目の前に与えられた任務を完璧にこなすこと。ただそれだけを考えていればいい。そこにある醜い利害や善悪の観念などは忍である自分には関係のないことだ。そう割り切らなければこの光の差し込まない深く暗い闇の世界ではやっていけない。迷いは自滅を意味する。一瞬の判断の遅れが命取りになる。組織に身を置いていれば尚更、個人の感情など不要の最たるものだ。そう教えられ、受け入れてきた。それに対して疑問も違和感も抱かずにここまできたのは、ある意味幸福だったのかもしれない。


「組頭はいつもの調子で気付かなかったと言っておられたよ」
「…すみませんでした」


自分の動きが鈍いことに気付かない程、あの人の目は節穴でない。組頭らしいその言葉に、改めて自己嫌悪が重くのしかかった。
一切の思考を停止し、機械的に任務をこなす。そうすれば次第に感覚は麻痺していく。いくら人を騙しても、いくら人を殺めても何も感じなくなる。でも、だったら、自分は何の為に任務をこなしていたというのだろう。忍の自分にとってはその意味すら、必要ないというのか。目の前の人間は、こんな自分が生きる為に殺されていくのか。
それでも目の前にある任務は待ってはくれない。結局そんな役立たずと化した自分の補佐を組頭と小頭にさせる羽目になってしまった。


「なぁ、陣内左衛門」
「…はい」


自分でも気付かぬうちにそっと堆積していたらしいものが感覚を鈍らせていく。そこに微かな緩みが生じ、完全であったはずの冷徹さが綻び始めた。
その原因は―…。
そうやって辿り着く結果を恐れ、考えることを避けてきたことが逆に自分の首を絞め続けてきたのかもしれない。
忍以外の生き方など知らないし、出来やしない。その為に必要なことだ言われたら、感情さえ捨てることも出来たのに。それなのに、同じ自分から生まれた得体の知れないもののせいでその唯一の場所さえ危うくしている。忍としての自分を自分で否定してしまうその考えが許せなかった。


「人は人を辞めることなど、出来ないよ」


小頭はいつもの柔和な笑みを手元の湯呑みに落としたまま、そう呟いた。部屋唯一の明かりがゆらゆらと揺れ、その横顔を照らし出していた。


「それは我々のような忍であっても、だ。だから迷い、悩み、苦しむ」


つまり、彼らには何もかもお見通しということらしい。それでも不快感は微塵も感じなかった。むしろそれを素直に受け入れている自分に驚いていた。それは心を見透かされたと言うには余りに心地良いと感じる言葉だった。


「しかし私はそれでいいと思っている。切り捨てるより受け入れることの方が難しい。自分の存在理由を狭めることは、自分の可能性をも狭めることだ」


つまり何が言いたいかというと…と顔を上げた彼は真っ直ぐにこちらを見据えた。その視線に簡単に捕らえられ、一瞬呼吸を忘れてしまう程の強さだった。


「考えることを忘れるな。お前の持つ名前を、その意味を、忘れるな」
「…はい」
「私はそんなお前を誇りに思うよ」


再び表情を和らげたその人を前に、言葉を失くした。まるで体中の血が沸騰し、歓喜に駆け巡るような感覚が全身を支配する。


「小頭…いえ、陣内さん」
「なんだかお前にそう呼ばれると妙な心持ちだな」


その半ば麻痺しかけた体が、意識とは別にぎこちなく動いていた。引き寄せられるようにして伸ばした腕が、目の前の体にそっと触れる。彼はただじっとそれを受け入れている。自分の中の何かが弾け飛んだ気がした。途端に抱きしめた体は見た目以上に細く感じた。静かな鼓動と確かな熱がとじわじわと伝わって、あとはもうその感覚を甘受するのに夢中になった。



「なぁ…知っていたか?こうして私もまた、お前に救われているのだよ」



背中にまわされた掌があやすように緩やかに動き、穏やかな声音が耳朶を打った。堪える隙もなく涙が溢れ落ちるのを感じた。ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕に力が入る。腕の中にある熱を感じて、五感全てで自分以外の存在を確かめる。
それが自分を必要としてくれているということを知った。
それが自分の必要としているものだということを認めた。


「愛しています」
「あぁ、私も愛しているよ」


全身全霊で私は貴方を愛しています。だから私はこの愛に報いる生き方をする。抱きしめた温もりに、そう誓った。















私の中の貴方、それが私の全てなのです

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