足を踏み入れた家の中には妙な金属のオブジェのようなもの、様々な計器類、色や太さや長さの異なる配線、本やパソコン等々が部屋と言わず廊下にまで溢れ返っていた。一見雑然としているそれらは、けれどこの家の主にだけ解るような何らかの法則に従って整理されているようで、生活感があると言えば存分にあるのだろうが、やはり住処というよりも物置部屋や作業場と表現した方が適当に思える。
確かにこの家に居る間は思念波が誰かに届く事などほぼ無いだろうが、実際はあまり使っていないと言うから機能していないに等しい。そうそう委員会の思惑通りにはいかないようだ。
タオルを受け取り、通された居間は10畳程の和室だった。部屋の真ん中に炬燵がある。窓の外には裏庭と呼べなくもない空間があり、木々の間に荒れた海が見えた。雨風が強くなってきたようだ。
夜の闇がすぐそこに迫っていた。


(片付ける暇があればなぁ…元就サン、綺麗好きそうだし)


思念波に促されるように炬燵の前に座り、少しだけ濡れた髪を拭きながら部屋を見回した。写真や置物など、部屋を飾るようなものは何一つ無かった。金属や機械、それに本ばかりの部屋。元就には解らないしどうでも良いことだが、これも“普通”や“一般的”ではないのだろう。


「うわ、荒れてきたな」


袋を炬燵の上に置き、ぐっと明度の落ちた外を眺めながら長曽我部は元就の向かいに腰を下ろした。濡れて下りた髪のせいか、普段とは印象が少し変わって見える。その横顔が不意に此方を向いた。


(あ、え…今俺の事、見てた…?って、いやいや…そうじゃなくて、何か言わねーと)

「あの、とりあえず、乾杯しますか」


一瞬の同様を隠すように取り出した缶ビールを軽く合わせて乾杯をすると、長曽我部はそれをまるで水か何かのようにごくごくと喉を鳴らして飲んだ。


(うめー!)


元就もそれに釣られるように口を付けると、久し振りに味わったせいか、酷く美味しく感じた。炬燵にもじんわりと熱が広がり、思わず小さく息を吐く。


(仲良くなるには酒席が一番って聞いたことあるけど…特に酒好きって訳でもなさそうだし、)

「酒とか、普段飲まないんすか」
「あぁ、特に進んで飲みたいとは思わない」
「何か、無理矢理付き合わせたみたいですんません」

(でも何で、誘いに乗ってくれたんだろ。初めてだ、こんな人…やっぱ変わってる)


ちらちらと此方を伺う視線を無視して元就は缶を傾けた。見られていることを意識しないということがこんなに難しいとは思わなかった、と苦々しい気持ちが胸に広がる。


「他人の家に招かれたのは初めてで、経験するのも悪くないと思った。それだけだ」
「え?」

(初めて…?俺と、同じ…)

「それより、研究について詳しく聞いても良いか」
「え、あ、はい」


咄嗟に話を逸らしたが、聞いて損な事でも無い。長曽我部も初めは説明に難儀しながらも途中からは専門用語を交え、笑顔も見せて熱心に語った。医学とは畑違いで理解するには少し難解だったが、意外にもなかなか興味を引かれる話だった。話についてこれる人間がいないからか、そもそも語る相手がいないからか、ただ聞いているというだけでも随分嬉しそうだった。


「生きてるうちに満足いくものが出来ればいいなぁ」

(遠くはないはずだ、手応えはある)

「…例えば、お前が死んだとして、」
「へ…?」


虚を突かれたように長曽我部は間抜けな顔をした。それが何故かとても可笑しく思えた。そして今の今まで口にするつもりは無かった言葉を、続けた。


「脳を提供して欲しいと言ったら、どうする」
「脳、を…」


言いがら自分の頭に触れた長曽我部の顔に戸惑いがありありと浮かんでいる。元就はそれを面白がりながらビールを煽った。
その時、耳に収めたイヤホンから初めて音がしたが、電波が悪いせいか、もしくは風が窓を叩く音のせいか、聞き取れなかった。


(それはつまり、元就サンの研究の為に脳を提供するって事か…?それなら、)

「俺は全然いいっすよ。死んだらただ腐るのを待つだけの物体だし」


思ってもいなかったまさかの返事に今度は元就が面食らう番だったが、本人は至って真面目だった。


(役に立つなら、その方が…)

「では、約束だ」
「約束…」

(約束なんて…どうすればいいか、解らねぇ)

「守って貰うぞ」
「…はい」

(約束は、守るもの…その意思表示、か)


それから長曽我部は初めてお使いを頼まれた子どものように何度もその言葉を繰り返した。
思いがけず交わした約束に、元就は然程の期待もしてはいなかったし、意味もないと思っていた。もとより本人の意思など必要ないし、死ねば此方のものだ。
その時が、待ち遠しかった。










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