乾燥した真夏の風が通り過ぎるたび、瑞々しい緑の葉と少年たちの柔らかな黄金色の髪を揺らす。目の眩むような輝きに満ちた、そんな午後だった。


「あっ!」


兎と追いかけっこに夢中になっていたアメリカの前に突如名前も知らない鮮やかな黄色の蝶が現れたかと思うと、彼の興味をいとも簡単に奪った。手のひら程の大きさの蝶はそんな彼をまるで何処かに誘うようにふわりふわりと舞いながら離れていく。アメリカはまるで鼻先にニンジンを吊り下げられた馬のようにその後を追いかけ出した。そのすぐそばで花を摘むことに夢中になっていたカナダがそれに気づいて顔を上げると、今まさにアメリカの背中がぐんぐん離れていく最中だった。慌てて声をかけてみても、やはり言うべきかその声は届いていないらしく見る見るうちにアメリカとの距離が開いてく。


「まってよアメリカ!」


待ってはくれないことは分かっていたが、カナダはそう精一杯の大声を出してようやく走り出した。足の半分も埋もれてしまう丈の草が小さなカナダの足元を何度も掬ったけれど、それでもカナダにとってはアメリカの背中を見失うほうが怖いことだったので立ち止まることはしなかった。


「ここはどこだろう」


それから終わりのわからない追いかけっこが続き、息を切らしたカナダがとうとう泣き出しそうになった頃になってようやくぷっつりと電池が切れたようにアメリカは足を止めた。その息は嘘みたいに全く乱れていなかった。いつの間に見失ったのか、蝶の姿はもう二人の視界になかった。アメリカの興味は既に辺りの景色に移ったようで、今も息を整えているカナダの目の前できょろきょろと忙しなく視線を飛ばしている。あれから随分と遠くまで来てしまったらしいということにカナダが気付いたのはその時だった。右手に持っていたはずの野花も、いつの間にか一本も残っていなかった。


「はじめてみるばしょなんだぞ」
「…うん」


何の恐れも知らない笑顔でそう言ったアメリカにカナダは今更ながら戸惑いを覚え、曖昧な返事しか出来なかった。当のアメリカはそんなことはこれっぽっちも意に介さず、好奇の眼差しで辺りを見回している。それに反してカナダの心中はぐるぐると渦巻く感情に満ちていた。
アメリカは何故、僕がここにいることを当たり前のように思っているんだろう。
ついさっきまで、アメリカの意識は蝶にしか向いていなかった。彼の後を追っていたことに気付いていたということはないだろう。それがアメリカだ。だとすれば彼にとってそれが当たり前だと感じている節があるということだった。そしてそれは自分自身にも当てはまってしまうのではないか。だとしたら少し悔しいな、とカナダは思った。つまり、アメリカの後を追うこと自体が無意識だということ。そして逆にアメリカがカナダに対してそういった意識を持ち合わせていないことは明らかだった。だからこそ、自分だけが相手に執着しているみたいで悔しさと同時にそれ以上の言いようのない寂しさがカナダを襲うのだった。


「あっちにいってみよう!」
「え?」


休む間もなく、さらにカナダの答えを待つこともなくアメリカは再び走り出した。そもそも彼は一度だってこちらを振り返ることはなかった。ぼうっとあれこれ考えていたカナダは一瞬反応が遅れたが、それでもすぐに条件反射のように彼の後を追った。アメリカの、その旺盛な好奇心を刺激するような物事に対するアンテナはとても敏感だ。それはまるでカナダには見えない何かが、彼には見えているようだった。
と、突然アメリカの足が止まった。勢いのついたカナダは急には止まれず、その背中に勢いよくぶつかってから尻餅をついて倒れた。


「いった…い」


涙目になりながら強打した額を擦っていると元凶であるアメリカがくるりと振り向き、そして今初めてカナダの存在に気付いたかのようにその視線を向けた。ようやく二人の目があった。


「カナダはおそいから」


すぐには理解出来ない言葉を口にし、アメリカはその小さな右手をカナダへと差し出した。呆気に取られたカナダは、ぽかんとした表情でそれを見上げることしか出来なかった。


「はやくいこう!」


言うと同時にアメリカの右手がカナダの左手を掴んでいた。それから強い力で引っ張られるようにして立ち上がったカナダは再び彼の背中を視界いっぱいにして走ることになった。アメリカはもう振り向くことはなかった。けれど繋いだ手は離すことなく走り続けた。
カナダにとってそれは、胸が躍るような出来事だった。
いつもアメリカの背中ばかりを見てきた。その後を追ってきた。それが当たり前になってしまっていた。けれど、もしその悔しさに似た寂しさと、アメリカが意図せず見せてくれた―今まで一人だったら決して知り得なかった―ことを天秤にかけたならば、間違いなく後者の方に傾くだろう。
例えば二人が今のままでいられなくなったとしても、いつか今日のことを忘れてしまったとしても、きっとずっと深い場所に、変わらないものがあり続けるのだと思う。それは二人でつくった秘密基地みたいに、他の誰のものでもない二人だけのもだと、カナダは思った。


「まってよ、アメリカ」


使い慣れてしまった言葉が本当に意味を失くしたのは、きらきらと輝く真夏の昼下がりだった。




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