体が僅かに沈む感覚と、その後に唇に這った柔らかい感触でゆっくりと覚醒した。決して現実では手に入らないはずの幸せな夢が一瞬にして泡沫となり、同時に絶え間なく与えられる鈍い刺激によって現実を実感した。最初に目に入ったのは覆いかぶさった身体が動いて見慣れたはずのオリーブ色の瞳が一切の感情を締め出している様だった。視線は絡むことなく、男の顔は徐々に首から鎖骨辺りへかけて降下していく。ぼんやりとそれらを受けながら、忘れようとしたはずの記憶が呼び起こされてきた。
一番に酔いつぶれたギルベルトは大人しく眠っているだろうか。散らかし放題にした酒瓶でカーペットは汚れていないだろうか。朝食に使う食材はあっただろうか。
無意識に漏れた吐息が徐々に快感に変わっていくのをまるで他人事のように感じた。


「…酔ってんのか」


答えは無かったが、これが素面なのか否か、そんなことは聞かずとも分かっていた。馬鹿みたいに飲んで酔って酔いすぎて、最終的に一番冷静になった状態だ。だから怖い、そう思うのかも知れない。今はもう、何もかもが無防備で敏感なはずだから。
積もりに積もったものがついに決壊したのは、それが夢でなければまだ数時間前。あのまま眠りの中で忘れてしまえれば、無かったことに出来ただろうか。けれど目の前の現実が全てを見ろと急かして、それは無理なのだと思い知らされる。
今になって思う。
こういう時、互いの名前を呼んだことは一度もなかった気がする。


「アントーニョ」


びくりと肩を震わせたその男が、ようやくゆっくりとした動作で顔を上げた。自然に鍛えられた身体が離れ、それが不自然に強張っているのが分かる。一気に酔いが醒めたような、悪戯が見つかった子どものような表情でこちらをじっと見つめてくる。そこから感情の揺らぎが伝わる。
思わず目を逸らしたくなる衝動を必死で押さえ込んで半身を起こした。目の前の友人の顔が、間接照明の弱い明かりの中でもはっきりと分かった。
割り切れていたはずの関係を、いつの間にそれが難しいと感じるようになってしまったのだろう。きっと俺は、俺たち二人は過信していた。いつまでも、どうなったとしても、変わらないままの二人でいられると。本当はもう随分と前から互いに気付いていた気がする。そうではないと。
まるで鏡に映ったもう一人の自分がそこにいるようだった。弱い、弱いもう一人の自分が。


「もうやめよう」
「……」
「最後にしよう」
「…なんや、お前まで俺から離れて行くんか」
「お前だってもう…わかってるはずだ」


言い終わらないうちに抱き締められた身体に容赦ない力が加わる。痛くて苦しいはずが、今はもうそれも感じない。いい年をした大人であるはずの男の姿が、おもちゃを奪われまいとする子どものように見えた。
思えばこれまで感覚が麻痺しそうなほど長く続けて来てしまった。半ば惰性のような関係だったかもしれない。あるいはもっと別の何かが俺たちにはあったのだろうか。そして今、二人には何が残っていて、何を失ってしまうのだろうか。


「…俺はお前が好きや」
「俺も好きだよ」
「フランシス」
「わがまま言うなよ」
「お前がおらんと駄目なんや…」


アントーニョ、と弱気な男の名前をもう一度呼んで身体を離させる。今にも泣き出しそうな顔を見てどこか安心する。今の自分もきっと同じ顔をしているに違いない。けれどこれが最後の姿なのかと思うともうそれ以上見ていられなくてその額にキスをした。溢れた想いはきっともう一度元の流れに戻ることが出来るはずだと信じている。
本当はちっとも似ていない二人だった。けれど同じ想いをずっと抱き続けた二人だった。


「大丈夫さ、お前なら」


お前が大丈夫なら、俺もきっと大丈夫。
言い聞かせるように呟いて、最後の口付けをした。




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