ある違和感が元就の胸に押し寄せたのは、前田が部屋を去ってすぐのことだった。
昨晩―あの時、温室内で感じた気配は本当に警備員のものだったか。だとすれば何故長曽我部も気付くようなあからさまな気配を顕にしたのか。そうした些細なことと言えばそうだが、よくよく考えてみるとどうも腑に落ちないことが疑念となって思い出されたのである。
学生の件もあって危険だと判断し、早々に研究室に戻す為のそれだとしても上手いやり方とは言えない。それに温室に入るまでは気配を消していた―実際不思議な程に何も感じなかったのだ―のに何故唐突に方針を転換したのか。
―何か、預かり知らぬ所で不測の事態でも起きていたのだろうか。
しかし、それにしても。
今の今までそれを疑いもしなかった自分に対し不審や呆れがない交ぜになり、複雑な心境のまま荒れ狂う外界を見つめた。
どうも自分らしくない。乱されている。
まるで夢の中にでもいた気分である。


(あれ、夢だったのか…)


思考に重なるような声が唐突に聞こえ、長曽我部が起床したことを知る。それを機に元就は一旦深く考えることを放棄してパソコンを立ち上げた。


(でもあの元就サンは夢じゃない、はずだし…いや、止めよう、考えんのは)


一体何を考えての言葉なのか。
思念は聞こえているというのに、長曽我部のそれは意味を理解することが非常に困難だった。やはり今回も思わせ振りのように知りたい答えは紡がず、そこで思考はがらりと変わった。悶々としながらも耳を傾ける。


(こいつが上手くいけば…まぁ、世界が変わるなんて事はないけど…全く意味がないなんてことも、ないはずだ…もう少し、何かが足りねぇ気がすんだけど)


察するに、研究のことを言っているのだろう。
IQ180以上の天才であるというのに長曽我部には自分の能力を過小評価するきらいがある。それはひとえに彼の周りの環境がそうさせてきたのだろう。彼が成し遂げようとしている研究―精巧な人工知能を持つロボット―も、世界的に評価されるものだという意識は微塵もないのだ。


(ん…?確か元就サンって、専門は脳神経外科だったよな…実はやってること似てたり、して)


一見どちらも同じような分野に思えるが、似て非なるものだろう。そう言いたいのは山々だったが、胸の内に留める。
しかし今日は矢鱈に自分の名前が出てくる。
その度に眉間に皺を刻む元就は居心地悪く、無意味にキーボードを叩いた。


(もっと話したい…何か…あ、そうだ歓迎会!今いるかな、いるよな?いや待て…先に慶次誘おう)


数分後に(駄目か…)という声が届き、前田が誘いを断ったことを知る。警備にまわる為か、それとも何か他に思惑があるのか。


(でも、誘うだけ…)


そこへきて、元就はにわかに動揺した。まさかと思う内にノックの音が響き、次いで声が掛けられる。入室を促すと、緊張した様子の長曽我部が挙動不審に足を踏み入れた。途端に視線があちこちに飛ぶ。元就は座ったまま、それを見据えた。


「あ、おはようございます」

(うわ、キレー…でもモノが少ないなぁ)

「あぁ」

(やべ、キンチョーする)

「…何か用か」
「あー…あの!突然なんすけど、元就サンの歓迎会とか、しませんか。っつっても俺と…いや、俺しかいなんすけど…」

(歓迎会つーか…これじゃただのサシ飲みだよな)

「歓迎されているのか、意外だな」
「へ?何言ってんの、当然じゃないっすか」

(やっぱ天然だ、ウケる)

「…生憎、飲み屋の雰囲気は好きではない」
「あぁ…」

(それ全然考えてなかったな…じゃあここで…いや、一応学内だし飲酒禁止か。じゃあ家、か…そういや何処住んでんだろ)

「元就サンは何処に住んでんすか」
「お前の家の近くだ」
「え?」

(あれ、俺、何処に住んでるか言ったっけ)


すぐにしまった、と思った。
無駄な関わりだという思いと、僅かな興味や期待といった相反する思いに気を取られ、失態を犯してしまった。
動揺する元就の胸中で天秤が激しく揺れていた。


「事務の、前田に聞いた」
「あぁ、なるほど」

(となると、やっぱ俺ん家だよな…来てくれっかな)

「じゃあ俺ん家とか、どうっすか」


まさかの展開だったが、そこで天秤は大きく傾いた。不安そうな顔で、長曽我部が頬を掻く。視線が絡んだまま数秒が流れる。


(あ、困らせた…?やっぱ俺、調子乗りすぎたかも…)

「いつにする」
「へ?」
「そちらの都合に合わせよう」
「あ、じゃ、じゃあ週末…土曜の夜に!」
「解った」

(うわ、やばい…嬉しい)










「やー参ったねしかし。何であーなんの」
「…俺が行かないとなれば、やめると思ったんだけどな。どちらにせよ俺の立場ではそれが適切な距離だから仕方ない」
「なぁ、本当にそう思ってんの?」


佐助が呆れたような声で、慶次を見つめた。
慶次はこの瞳が苦手だった。何もかもを見透かしてしまいそうな瞳に、無言で責め立てられているような気がするからだ。
ふっと窓の外に視線を逸らした慶次をなおも見つめていた佐助は、嘆息して椅子に身を沈めた。


「まぁいいや。で、何か手は?」
「…お前は、どう思う」
「俺はあんたの意見に従う」


そうか…と呟いたきり、慶次は沈黙した。
窓に映った慶次の顔には表情が何もないようで、実はあらゆる感情を抑制しているように、佐助には見えた。


「あの人は損になることはしないだろうな」
「でも天才ってのは本当だね。サトラレを手懐ける天才。人付き合いとかしなさそうなのに」


苦笑すらし損なったというような表情で慶次はようやく振り返ると、机に置かれたカップを手にして中身を確認するように揺らしながら「お互い似た者同士だと馬が合うんだろう」と言った。

「似た者同士ねぇ…まぁ、お前と俺は全然似てないけどな」


今度は上手に苦笑した慶次は一度時間を確認してから、唇を尖らせた佐助にコーヒーを勧めた。










#8 感情交錯
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -