最後の客を降ろしたところで、一息ついた。
煙草の煙を窓から逃し、同時に外の空気を招き入れる。頬にあたる夜気はすでに春のそれで、ふわりと柔らかく心地良い。微かなざわめきが風に乗ってフランシスの耳へと届いた。道路を隔てて隠微なネオンが彩る彼方と、等間隔に立ち並ぶ街灯が照らす静寂の此方。たったこれだけの道幅で、対岸はまるで別世界のように見える。この辺りを知らない人間が見れば、羽振りの良い大人が通う高級パブが立ち並ぶ歓楽街だと思われがちだが、その実態は様々な欲にまみれた人間達の巣窟だ。数分前にここで降りた客も、光に取り付かれた夜光虫のように吸い寄せられて行った。
突然、助手席のドアが開いた。
ぼんやりとしていて気付くのが遅れたフランシスが身構える前に、金髪の男が乗り込んできた。どうやら連れはいないらしい。変わった客だと訝りながらも煙草の火を消し、どちらまで、とお決まりの台詞を吐く前に、笑顔を浮かべた男が首を傾げて口を開いた。


「おにいさん暇?」
「…こう見えても仕事中なんですが」


しかしそんな答えは期待していないと言うように、すでに男はダッシュボード上に掲示してある免許証に興味を向けている。その様子はまるで子どものようだが、身に纏った大きめの白いシャツはボタンがだらしなく開き、そこから鎖骨が覗いていた。当然だが、大人の男だ。自然、フランシスの眉間に皺が寄る。


「へぇ、フランシスっていうんだ」
「あんた乗る気あんの?」
「俺アーサー。よろしく」


早々に敬語は必要ないと見切ったフランシスは隠すことなく大きな溜め息をついた。面倒なのに引っ掛かった不運を呪いながら、どうやって追い払うべきか思案を巡らせる。こんな客でもない男に付き合う義理も趣味もない。


「あ、年上だ。俺、年上好きなんだ」
「そりゃ良かった。さぁ降りろ」
「なぁなぁ、その髭伸ばす?眼鏡とかかけたりしねえの?」
「人の話聞けよ」
「あーそれ今日二回目。先生にも言われた」
「は?」
「病院行けって言われてさ、行ってきたんだ」


酒でも入っているのか、饒舌な男の話は突飛で脈絡もない。何故かそれに相手をしてしまっている自分の職業病に辟易しながらも、フランシスは訊かずにはいられなかった。


「怪我か何かしてるのか」
「セックス依存っての?ビョーキだって」
「……」
「笑えるだろ?でもそれ聞いて爆笑したら医者に怒られた」


そこでようやくフランシスはまじまじと男の顔を見た。短い金髪に大きな深いグリーンの瞳がよく似合う。服の着方はだらしがないのに、清潔感すら漂わせている。確実に付き合う相手には困らないタイプの人間だ。こんな、一般的に美青年と評されるような男が口にする言葉とのギャップに戸惑う。話には聞いたことがあるし沢山の人間に接するけれど、その患者とやらを目の前にしたのは恐らく初めてだ。
しかしとにかく言えるのは、これ以上関わり合いになりたくないということだけだ。
そんなフランシスの表情の変化から思考を読み取ったかのように、アーサーと名乗った男は妖しく微笑んだ。


「俺あんたの事知ってるぜ、フランシス」
「…初対面のはずだがな」
「夜専門のドライバー…だろ?」


この男がそう言うと、何か違う想像をしてしまう。誰が聞いている訳でもないが、それでもフランシスは弁解せずにはいられなかった。


「語弊がある。仕事時間を夜間に限っているだけだ」
「街で何度も見かけたことがある」
「まぁこの時間はタクシー自体少ないからな」
「ずっとあんたとヤりたいなぁって思ってた」


すっとフランシスの太股に手のひらが乗り、そのままゆっくりと滑ってゆく。視線は絡んだままにアーサーは妖艶な笑みを湛えて、あんたバイだろ、と自信たっぷりに言った。


「厳密に言えば違うな。俺は美しさに性別は問わないってだけさ」
「じゃあ、俺は?」


フランシスの首に腕を絡ませて身を乗り出したアーサーが、突如真剣な表情で問うた。ちらっと視線を落とすと、シャツの中が丸見えだった。


「ちょっと静かになればまぁ、いいんじゃない」
「あははっ、カーセックスとか興奮するなぁ」
「だから黙れって。この変態」


その罵声にも、アーサーは嬉しそうに笑って唇を重ねてきた。
それからというものの彼は気紛れに現れては助手席に乗り込み、腰を揺らして降りていく。どうやら野良猫がなついてしまったようだが、不思議なことに酒の匂いがしたことは一度もなかった。そしてセックスだけに依存しているはずの彼が何故あれだけ取り付かれたように、気持ち良さそうにキスをしてくるのかについては、まだ訊ねたことはない。




(London /依存症の人)
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