夕刻まで街を濡らした嵐のような雨が夢のように、すっきりと晴れた宵だった。
丸い月、街灯、信号、ヘッドライト。それらに照らされたアスファルトはきらきらと輝いて見える。雨のお陰で普段より潤った客足もこの時間はパタリと途絶えてしまう。そもそも人影すら滅多に見当たらない。それでもこの時間帯にハンドルを握るのは最早趣味の域だった。まるで世界の終わりに一人生き残った映画の主人公にでもなったような気分に浸ることが出来る。そんな静かなドライブが、フランシスは好きだった。いつもコースは決めていない。その時の気まぐれで車を走らせるのが、粋だと考えていた。宛のないドライブ。前進か寄り道か後退か。そんなことは誰にもわからない。しかしフランシスはそれを良しとした。こんな夜とも朝ともつかない時間は何もかもが曖昧だ。
何となく、考える前にハンドルを切っていた。
その細い通りはまだ蕾が膨らむ前の桜の木が両端に植わっている並木道だった。雨に濡れた木の呼吸が、ここまで香ってきそうだ。窓を開け、しっとりとした夜気に頬を晒しながら街灯ひとつない道をゆっくりと徐行していたフランシスは次の瞬間、はっとした。
数メートル先に、誰か立っている。
ぼんやりと白い光りを湛え、人の形をした存在。
まさか、この世のものではないなにか―…。
更にスピードを抑えて近付いてみると、それはちゃんとした人だった。しかも片手を挙げて乗車を希望している。ほっと一息ついてから、後部ドアを開けた。
しかし乗り込んだ人物から告げられた行き先に、再び疑念が頭をもたげた。それは中心街から離れた場所にある墓地の名だった。


「…了解しました」


ルームミラーでその姿を盗み見る。艶やかな黒髪に、白い肌。そこへ今時珍しく和服を着ている。しかしそれで彼が男だと知れた。あの時、遠目でぼんやりと白く発光しているように見えたのは、その人が胸いっぱいに抱く白い花だった。


「いい香りですね」
「フリージアと言って、香水にも使われる花なんです」
「…フリージア」


昔女を口説くために身につけたが案外役に立たなかった知識―花言葉の中に、その花の名もあった気がする。どういった意味だったか、気を紛らわすついでに思い出そうとしたところで、男の方から口を開いた。


「実は今日、誕生日でして」
「それは、おめでとうございます」
「ありがとうございます」


本当に嬉しそうに笑う。
程なく赤信号で停車した。他に走る車が一台もないとしても、こればっかりは体に染み付いていてなかなか無視出来ない。その上今は客を乗せている。


「死んだ日を悼まれるよりも、生まれた日を祝って欲しい…とは私の勝手な想いなんです」


先程の誕生日とはすっかり彼のものだと思い込んでいたが、しかし彼はそれが誰のものなのかを言わなかったなと気付く。生まれたいくつかの疑問を投げかける代わりに、とても大切な方なんですね、とだけ言った。穏やかに優しい微笑みに、胸の辺りがふわりと暖かくなるのを感じた。
墓地に着くころにはすでに遠くで空が明け始めていた。
その人は穏やかな顔のまま丁寧に礼を言ってタクシーを降りた。その後ろ姿をぼんやりと運転席から眺めているうちに、うっすらと漂う朝靄の中にふっと消えた。
最後の客を降ろした車は自宅への帰路をのんびりと走り出す。けれどしばらくして、やられたと思った。あまりに自然に降りたので運賃を貰うのを忘れていた。まさに狐につままれた気分だ。
相変わらず通りを走る車は疎らだ。何となしにつけたラジオからおはようという声が流れ、今日の日付と天気を告げる。昨日と打って変わって春の陽気らしい。
そこで不意に花言葉を思い出したフランシスは、けれど納得したように一人微笑んだ。
車内には小さな花の香りがまだ微かに漂っている。




(Tokyo/白い花の人)
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