体育館で仰げば尊しを歌って、教室で卒業証書を受け取って、三之助達とこれからの予定を確認して、まだ式の余韻で騒がしい教室を抜け出した。ゆっくりと、しかし確実に歩いて向かう先に、きっと今日もあの人は居るだろう。
三階の窓から望む見慣れた景色が、何故か昨日までと少し違って見えた。ここから飛び降りたとして、両足の骨折程度で済むのか、もしくは死んでしまうのかといった判断をするには微妙な高さだった。興味はあったが、それを試そうと思ったことは今のところない。
階段を降りていく途中、踊り場で開いていた窓からふわりと春風に煽られた。窓の外を見上げると、はっきりとした青の空に一筋、白い雲を作り出しながら飛行機がまったく検討のつかない方角へと進んで行っている所だった。
ふと、どこかの教室から歌声が聞こえてくる。俺はなるだけゆっくりと歩みを進めた。
一階の一番端。突き当たりにある小さな一室には、思った通り人の気配があった。こんな気持ちで保健室の扉を開けるのも、もしかするとこれで最後かもしれない。


「先生」
「…富松くん」


式に出席していたらしい彼はジャケットを脱ぎ、代わりにいつもの馴染みの白衣を羽織っていた。そのかっちりとした見慣れない姿はいつもより少しだけ、彼を大人に見せた。せっかく一歩近付けたと思ってもこれだ。


「泣いてたの」
「あぁ…最近涙腺ゆるくって」


歳のせいかなぁ、なんて笑いながら視線を逸らした彼とは初等教育分程度にしか歳は離れていない。かけていた眼鏡を持ち上げても、その小さなガラスでは誤魔化せない位に眼が赤くなっている。正確には、桜色か。けれどどういう訳か、当事者であるはずの俺は泣けなかった。


「そうだ、これみて」
「ちょっと…卒業式の日まで怪我したの?」
「今回も三之助と左門が悪い」
「若いのに苦労するね」


制服を捲って差し出した右腕に、件の二人によって生み出された擦り傷がうっすらと赤を滲ませていた。今朝できたそれはすでに乾燥を始めていて、放っておいてもなんら問題ない、その程度のものだった。普段の彼ならばそう言って追い返しただろう。しかし今日の彼は薬品が入った箱を開け、正面の小さな椅子に座るよう促した。本当は傷なんかどうでも良かったが、素直に腕を差し出す。


「先生」
「なに」
「もう先生、じゃないね」


手首を掴む手のひらはひんやりとしていた。窓の外から差し込む陽光が二人の足元に陽だまりを作っている。顔を伏せたまま、彼は少しだけ笑って作業を再開した。


「…何て呼ぶ気?」
「数馬」


綿に湿らせた消毒液を塗る手が止まる。予想通りの反応に、差し出していた腕を下ろした。彼もすぐにそれを金属のトレーに入れ、視線を避けるようにガーゼを取り出す。


「僕一応年上だよ?」
「好きだ、数馬」
「……」


無理に笑った顔が固まる。その腕を掴んで無理矢理にこちらを向かせると、椅子ががたっと音を立てた。それは戸惑いにも見えた。それは我慢にも見えた。今にも泣き出しそうなその表情を向ける彼に、堪らずキスをした。
どこからか旅立ちの歌声が聞こえる。廊下を笑い合いながら駆け下りる音が聞こえる。


「待たせた」
「…卒業、おめでとう」


すぐに背後のドアが勢いよく開いて、いくつもの笑顔が飛び込んだ。






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