気配を現すと同時に此方に気付いた伏木蔵は、いつものように大袈裟に驚く事はなく、ただぎこちない笑顔を浮かべて常に困ったように歪んだ眉を持ち上げた。


「あ、ちょっと粉もんさん」
「おや、今日は驚かないのかい」


その問いには答えずに少しだけ首を傾げ、止まっていた作業を再開した彼の膝先の笊に得体の知れない草や木の実が積み重なっていく。その小さな指の先は可哀想な程、緑色に染まっていた。


「伊作先輩なら、出てますけど」
「ふぅん」


手元に視線を落としたまま卑屈気味にそう言った伏木蔵に、可愛い反応だと密かに口布の下で笑う。
彼の先輩である伊作が、皮膚に良い軟膏を作っている事も、それが自分の為だという事も先刻承知だ。だからこうして学園を訪れるのも伊作の薬の実験台になるという理由があるからだった。しかし彼には、伏木蔵が考えているであろう他意はない。お人好しもここまでくれば見上げたものだと感心してしまうが、それをこうして甘受する自分もなかなか自分らしくないという自覚もあった。
けれど今宵は、伊作には悪いがそれを擲っても良いと今、思ってしまった。


「今更だけど、私が怖くないのかい」
「曲者さんは僕を怖がらせたいのですか」
「そんなつもりはないけどね」


ちらっと遠慮がちに視線を寄越した伏木蔵は、手首辺りの包帯にそれを滑らせると益々俯いた。その瞬間、そんな彼を少しだけ困らせてみたいという感情が首をもたげた。
部屋の隅で、小さな炎がゆらゆらと揺れている。その灯りに同調するように、ねぇ…と声を掛けて顔を覗き込むように距離を詰めた。


「今日は君がしてくれるかい?」
「ぼ、僕が…?」
「無理にとは言わないよ」
「…僕は、でも…」


珍しい反応だ。けれど決して予想外ではない。身内以外でこの布の下の肌を晒したのは伊作だけだった。その伊作でさえ、初めはかなり戸惑ったようだ。この年端のいかない子に、それは酷だろう。部下の幼き頃の姿が頭を過り思わず苦笑しかけた時、顔色を一層悪くした伏木蔵が、けれどしっかりと此方を見た。そしてハッキリと「まだ、ダメです」と言った。


「そうかい。君は、賢い子だね」


防衛本能か、弁えているのか。
いずれにせよ素直で賢い答えに違いない。
首を傾げながらも誉められた事が嬉しいのか、これまでで一番解りやすい笑顔が浮かぶ。返した言葉の本意は、このほんの十年生きただけの子には伝わってはいないだろうが、それでいいと思えた。腕を伸ばしてその頭を撫でると、また擽ったそうに顔を綻ばせる。
この純粋さは、強さなのだろう。


「粉もんさんはかっこいいです」
「光栄だが、私の名前は昆奈門だよ」
「ふふふ」


こうも簡単に、幸福そうに笑う。
その緑に染まった小さな手を取ると、思っていた以上に柔らかく温かく、情けなくも虚を突かれてしまった。その一瞬でするりと手の内から抜け出した手のひらが、恐る恐るという様に腕の包帯の上へ触れた。至近で見下ろしていた為に表情は見えない。それを見たいと思っている自分に気付き、内心で自嘲する。
今、この子は何を思うだろうか。
もしもこの希望に溢れた子の見るその先に、こんな自分がいるのなら、それは嘆くべき事だろうか、それとも―…。
そこまで考えて、この純粋な戯れにそうして意味を付けたがるのが大人なのだとすれば随分とつまらない事だと思った。


「さて、今宵はこれで失礼するかな」
「え、でも先輩は…」
「君と話せて楽しかったよ、伏木蔵くん」


自分とは一番遠い場所にいるような子どもだからだろうか。いずれ何かを確認するようにまた、性懲りもなくこの場所に足を向けるだろう。優しいこの子の行く末が、今から楽しみでならない。
もう一度頭を撫でてから部屋から出ると、細く欠けた月が棚引く雲に隠れようとしていた。闇に紛れる前の一刹那、顔の皮膚を引きつりながら笑みの形を作っていることに気付いたが、それを最後にあらゆる思考を完全に閉じた。





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