ギムナジウムの庭と森の境目は曖昧だ。人工の柵は緑に埋もれ、朽ち果てるのを待つばかりに見えた。校舎の陰になって昼間でも暗く人目につかないその場所には、生徒たちに秘密の抜け道と称される穴が隠されている。ルートヴィッヒは白い靴下が汚れ、膝が擦り剥けることも厭わずに身体を小さくしてそこを通り抜けた。こうしてギムナジウムを抜け出すのは初めてだった。自分のことを折り目正しいと信じて疑わない周りの目を盗んで抜け出すのは簡単だったけれどいざ森の中へ身を置くと、罪悪感と緊張感で小さな心臓が大きく鳴った。見渡す限り緑の森は鬱蒼とし、草いきれがそんな身体を包み込む。夏の日差しは足元に小さな陽だまりを作っており、点在するそれらを辿るようにして奥へと進んだ。


(僕はいい子なんかじゃない。僕の胸の内なんか見れやしないのに、みんながそう決めつけるだけ)


鳥や虫の鳴き声はもちろん、小動物が起こす葉音がする度にびくりと反応してしまうので思うように足は前に進まなかった。
ふと後ろを振り向くと、しかしそこにはもう見慣れた建物はなかった。赤いレンガも緑の蔦も、森に飲まれてしまったかのように姿や気配さえも消していた。


(それとも、飲まれたのは僕のほう)


けれどそれに特別何の感慨もないまま再び歩みを進めた。時折、何処からか吹く湿った風が熱を持った頬を撫でていく。記憶と勘とそれを頼りにそれから少しばかり歩いた時、不意に視界が開けた。ぽっかりと開いた空間に青い空と白い雲が見えた。その下に突如として現れた湖は真夏の太陽の光を受けてきらきらと輝き、目が眩むようだ。ここからでも澄んだ水だとわかる。水面はとても穏やかだった。そこに、目当ての人物の姿も見つけることが出来た。兄のギルベルトが、一際大きな木の幹に背を預けて目の前の湖を見つめていた。しかしその横顔を目にした瞬間、ルートヴィッヒは咄嗟に近くの木の陰へと身を隠した。どくんと大きく跳ねた心臓が、すぐに痛みを訴える。


(一体、誰を探しているの…)


声をかけることが出来なかった。兄の視線の先には湖しかないはずなのに、その目は誰かの姿を見つけ出すように、愛しい誰かの姿を見つめるように、優しく穏やかだった。


(僕じゃない、誰か)


気付いていなかった?いや、違う。僕は気付いていた。気付いていて、今まで見ないふりをしていた。僕は望んで抜け出したはずだ。それなのに、それを目の当たりにしただけでこの様だ。
僕がいつも見ていたのは兄さんの後ろ姿ばかりだった。だって、兄さんはいつも前だけを見ていたから。ここに居ない誰かを見ていたから。
今にもその手を伸ばして知らない誰かの元へ行ってしまいそうな兄の姿から目を逸らし、踵を返した。


(それでも、僕には兄さんがすべてなんだ)


それから苦しいはずの呼吸も忘れて走った。そんな僕を、世界は色褪せることなく受け入れた。もう何も怖くはなかった。抜け出したはずのギムナジウムに再び囲われることを望んで、ただ走った。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -