目の眩むような太陽、全てを包み込む青い空、あらゆるものを育む大地。出会った頃と変わらないそれらとは違い、目の前の青年の姿は大きく変わった。背はぐんと伸び、口もより達者になって、なにより一人で生きていける。いつか来ると覚悟していた時が、とうとう来てしまった。玄関前で交わす会話は、まるであの頃とは立場が逆だ。今まで何度もこの当たり前を奪われてはその度に取り戻してきたけれど、もうその必要もなくなった。それは素直に喜ばしいことだ。だから、こんな時には笑顔がいい。


「行くんやな」
「…おう」


改めてロマーノを真正面から見つめると、濃いグリーンの瞳がわかりやすく揺れて直ぐに逸らされた。しかしその間も、スペインの視線はロマーノの上を滑る。何とも言えない表情をしたロマーノの、その体の至るところにスペインの名残があった。そのどれにも、忘れ難いたくさんの思い出が詰まっていた。傷をつくったり、傷をつけられたり。泣いたり、泣かれたり。今になれば、その全てがどうしようもなく愛しいものに思えた。


「ロマん中に俺がおるんやな」
「…なんだよ、それ」
「いつかは消えるかも知れへんけど、やっぱ嬉しいわ」


例えば、好みの食べ物や日課となった畑いじり、体に馴染んだ太陽と土の匂い、そして健康的な肌の色。そんな今のロマーノを形づくるものが、もしかするとこれから変わってしまうのかも知れない。自分と同じそれらが、彼から消えてしまうかも知れない。同じ家で暮らすうちに自然と当たり前になってしまっていたそれらが、実はそうでないことに今この時になってようやく気付く。子育てと言うには少々おこがましいけれど、そんな風に意識したことがなかったスペインは今更になって事の重大さを身に染みて思い知った。
本当は、消えて欲しくない。消して欲しくない。一緒に過ごした時間を、無かったことにはして欲しくない。けれど、これから独立するというのにそれらに縛られて欲しくもない。
もう滅茶苦茶だった。彼を想う程に、傲慢さや欲深さは無くなるどころか増すばかりだ。


「…簡単に消えるかよバカヤロー」


あぁどうして…そんな顔をしてそんな事を言うんだと思った。もし彼が晴れ晴れとした笑顔で自分の元を去ってくれたら、どれだけ楽だろうか。情とかそんな生易しいものなんかじゃない。そうなるようにしてきたのは自分だと言うのに。初めて見せた笑顔だって、初めてくれたプレゼントだって、初めて繋がった夜だって。彼にとっては自分程には意味もなくて覚えてないことかも知れないけれど、だけど自分は全て覚えている。そしてどれひとつ、忘れはしないだろう。いつも一番近くで彼を見てきた。だけど今、何を彼に伝えれば良いのかさえわからなくなる。言いたいことは溢れているのに、そのどれも言葉にはならない。それでも笑って欲しくて、親分は…と言いかけて咄嗟に口をつぐんだ。


「…ちゃう、すまん」


慣れというのは怖い。それが当たり前ではなくなった時、こんな風にそれまでどうしていたかなんて綺麗さっぱり忘れて立ち往生してしまうから。誤魔化すように頭を掻きながら苦笑すれば、ロマーノは一層顔をしかめた。頭突きの一発は飛んできそうな形相にはいまだに慣れずに怯んでしまう。


「本当に馬鹿だな」
「…ロマ、」
「スペインのくせにそんな顔してんじゃねーよ」


全然似合わない、と言われてもどうすることも出来ない。余程自分は情けない顔をしているらしい。でも、だって。どうして平気でいられようか。そんなの無理だ。だって本当は、引き留めたい。抱き締めたい。放したくない。そんな風に、心の中はぐちゃぐちゃなんだから。


「ロマ…」
「…俺だって、」


堪らず、目に一杯涙を溜めたロマーノを抱き寄せてキスをした。すぐに涙は溢れ、頬を伝った。その唇が震えていることに気付いて、更に激しく口付けた。もはや彼の為にではなかった。そんな余裕すらなく、ひたすら彼を自らに刻み込むことに夢中だった。ロマーノはぎゅっとスペイン服だけを握り締めてそれに応えた。本当に、本当に強い子に育ったのだ。
たくさんの“あいしてる”を込めたキスは永遠みたいに思えた。それでも唇は離れる。それから苦心して、ようやく体も離した。これできっと、大丈夫。そうして何事も無かったかのように笑ってみせた。


「なぁ、知っとるかロマーノ」
「……なに、」
「お天道さんはな、ロマの方から昇るんやで」
「…おー」
「せやからロマのこと、いつもこっから見とるからな」
「……」
「ほら、はよう行きぃ」


精一杯だった。みっともない涙声だったけれど、ちゃんと言えた。怒ったように照れたロマーノの顔は何時までだって見ていたいけれど。だけど俺だってもう、これ以上はもたないから。だから早く、行け。
そう祈っていたスペインの前で、次の瞬間、ロマーノは太陽のように笑った。


「ありがとう、スペイン」


そう言って、すぐに背を向けて走り出した。スペインが呆気にとられている間に、何度かこけそうになりながらも決して振り返らずにロマーノはどんどん離れて行く。


「そんなん反則やわぁ…」


不意討ちにも程がある。
だけどほら、やっぱり君は誰よりも素直だから。俺は安心して、その背中に手を振る。
すぐにもう我慢が出来ない涙が視界を滲ませた。


「頑張れ、ロマーノ」


生きているということ。それは変わっていくということ。眩しい太陽、美しい青空、恵みの大地。それは変わらないということ。きっと誰も一人でなんて生きていけないから。一緒にいても、離れていても。昨日も今日も明日も、俺は君を想う。君と過ごしたあの日々を、俺は生涯忘れない。





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