「お前ってさぁ…腹黒いよな」
「今更?」


そんな些細な非難の言葉も、二本目のビール缶を片手に煙草をふかす三郎によって軽く流された。大体、夜中に突然出てこいと有無を言わさず命令する奴だ。バイクの運転がある為に酒が飲めない自分に配慮するはずもなかった。仕方なく視線を隣の三郎から正面の海に向けてついた溜め息も、波の音に掻き消されてしまった。近所のコンビニ前で拾った時に三郎が持っていた袋の中身はビールの他に、今は残骸になっている花火だった。どうやら売れ残りの処分品として半額になっていたらしい。それはもう何年振りかも忘れるくらいに久しぶりの手持ち花火だったけれど、物悲しいくらいとても呆気なかった。それにしても夏の終わりとはいえ夜の海は半袖では少々肌寒い。目の前の黒い海も何だか不気味な生き物のようで、ともすれば飲み込まれてしまいそうだと思った。


「泳いでこいよ八。見ててやるから」
「お前行けよ」
「馬鹿言うな。海は見るもんだろ」
「……」

口を開いたと思えばこれだ。二の句が継げず、体を倒して寝転がると浜の砂が思ったよりもさらさらで心地良かった。見上げた空はこんな時間でも青で、小さな星もいくつかある。雲はどこに行くのやら忙しく流れていた。見え隠れする月の明かりだけでも目が慣れてしまえば街灯すらない浜辺でも問題はない。そんな夜から朝に変わるちょうど真ん中、今のような時間帯のことを何と呼ぶのだろうとぼんやり考えた。だけど何一つとして浮かばないことに馬鹿らしくなってすぐにやめた。当然辺りには人なんか一人もいなくて、自分達が黙ってしまうと本当に波と風の音だけになってしまう。それはまるで無人島にでもいるようだった。
やたら口数の少ない三郎をちらりと盗み見る。この位置からはその表情まで伺い知ることは出来ないが、じっと正面の海を見つめているようだった。


「…つーかさぁ、何で海?」
「今更だな」


言われるがままにここに来て、もう軽く一時間近くは経つのだから自分でもそう思う。三郎の突飛な言動は今更珍しいことではないし、理由がないのなら別にそれはそれで構わなかった。けれどあるのなら、気になる。だからあまり期待せずに聞いてみたのだ。しばらくの沈黙の後、三郎は一人言のように呟いた。


「空白みたいな時間とか、季節外れの場所とか、売れ残りの花火とか」
「……」
「そんなあってもなくても良いようなものは、嫌いじゃない」


その理由とは呼べないような理由に、なんとなくだけど納得した。
笑えるはずもなかった。この男は何にも興味のないふりをして、そのくせ人一倍感じやすい。無体物のように捕われないことを望みながら、時にこんな顔をする。ある日突然どこかに消えてしまいそうな、そんな気さえした。
ふと、煙草の火が缶の中に消えた。相変わらずその表情は見えない。見えていても気付かないことだって沢山あるけれど、だったら尚更こっちを向いて欲しいと、そう思った。


「…お前、可愛いな」
「なに…今更?」
「けどさ、」


ようやくこちらを振り向いた三郎の腕をがっちりと掴んで引っ張った。体勢を崩して自分と同じように豪快に倒れこんだ体に覆い被さり、見下ろす。そうしてようやく目にした表情はあまりに人間くさくて、途端に色んな想いが込み上げてこの口から出たがった。けれどそれを適当な言葉にしてやるにはあまりに無力で、


「いっ…てー…」
「時々怖い」
「……」
「俺のこと見えてんのかよ」


驚きに固まった顔が、崩れるのにあまり時間はかからなかった。いつもの笑みが浮かぶのを期待した訳じゃないけれど、相変わらず憎たらしいそれにどこか安心したのも確かだ。何も言えずにいると、下から伸びた手に頭をガシガシと乱暴に掻き乱された。


「吠えるなハチ公」
「……お前なぁ」
「ところで、これって飲酒運転になると思うか?」
「は…?」


突然の理解し難い言葉の意味は、その行動で知ることになった。頭にあった手がそのまま首をぐいと引き寄せて、唇に感触。与えられたのは、いつものような乱暴なそれではなかった。ゆっくりと何度も確かめるように唇を食まれる。戸惑いに思わず開いた隙間を割って侵入する舌。絡まる苦味と熱さで脳まで痺れていく。緩慢なその口付けは、どんなに強い酒よりも余程質が悪いと思った。離れる際にわざとらしく音をたてられ、すっかり上がった呼吸と様々な羞恥のせいで体が熱かった。


「…大丈夫だろ」
「だよな」


そんな、まるで共犯者のような台詞に思わず笑ってしまった。
掴み所のないこの目の前の不思議な男に、それでもこの手は掴まえたいと伸びる。目に見えているものだけが全てじゃないことを教えられた。猫のように気紛れで時にするりとすり抜けて翻弄したりする。けれどそれは合図のようなものだと今は理解している。たまに羨ましいとも思う。自分とは面白い程に正反対だから尚更、掴みたいと思ってもなかなか難しい。だけど、やっぱり。


「けどまぁ、お前も十分可愛いぜ?」
「…そりゃどーも」
「馬鹿だし」
「…やっぱお前全然可愛くねー」
「褒めてんだよ」


そうやって再び引き寄せられた唇がゆっくりと重なった。
例えばそれは夜だから月が輝くように、寒さが目の前の体温を実感させるように。わかりにくくても、確かにそこにあることを気付かせてくれる。誰にも見せないそれらに触れさせてくれるのなら、いくらでも惑わされてやる。白みはじめた空の下、捕らえたのか捕らえたのかもわからない体を寄せながら、そう思った。















だからお前はそのままでいていい

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