随分と陽が傾いてきた。
実習はまだ続いているのだろうか。
僕たちがいないことに誰も気付いてないといい。
出来ればまだ、あと少しだけ。
けれどそんな考えも、僕の頭からはすぐに飛んでしまう。


「いい所だね」


思いがけず滑落した崖下で、僕の意識は何時にも増して混濁していた。
大した怪我が無かったことは幸いだったけれど、こうした状況に望まずとも慣れている伏木蔵のような余裕は、僕には無かった。


「この花にも、毒があるんだよ。一体何から自分を守ってるのだろうね」


その時の僕は、もうそこに立っているだけで精一杯で、向けられた微笑みから目を逸らすことすら難しかった。
くねっと歪んだ眉の下の鈍い光に、捕らわれてしまったかのように身動きが出来ない。
さらりと肩から髪が落ちる。
目眩がする程、綺麗だった。
自分にはない清純さがそこにあった。
何も言えないでいた僕に失望したのか、彼は困ったように目を伏せた。
僕はただ馬鹿みたいに口を開けて立ち尽くすだけだった。


「ごめんね、巻き込んじゃって」
「…平気だよ」


そんなありきたりの無力な言葉しか僕の口からは出てこなかった。
彼がそうした言葉を吐くことは珍しく、虚を突かれたことを除いても、余りに情けなかった。
そうした僕の大いなる悔恨を後押しするかのように夕陽が視界の全てを茜色に染めてゆく。
血の気が引いたように白い伏木蔵の手が、赤い花に触れる。
僕はそれをまるで別世界の出来事のように見ていた。


「平太は…見ているだけで満足なの、」
「ぼ、僕は…」


全てを見透かされたような台詞に、一瞬で身体が緊張した。
言葉にならない呻きのような返事をしながら血が沸騰するかのような感覚に陥っていた僕は、たちまち大いに発汗した。
そして完全に言葉を失った。


「僕は本当に馬鹿だ…だから、ごめんね」


言葉を引き摺るように、立ち上がった彼の表情からは何も読み取れなかった。
そればかりか目が合った瞬間、強い目眩がして、やはり僕は何も言えなかった。


「帰ろう」


―嗚呼。
だって君は、何時だってあの人を見ていたから。
だって僕は、僕なんかは君にちっとも相応しくないから。
僕は僕のことすら、信用してはいないから。
君を汚さないように、傷の一つすら付けないように、そう思う同じ心で、全く反対のことだって考えてしまうのだから。
だから、君を想う僕は穢らわしい。
それを君に気付かれたくはない。


「…うん」


毒を内包しながら見惚れる程鮮やかな血の色をした曼珠沙華が、彼岸へ手招きするように咲いている。
君が終わる時はこんな場所が良い。
君を埋めるならこんな場所が良い。
そう思った。
そんな僕を夢から醒ますように、遠くで鐘が鳴った。





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