どうして無傷のおれがこんなにも痛くて苦しいんだ。全身から力が抜けて、涙も出やしない。それもこれも全てお前のせいだ、八左ヱ門。


「…ふざけんなよ」


おれたちは出逢った。忍としてのいろは、それ以上のことを学ぶ為の学舎で。そしてそこを離れた後も、逃れることなど出来やしなかった。いつまでも同じ場所にはいられない。それはあの時から理解していた。分かっていながら何かを埋めるように、いつか必ず来るそれらから逃れるように、求め合った。
時は経ち、この眼は汚いものを見すぎた。嗅覚は血の匂いに麻痺した。両の手は肉を引き裂く感触に溺れた。身体は興奮と空虚を繰返した。けれど心は、いつでもただ一人だけを求め続けた。


「…何か言えよ」


三月に一度の逢瀬は、背徳感など感じぬ時間だった。この丘のこの桜の木の下。まるで最果てのような、朝日が昇るこの時間。それは二人だけの秘密の約束だった。姿を確認した時の安堵と興奮は、生きていることの実感。とにかく必死だった。一緒に過ごせる短い間、仕事の話なんか一切なくて。うんざりする現を忘れて、正に夢の中にいたかったんだろうと思う。叶うはずのない永遠なんてものを密かに、けれども恥ずかしげもなく望んだりもした。
その束の間の幸福が過ぎ去ると今度は、恐ろしい程の虚無感が襲うこともまた初めから分かっていたような気がする。自分もお前も捨てられない。それがこの行為に対する罰だとするならば、黙って受け入れるしかなかった。そんな日々の糧は八左ヱ門、お前の記憶だった。その温もりや匂いや感覚を懸命に抱き締めて、また次に逢える日の為に生きていた。


「あぁ…やっぱりお前はずるいな」


逢う度、愛しい痛みと共におれの中に色濃くお前を残して。変わらぬこの愛は永遠だと囁いて。そんな風に、無意におれを縛り付けた。三月に一度でも、次があるのならそれで良かった。けれどそれは今、お前の過失になった。


「…馬鹿野郎」


どうして、なんて。それはきっと世界で一番無意味な問いだろう。その答えは自分たちが忍であるというごく当たり前の事実だけで足りる。否、それ以前にそれはこの世に生きる誰の上にも公平に訪れる。生まれてきた時点で、避けることの出来ない事。そんなことは分かっている。約束だって確約じゃない。甘美な響きほどの意味を、必ずしも持ち合わせない。それはただの意思表示にすぎないということを。


「…穴だらけじゃねーか」


目の前に横たわる身体からは嘘みたいにたくさん血が流れ出していて。抱え上げたら、驚く程軽かった。それなのに、死んでいるとは思えない程、その顔は綺麗なままだった。
こんな身体に成り果てる前に、ここじゃなく他に行くべき場所があったはずだ。なのにどうして、お前はここにいる。こんなになってまで守るつもりだったのか。最期まで何て馬鹿なんだ。格好つけんな。そうやって勝手に一人で死んでんな。なぁ…聞こえてんのか、馬鹿八。


「…一人にするなよ」


思えば、おれはあまり素直じゃなかったと思う。だけど、お前はいつも分かってくれてたよな。どんな些細なことでも、おれのことなら何でも分かるって、何時だったかお前は言ってくれたよな。だったらさ、おれが今何を考えているか、分かるだろう?
一緒に、連れて行って欲しかった。
こんなことになる前にそうしたって、おれは良かったんだ。けれど、そんなこと言えるはずがなかった。毎日を必死に生きて、おれたちの未来を信じるお前を信じたかった。でも、もうそれも無い。おれにとって、お前のいないこの世界に価値はない。生きる意味も理由も気力もない。もう、なにもないんだ。
望むのなら簡単だ。腰に携えている短刃をこの左胸に宛がって一思いに貫いてしまえばいい。そうすればどれだけ楽になれるか知れない。だからおれはそれを望んだ。それを選びたかった。なのにどうして、


『死ぬなよ、兵助…生きてくれ』


どうしてまた、あの時の言葉でおれを引き止める。別れ際にいつも、切なさを隠しきれていない笑顔で、お前がおれに言った言葉で。どうしてまだ、解放してくれない。死んでなお、お前はずるい。おれが愛した姿で、声で、笑顔で…おれの腕を掴んで止めるんだ。今はもういないお前に、おれはまだ捕らえられたまま。
ぼろぼろと次から次に溢れ出たのは、紛れもなく涙だった。あぁ、どうして今頃。身体が震え出して壊れそうだ。おれはこんなに、こんなに泣けるんだ。


「…なぁ、八…」


今日お前に逢ったら伝えたい事があったんだ。
おれはこんな戦乱の世が当たり前だと思って生きてきた。生まれた時からこうだったから疑うこともしなくて、だから自分が忍として生きることを選ぶのも、ごく当然のことだと思っていた。
けれど、お前に逢えない日々の中で、ふと思ったことがある。例えば道端に咲いた花に、例えば夕暮れの童歌に、例えば輝く星空に。あぁもしかすると、それは違うのかも知れないって。こんな殺し合いの戦なんか無い、ずっとずっと穏やかな世が来るのなら。そんな時代に生まれたなら、おれたちはどんな風に出会ったかなって。どう生きたかなって。そんな事を、考えたんだよ。
もし生まれ変われるのなら、まだ見ぬそんな穏やかな世がいい。次はどうか、柔らかな布団の上で死ねるようなそんな時代に、お前は生まれて来いよ。どうやらおれは、まだその立場にないようだから。だから、いつかきっと、


「逢いに行くよ」


きっと、何度でも。だから少しの間、待っていてくれないか。ちゃんと生きて、お前に逢いに行くから。文句ばかり言ったけど、本当は嬉しかったよ。来てくれて、ありがとう八左ヱ門。
もう止まらない涙がぽたぽたと落ちて、その綺麗なままの顔を濡らした。ふっと山の端から光が漏れ、新しい朝がやって来たことを知らせた。まるで身体を抱かれているようなその暖かさにそっと目を閉じると、太陽のようなあの笑顔が眩しい程の輝きで浮かんだ。















真っ直ぐ立っていられるように、揺らがないように、それからやっぱり寂しくないように…おれの腕を掴んだその手を、離さないでいてくれ

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