「今更だが竹谷、俺はお前なんか誘ってねーぞ」
「はははは」
「……腹立つ」


わざとらしい大きな溜め息とともに愚痴を漏らしたのは三郎で、隣を歩く雷蔵はそんな彼の珍しい姿に思わず顔を緩ませた。そして夕暮れ間近の空に似た穏やかな表情のまま、脱力しきった三郎の腕をこっそりと引いて彼の不満の原因である竹谷とその隣を歩く兵助の二人から少し距離をとった。それに気付かずに前を歩く二人の背中を羨ましそうに眺める様は、まるで母親のようであった。


「僕は嬉しいな」
「……はぁ」


何とも苦い顔をして曖昧な返事をした三郎とて、何も四人というのが不満だという訳ではなかった。元々今日は近頃町に出来たという甘味屋へ、三郎と雷蔵と兵助の三人で行く予定だった。なのだが学園を出発する時には何故か兵助の隣には竹谷がいたのだ。驚いた二人が、自分たちも知らないたった一日ちょっとの間に二人に何があったのか…と、まぁその雰囲気から察するのは容易かったが、本人たちにそれを報告された訳でもない。そこでこれはさぞ面白かろうと、三郎が二人をからかってみたのだが、竹谷はいつものように笑い、兵助は難しい顔をして黙り込むだけで(頬がほんのり赤くなったのを見逃しはしなかったのだが、それだけだった)、何も面白いことはない。早々にそれを投げ出した三郎を次に襲ったのは、言い様のない脱力感だった。あれほど紆余曲折あって、なのにこうもあっさりしたものかと呆れさえした。そして今。少し前を歩く当該二人の初々しいような、けれどしっくり馴染むような背中を見て再び愚痴を溢したい気分になった所に、それを知ってか知らずか、雷蔵がくすりと笑った。


「だけど本当に良かったね」
「…全く面白くないね」
「えー?あーんなに馬鹿なことをしてまで応援してたのに?」
「馬鹿って……大体俺は応援なんかした覚えはないぞ」
「ねぇ…それってもしかして、ハチに兵助を取られたーみたいな親心なんじゃない?」
「……当たらずとも遠からず、かな」


頭の後ろで手を組み、どこか遠くの空を見つめて放った三郎らしからぬその答えに、雷蔵は思わず吹き出した。更に我慢出来ないとばかりに声をあげて笑い出せば、それに二人が驚いて振り返り、三郎は一人焦っていた。それがまた雷蔵の笑いを刺激した。そんな幸福な帰り道には笑い声が絶えなかった。















「兵助、いいか」

「…あ、おぅ…」



想いが通じて数日。今では以前にも増して兵助の胸の高鳴ることが多くなっていた。もちろん良い意味のそれではあったが、そういうことに慣れない兵助はちょっとしたことにも戸惑い、反応が不自然になってしまうことに自分自身呆れていた。今みたいに竹谷が夜、部屋に訪ねてくることなんて珍しくもないがやはり今は今。所謂恋仲になってからはどうしても意味の違う緊張を抱いてしまう。



「今日は楽しかったな」

「…あ、あー…」

「また、今度は二人で行こう」

「……うん」



そんな風に笑って言ってくれる優しさが嬉しくて、恥ずかしくて。頬を染めて俯きかけた兵助の顔に、不意に竹谷の大きな手が添えられた。驚いて合ってしまった目に、捕らえられた気がした。



「兵助、」

「な…に…」



言葉の最中にはもう竹谷は動いていた。あまりに突然の展開に、しかし兵助は幸せの中で理解した。信じられないけれど、これが口付けなのだと。少し硬くて熱い唇が何度も角度を変えて自分のそれを食むように戯れ、小さく音をたててようやく離れた。それからまるで、鏡でも見たかのように同じように上気して欲情を滲ませた顔を、互いに見つめ合った。長いことそうしていたように感じたが、何故か急に竹谷の顔がぼっと赤くなって、兵助は我に返った。


「…ごめん。その、つい…我慢出来なくて…」
「……いや」


包み隠すこともしない言葉に、胸が痛みと共に愛しさを訴えてきて、思わず顔を背けそうになった。けれどそんな甘い熱を帯びた身体を必死に抑えながら、兵助は顔を赤くして頭を掻く竹谷にそっと手を伸ばした。それは兵助にとって勇気の必要な行為であったが、そうせずにはいられなかった。


「竹谷…」
「ん?」


それに気付いた竹谷は優しくその手を取り、包むように重ねた。その行動にまた胸がぐっと狭くなって、兵助は目の前の胸に全てを預けた。耳をつけた左胸からは信じられない速さの心音が聞こえて、自分のそれも同調するように高鳴った。それからゆっくりと、ぎこちない動作で背中に手がまわされた。


「すごく…嬉しい」

独り言のように呟いた竹谷の言葉に、兵助は思わずぎゅっと目を瞑った。だって、それは今まさに自分が口に出そうとした想いだったから。目の前の幸せが、怖くなるような幸せが、自分を優しく包んでいる。兵助は込み上げてくる幸せの涙を抑えて、竹谷の身体を抱き締めた。ただ必死に背中の布を掴んで握り締めた。


「…竹谷…竹谷、好きだ…」
「…兵助、俺もだよ」


それはあの日以来の言葉だった。最後に泣いたあの日、兵助は今までの全てを竹谷に晒した。想いを勘づかれない為に、それよりも想いを制御する為に避けていた事も。出会った頃の夢を見た後に、拒絶した事も。それから竹谷も少し照れながら打ち明けてくれた。あの夜、兵助を抱き締めた後に知らない感情が生まれて戸惑った事。兵助の為と言い聞かせながら距離をとった事も。互いにそれを聞いて、笑えた事が一番嬉しかった。全ての事がじわりと溶けていくような感覚だった。
突然、背中でゆっくりと手が動いた。


「あっ…」
「………」


背中を優しく撫でる竹谷の手はゆっくりと上から下へ、下から上へとを繰り返した。無言で慈しむように続くその感覚に、兵助は小さく震えた。それでもその行為を止めようとしない竹谷の顔は、苦悶に満ちていた。震えながら、でも自分を一生懸命抱き締める愛しい愛しい兵助の肩に顔を埋めて、息を吸った。以前同じことをした時、その時も自分からそうしたにも関わらず、今と同じように胸が高鳴ったことをはっきりと覚えている。その時それは思いがけないものだったけれど、今は確りと承知していた。びくりと今度は大きく揺れた身体をもう一度優しく抱き締めて、その耳元に想いを告げた。


「ごめんな…」


一連のその竹谷の行動に戸惑いながらも、兵助には心当たりがあった。きっとあの時負った身体の傷や背中の火傷跡のことを気にしているのだろう。竹谷らしいと思った。苦しそうに自責を繰返し、背負わなくていいはずのそれを自分と同じように背負おうとする。そんな彼を、心底愛しいと思った。


「違う。お前のせいじゃないよ」
「……」
「……なぁ、はち」


耳に届いた、あまりに幸福な色を含んだ自分の名を呼ぶ声に、竹谷ははっとした。それから身体を離して見た、その穏やかな表情の兵助に、自分の罪が許されたのだということが分かった。同時に堪らなくなった。どっと込み上げた感情で、おかしくなってしまいそうだった。


「好きだ…もう、離さない。もう泣かせたりしない。でも、それでも泣きたいときは必ず側にいるから…だから…兵助、」


ずっと側にいて。
その突然の思いがけない告白に驚いた顔をした兵助を、竹谷は再び強く抱き締めた。割れ物を扱うような先程のものとは違う、今度は強引に掻き抱いた。腕の中の兵助はきっと痛いに違いない。それでも、身体中の血がそれを求めて騒ぐのだ。これでもまだ足りないと。


「…兵助が、足りない」


驚きと戸惑いの中にあった兵助は、切羽詰まったような竹谷のそれを聞いて、今まで自分がそうされたように優しくあやすようにその背中を摩った。強く抱き締められて痛いはずの身体は、けれどそれを感じなかった。感じるのは、この愛しさだけだった。


「おれは何処にも行かないよ」


何もかも二人ならば大丈夫だと、強く信じることが出来た。そしてそれ以上の強い想いはきっとないだろうと思った。
それから竹谷が素敵な提案をした。兵助はそれに、何度も何度も頷いた。


「ゆっくり、俺たちになろう」












はじめて知ったその意味を、ふたりで抱き締めながら

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