間接照明の灯りに照らされた形の良い横顔を見る限り、どうやら今夜の彼に今のところ自制心は働いているらしい。広いソファの隅にだらりと腰かけて、いつの間にやら手にした本に目を落としている。見れば、部屋の壁に備えた本棚から取り出したらしいフランス料理のレシピ集だった。キッチンにあるワインクーラーからとっておきの上物を取り出して戻ったフランスは、そんなイギリスを見て気付かれない程度にくすりと笑った。世界一を自負しているそれに、どういう訳であっても興味を持たれるのは悪い気はしない。フランスは空いているもう片隅に腰掛け、手際よくボトルのコルクを抜いた。目の前のローテーブルに置いた空のグラスに、ゆっくりと適量を注いでいく。イギリスのグラスには珍しいことに、まだ中身が残ったままになっている。グラスを持ってから深く腰掛けて足を組み、ちらりと横目で数十センチ先のイギリスを見た。視線はじっと脚に乗せた大判の本に向けられたままだ。その様子をじっくり盗み見ながら、フランスはしばしば女体にも例えられるグラスを無意識にいやらしい手付きで撫でた。それから細い支軸を傾け、たっぷりと香りを楽しんでから口をつける。身体に流れ込む液体は鮮やかな血の色。文句なしに旨かった。


「お勉強かい?」
「……さっぱり読めねぇよ」


言うなりしかめっ面をしたイギリスは、意外とすんなりそれを閉じた。フランスが彼の言語を学ぶ気がないように、彼にもその気はないなどとということは二人にとってある意味自然なことでもあった。膝に本を乗せたままより一層深くソファへと沈み込む、どこか心ここにあらずなイギリスの様子に、フランスは苦笑した。


「あのヒーロー君にか?」
「…あいつは関係ねぇよ」
「お前って本当、嘘をつくのが下手だな。それでよく生きてこれたもんだ。それともそれは、俺だけにか?」
「何言って、」


険しい表情を隠しもせずに反論をしようと開いたイギリスの口を、その瞬間にはフランスの唇が塞いでいた。同時に膝にあった本が床に滑り落ち、バタンと大きな音がした。イギリスが顔を向け、動いたと知った時にはもうグラスを置き、距離を無くしてしまっていたのだ。その速さに意表をつかれた上に両手首まで拘束され、イギリスは抵抗することも敵わなかった。直前の動きとは対照的にゆっくりじっくりとその唇を味わい、余韻を残すようにして離れた。


「作り方、教えてやろうか」
「いい」
「何勘違いしてんの」


妖しい笑みを湛えたフランスは左手を離し、そのまま腰に回した。戸惑うイギリスの抵抗も、その体勢のせいであっさり封じられる。慣れた手つきでゆっくりと撫でながら、間接照明の橙の中にあってもわかるイギリスのグリーンの瞳に、フランスは目を奪われていた。


「こっち」
「…馬鹿じゃねーの」
「好きだろう?」


お前程じゃねぇと言おうとしてイギリスは咄嗟に口をつぐんだ。データ的にそれを言える立場になかったことを思い出してしまったからだ。しかしそれを見抜いたかのようにフランスは意地悪く笑うと、再び口を寄せた。今度はすぐに離れる。そしてイギリスの高揚を指摘するかのように無言で見下ろす。既に後戻り出来ない欲情に気付いていたイギリスは半ば自棄になりながら、フランスの首に手を回して噛み付くようなキスをした。完全に身体も気持ちも流されてしまえば、あとは欲望に忠実なイギリスだった。冷蔵庫に用意してあるデザートは明日のアフタヌーンティーのお供にしようと考えて、フランスは目の前の行為に没頭した。








「わざとだろう」
「…何が」


唐突な問いに、フランスはあまり深刻にならないような口調でそう聞き返した。
先にシャワーを浴びたイギリスに続いてバスルーム向かったフランスが出て来た時には、既に草木も眠る時間だった。先に寝ているだろうと思っていたフランスはベッドルームではなく先程のソファに一人腰掛けるイギリスを見つけて、多少なりとも驚いた。冷蔵庫からペットボトルの水を二本取り出し、一本をイギリスに投げて寄越しながら隣に腰掛けた。二人して無言のまま水を飲み、フランスがそれをテーブルに置いた途端の言葉だった。いつの間にかこちらを見ていたイギリスはやけに神妙な面持ちをしていた。もしかして今夜アルコールが進まなかった原因かも知れない。そう考えてフランスは言葉を待った。


「…そうやって自分を軽く見せて相手に何でもないってフリをする」
「……ねぇ、まさか酔ってんの?」
「馬鹿にしてんのか。気付いてないはずはないだろう…わかっている癖に」


そう言われてフランスは堪らず破顔した。さすがお前には敵わないなと言えば、益々機嫌を損ねてしまったようだった。物凄い形相に一瞬怯みそうになりながら、フランスはごくごく本心に近い所を口にした。イギリスのグリーンが揺れるのを期待して。


「俺はお前みたいに執着はしない質なのさ」
「…俺がいつ、」
「ヒーロー君」


途端に閉口する様が面白い。フランスは密かにそんなイギリスの表情を楽しんでいた。昔に比べて無防備とも言える程、それはころころ変わった。けれどそれは同時にほんの少しの寂しさに似た気持ちも抱かせた。誰だって、昔には戻れやしない。


「お前にとってはいい傾向だった。昔はな」
「……」
「俺はこういうのが性に合ってるんだ。気楽でいい。面倒事は嫌いなんだ」
「面倒だから…、本当にそれだけか」


話を切り上げようとしたフランスは、動きを止めた。先程とは全く逆に、イギリスがフランスを見下ろす体勢でその身体を捉えていたからだ。


「昔からお前はそうだった」
「何が」


狡い奴。
耳元に悪い笑みを湛えながらそう囁いたイギリス頭を掴み、キスをした。舌が奪い合うように絡み、唇には噛み付き合った。そんなまるでキスとも呼べないイカれた行為を、二人して楽しんでいた。しばらくして、荒い呼吸の中、先に口を開いたのはフランスだった。


「賢いと言え。相手に何かを求めるのは求められるよりキツイんだ」
「お前のは一方的なんだよ」


今度はフランスが閉口する羽目になった。直ぐに目の前の身体を力任せに抱き締めた。支えを失ったイギリスの身体は簡単にフランスの腕の中になる。話しは終わってないと暴れながら抵抗するイギリスの文句さえ、今のフランスの耳には届いてはいなかった。無言のまま、まるで大切なぬいぐるみを抱く子どものようなその執着行動は、イギリスを静かにさせるのには十分だった。


「不思議だな。お前のことは泣かしたいけど、たまに甘やかしたくなる」
「…気色悪いこと言うなクソ髭」
「俺の楽しみを奪うなよ」


しばらくそうしているうちに、静かな寝息が聞こえてきた。その無防備すぎる寝顔を覗き、フランスはふっと笑った。
この男は人一倍執着心が強いくせに素直じゃない。手先と同じくそれを伝えることさえ不器用だ。その上、強がりさえも下手くそなイギリスのことを愛しいと感じずにはいられなかった。その隠したつもりでいる弱さを引き摺り出して目の前に並べて見せて、その顔がどんな表情に歪むのかに興味がないと言えば嘘になる。けれどそれよりは、とフランスは思う。
イギリスは自分に面と向かって“狡い”と言う奴なのだ。結局話を逸らしてしまったが、彼の言う“一方的”とはどういう意味なのかも、いつかは聞いてみたいとも思う。それに、


「俺はお前の寝顔を見るのが好きなんだ」


このポジションを譲る気などさらさらないし、自分にしか務まらないだろうとも思う。よっぽど馬鹿みたいに執着しているのは自分の方だと小さく自嘲した。
目覚めた時に必ずやってくるだろう全身の痛みを覚悟し、胸に頬を寄せて眠るイギリスの髪にキスを落として、フランスは目を閉じた。





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