんの数十分だし…あ、布団敷きますか?」
「いや、結構」


どうやら本当に数十分程度の睡眠だったらしいが、とてもそうは思えない程に頭や身体が重かった。水が欲しくて、テーブルの上を見る。記憶より空き缶が増えているように感じた。


「あ、水」


何故かいつもの鈍感さが嘘のように察しが良い。
それは長曽我部が何かが原因でそうなったのか、それとも余程自分が解りやすい態度になっているのか―。
とにかく受け取った水を一気に飲み干して一息つく。


「一人で飲んでいたのか」
「え、あぁ…プログラミング考えたりしながら…」

(…嘘じゃねーけど、本当は寝顔見てたとか言えねぇし…いや、でも…)

「実は俺…こうして人を家に呼んだり酒飲んだりしたの初めてで、最初はちょっと緊張してたんすよ」


缶を弄びながら、長曽我部は照れくさそうに笑った。今時、という言葉は好きではないがこの男には似合う、とその時思った。どうも子どもと話している気分になる。


「でも元就サンはなんつーか、話やすいし…俺に無いものいっぱいあって、だからその…楽しい、っす」


普通ならばこんなに恥ずかしい台詞を、それも本人に向かって言うなんてことはしないだろう。恋人でもあるまいし。しかし当人は照れながらもそれが変だとは思っていないようで、こうしたズレはサトラレならではと言えばそうなのかも知れない。


「…殆ど寝ていた気もするが」


話を断ち切ろうとしてそう言うと、長曽我部は大袈裟に笑った。何がそんなに面白いのか理解出来ないかったが、その様子を黙って眺めるより他なかった。


「疲れてんじゃないっすか?家に帰ってます?」
「今日は帰るつもりだ」
「…本当、俺と似たような生活ですね」

(聞こうかな)

「あの…元就サンこういうの初めてって言ってたけど…」

(いや、違う)

「じゃなくて、ここに来るまで何処にいたんすか?」

(違う、本当に聞きたいのは…)

「国立大学の医学部で教授をしていた」

(でもやっぱ、すげぇな)


それは嘘ではないが、正確でもない答えだった。
本来は国立大学で博士号を取り、臨床医として勤めていた。サトラレ研究を主にするようになってからは国の研究機関に在籍し、脳神経学への貢献や実績をあげる事によってようやく今の立場にいるというのが真実だ。


「じゃあ、こんな田舎の私大に来たのは…」

(不味い、つい口にしちまった…言いたくねーことだってあるって)

「環境を変えて研究に専念したかった。それだけだ」

(…あぁ、なんだ。でも、本当に…?)


不自然さは無かったはずなのに、何故疑問を抱かれたのか。先程からの落ち着き無い態度もあわせて気になった。
しかし、長曽我部は全く予想外の言葉を口にした。


(今なら、聞けそう)

「あの、こういうのって…仕事じゃなくて、プライベートの付き合いだと思っていいのかな、とか…思って…」

(うあぁ…何意味解んねぇこと言ってんだ…絶対変な奴だって思われたよ、俺の馬鹿!つーか、怖っ…顔見れねー…)

「いや、あの俺、親しい友達ってあんまいなくて…」

(あぁ…黙らないでくれよ)


思念が聞こえていながら、こうも意表を突かれるものだろうか。
しかし―…。
損な事なら初めから接触などしなかった。
考えていた成果や展開でなかったにしろ、それは多分、変わらない。
そしてとにかく、この話を切りたい。
イヤホンは不気味に無音のままだった。


「今は勤務中ではない」

(え…それって、)

「…顔を洗ってくる」


言いながら立ち上がった瞬間、急に目が眩んで視界が乱れた。不味い、と思ったが遅かった。平行感覚を失ったまま倒れることを覚悟したが、しかしそうはならなかった。


「おっと!」


一瞬何が起こったのか理解出来なかったが、身体を長曽我部の腕に支えられているということに気付いたのはすぐだった。揺れる視界の中に驚いたような表情を捉え、立て続けに起こる事態に頭がクラクラした。


(え…あ…うわ、)

「大丈夫?」

(つーか、やべぇ…近いって…)

「ついていこうか、」
「大丈夫だ」

(…触ってしまった…)















『先生、聞こえますか』
「…どういうことだ」
『あまり10号を刺激しないで下さい』
「していない」
『とにかく、夜明けにはそこを離れるようにお願いします』
「…解っている」



(初めてだからドキドキするだけだろ)



早朝、雨は止んでいたが、依然風だけが強かった。長曽我部がタクシーを呼ぼうとするのを断り、歩いて数十分の家に帰宅した。前田から入る連絡を無視し、イヤホンも投げ捨て、此方に越して来て初めてその部屋で就寝した。しばらくはそうして全ての思考を放棄したかったけれど、頭に残る声はなかなか消えてはくれなかった。


(考えすぎだ)
(いつだって会えるのに)
(…居なくなったりしないよな)
(飲みすぎた訳じゃない)
(もっと、知りたい)


それから随分と久しぶりに、夢を見た。
びゅうびゅうと風が吹き、灰色の雲が急速に流れていく。波が高くなった海を背景に、長曽我部が何かを言いたげな顔をして砂浜に立っている。
そんな夢だった。










#12 夢
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